その224 『ちょっとした邂逅』
ギルドの建物を出たところで、イユはリュイスに確認する。
「リュイス。さっきの質問だけれど、分かっていてしたのよね?」
閉鎖の理由が分からないことへの質問だ。イユたちがするには危険な質問のはずである。
「はい。手紙の件からそう予想しました」
そこからどうしてそう繋がるのか、イユには分からない。伝わっていないのがばれたのだろう、リュイスが説明し出す。
「伝え鳥まで影響する封鎖ですから、都に魔物の群れがやってくるなどの一般的な理由ではないと思ったわけです」
それで探りをいれたわけだが、当たりだったらしい。
「封鎖の理由が分からないということは、解除されるのがいつになるか分からないということです。都を出るときはやはり、行きと同じ経路になりそうですね」
イユは帰りも行きと同じルートしかないと思っていたが、レパードたちと合流する間に都の封鎖が解除されることもあるのだ。リュイスはその可能性を視野にいれていたらしい。
リュイスが確認したいことがあるといってわざわざ受付に戻ったのは、こうした封鎖に関する情報を少しでも入手する目的があったようだ。
「ギルドならまだ言い訳のしようがありますが、酒場で変に勘ぐられたくないですから」
感心するイユに、リュイスはこのように答えた。
「ここが、酒場ね?」
酒場は番所の近くにあり、ギルドとは大通りを挟んだ反対側に位置する。そのために都を大きく回り込むうちに、夜がうっすらと明けてきた。人の数も疎らだが、ぽつぽつと増えてくる。それに紛れるようにして、イユたちは酒場の扉を開けた。
チャリン、チャリンと、ベルの音が来店を告げる。歓迎の音に反応したのはカウンターにいるスキンヘッドの男だ。いくつかあるテーブルには客がいるが、殆どが眠りこけていた。イビキさえ聞こえてくる。
「嬢ちゃんたち、こんな夜明けに酒場なんぞに来てどうした?」
スキンヘッドの男に声をかけられる。話をしようと店内に入ったイユは、回れ右をしたくなった。酒臭さが部屋に籠っていて、できることならば鼻をつまみながら歩きたい。インセートで酒場に行きたがっていたジェイクを思い出して、分かり合えそうにないと感じる。
「人を探しているんです」
酒臭さに怯まず、リュイスが答える。男の目が細められた。
「来な。水ぐらいは出してやるよ」
そう言って、棚からグラスを取り出す。カウンターの中からすっと取り出したのは、深みのある緑色の瓶だ。そこから透明の液体がグラスに注がれていく。
喉の渇きを意識して、イユは一歩前へと出ていた。
「ほれ」
早く座れと言うように、カウンター前の空いた椅子にグラスをがつんと置かれる。水がグラスの中で跳ねた。勢いのあまり、溢れそうだ。
誘惑に負けたイユは、椅子に座るとちびちびと水を口にする。ひんやりとした冷たさが乾燥した唇を湿らせていく。暫くは、無我夢中だった。
「えっと」
「にぃちゃんも飲みな。つけといてやるよ」
その言葉に安心したのか、リュイスが礼を言いながら隣に座った。
「それで?うら若い二人が探しているのはどんな奴だ?」
水を飲むのに忙しいイユに代わって、リュイスが刹那とレパードの特徴を口にする。
「うーん?餓鬼の方はまず来てないな。男は、似たような奴が大勢いるからな」
ほれといって、男は周囲を示す。テーブルで酔いつぶれた客のほぼ全員が男だ。黒髪の男で絞ってもかなりの数になる。
「酒が苦手らしいから、こんなところで酔いつぶれてはいないと思うわ」
スキンヘッドの男はイユの言葉にきょとんとした。
「おいおい、酒が苦手なくせに何で酒場に行くんだよ?」
それはイユも聞きたい。レパードの行動は謎だ。
「知らないわよ。でも、情報では、酒場にいたはずよ」
黒髪の男は多くとも、酒場で酒の飲まない客は珍しいだろう。自分のことを棚にあげて、覚えがないか確認をとる。
男は首を傾げたままだった。
「そんな客、いたか?」
チャリン、チャリンと再びベルの音がした。振り返ったイユの目に、桃色のフードを被った少女が現れる。くりっとしたはしばみ色の瞳が、イユたちのことを物珍しそうに眺めた。
「いいえ、私がお手伝いをしていた時間には来ていませんよ」
酒場に入ってきた少女が、フードをとる。
クリーム色の髪が溢れて肩に収まるのを見つめてから、イユは気がついた。少女がフードをとった一方、リュイスはフードを被ったままだ。
「リュイスのフードは、取れないのよ。魔物にやられた怪我が酷いから」
言い訳しようと口走るイユに、男と少女はぽかんとした。リュイスが困ったような視線を送ってくる。どうも余計なことを言ったらしい。
少女は、少しして取り直すように手と手を合わせた。
「魔物狩りギルドの方ですか?私もそうなんです」
にこりと笑いながら、とことことやってくる少女に、逆にイユの方がぽかんとしてしまった。華奢な体に、桃色の可愛らしい衣装、おっとりとした顔立ちからして、周りにいるような粗野なギルド員とは異なる。
「魔物狩りの専門ではないです。基本的に受けたい依頼を受けているだけなので」
リュイスの答えに、少女はにこっと笑みを深める。
「手広くやられているんですね」
それから、少女はスキンヘッドの男に視線をやる。
「ザドさん。この方たちの方が、私よりここでのお仕事は適任だと思いますよ」
男は首を横に振る。
「いやいや、代わりの手伝いは他を当たるさ。他国じゃこの二人は未成年だろ?」
どうやらイユたちより少女の方が年上らしい。そんなことを思いながら、ザドと呼ばれた男に賛同する。
「私たち人探しで来ているだけだから」
「そう、ですよね。ごめんなさい」
少女は少し申し訳なさそうな顔をした。
「むしろ、あなたは何かご存知ではないですか?先ほどまで出掛けられていたんですよね?」
酒場の入り口から入ってきたのだ。聞けるだけ聞こうと思ったのか、リュイスが尋ねる。イユからももう一度レパードと刹那の特徴を話した。その間、相づちを打ちながらも少女はイユの隣の椅子に腰を下ろす。
「すみません。会ったかもしれないですけれど、人の数が多くて覚えていないんです」
少女は先ほどまで宿屋にいたと言った。そこで、都の急な封鎖が原因で別れてしまった彼女の仲間と、再会したという。
「私も実は少し前まで、ここでお手伝いをしながら、仲間を探していたんです」
手伝う過程で仲間が宿屋にいると聞き、ザドの許可を得て会ってきたのだという。
「そうか、会えたんだな」
「はい、お陰さまで。ありがとうございました!」
イユは水を飲みながら、二人のやり取りを聞く。ザドが、この都の急な封鎖でかなりの人が仲間とはぐれているようだと話している。確かに、ザドの目の前にも、イユや少女という、人探しをしている人間が二組も現れている。イユたちは特殊だが、わざわざそれについて追及しないだけの分別は、イユにもある。だから、大人しく聞き役に徹していた。
「この都、一見すると四角四面で迷いようがなさそうですけど、意外と複雑なんです」
ザドとの会話を終えた少女が、イユたちの方に向き直ってそう説明する。
「この酒場も、そこの階段を下りると地下水路の一画に出るしな」
ザドの言葉に少女が付け足す。
「水路をぐるりと進むと、大通りを挟んで反対側の薬屋に出ました」
過去形ということは、少女は既に使ったことがあるのだろう。それにしても、イユとしては驚きだ。それが事実なら目立つ大通りを避けて通ることができるのだ。薬屋なら通った。そんな良いルートがあると知っていたら、あのときにあの薬屋の周辺を念入りに探していただろう。
「そういうわけで、もしまだ見つからないようでしたら、そういった場所にも足を運んでみてもいいかもしれません」
少女は、朗らかな笑みを浮かべて、見つかることを祈っていますと述べる。どうやら少女も、イユたちが少女と同じように先日から人を探していると思っているらしい。
イユは助言を受け取ることにした。先日からかどうかはともかく、あてがないイユには役立つ情報である。
チャリン、チャリン。慌ただしい足音とともに、またしても酒場の扉が開いた。はっと振り返る三人の前で、赤毛の少女が荒い息をついている。
「アンナちゃん、どうしたの?」
驚いた少女が、赤毛の少女に近寄った。イユたちに使う言葉とは違う馴れ馴れしさに、この赤毛の少女こそが宿屋にいた仲間なのだろうかと想像する。
一方、赤毛の少女は、くっと顔をあげると、第一声に「逃げるよ!」と声を挙げる。その言葉には余裕がなかった。
「私も訳分からないんだけれど、兵士たちが一斉にこっちへ向かってきているみたいなの!」
少女が不安そうに、ザドを振り返る。
「そこの番所に押し掛けるんだろ?よくあることさ」
イユはザドの言葉にほっとした。今のうちにと、グラスの残り少ない水を空にする。
「残念だけど、違うみたい。酒場にいるはずだって言っていたから」
アンナと呼ばれた少女の言葉に、今度こそイユはリュイスと顔を見合わせた。何かが起きている。酒場にいるはずだという、その主語は何だろう。イユたちは、何かぱれるようなことをしたのだろうか。急に湧いた不安に、イユの喉はごくりと鳴った。
「分かったよ、アンナちゃん。何か分からないけど、関わらないほうがいいもんね」
「そうよ。魔物狩りどころか、『スナメリ』と合流できなくなるかもしれない」
二人の会話を聞きながら、イユとリュイスは席を立つ。こうなれば、一刻も早くここを去る必要があった。
「僕たちもお暇します。お水、ありがとうございました」
「折角だから、さっきいっていたルートを使わせてもらうわ」
ザドは突然のことに目を丸くしつつも、頷いた。
「あ、それなら」
「シリエ」
言い掛けた少女の言葉をアンナが止める。
アンナに首を横に振られたシリエは、申し訳なさそうにイユたちを見た。
「私たちは、こちらから帰ります。宿屋も近いので」
きっと、あのアンナとかいう少女には勘づかれたのだと、イユは解釈した。ここにいるのはイユたちだけなのだ。兵士が追っている対象は、ほかならぬイユたちかもしれないと思われても何も不思議ではない。
「はい。人探しの相談に乗っていただき、ありがとうございました」
リュイスは殊更に丁寧だ。怪しまれないようにするために、イユも軽く頭は下げておく。
少女二人は、それを受けて会釈し直し、扉から出ていった。シリエは最後に再び、申し訳なさそうにしながら、ちょこんとお辞儀をする。
さっさと行けばいいのに律儀なことだと思いつつ、イユも再び頭を下げておく。悪い印象は与えないに限る。
「こっちだ。来な」
声に振り返ると、ザドがカウンターから出ている。イユたちはザドの後を続いた。
酒場の奥まで行くと、そこには頑丈そうな扉がある。
「ここだ」
ザドが扉を押した。それに合わせて、ギギギと鈍い音が立つ。隙間からひんやりとした空気が流れ込む。扉の中を覗き込んだが、階段が続いているだけでその先がどうなっているかまではわからない。ただ、水の音が聞こえた気がした。
「今度はお前たちの国で、酒の飲める年になったら来な」
ザドの話では、シェイレスタは十二歳で成人を迎えるらしい。基本は成人すれば飲酒が可能になるが、成人したかどうかは本人たちの出身国で判断されるそうだ。ザドの言い方を察するに、どうもイユたちの出身国は、イクシウスだと思われているらしい。リュイスはカルタータ出身だが、敢えて口にする必要はないので黙って頷いておく。
「はい」
再び礼を言いながら、イユたちは階段を下りる。振り返ると、ちょうどザドが扉を閉めるところだった。背後から射し込んでいた明かりが消えていく。闇に染まったその瞬間、沈黙が世界を支配した。




