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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
221/991

その221 『壁を乗り越えて』

 ミンドールたちに別れを告げた後、イユたちはそれぞれの荷物を取りに行く。まずは航海室から近いリュイスの部屋で彼の荷物を、その後でイユの部屋まで行きイユの鞄を手に取った。

「ロープは倉庫にあると思います」

 リュイスの言葉に、イユは頷く。帆を畳むときにロープを使うため、イユもロープのある場所は知っている。

 二人で倉庫に向かったその先で、思いがけぬ人と出会った。

「シェル?」

 イユたちよりも先の廊下を進んでいた薄水色の頭が、声にくるりと振り返る。ヘアバンドから髪がぴょこぴょこはみ出ていて、寝起きであることを主張しているかのようだ。顔も非常に眠そうで、今にも瞼が閉じられそうだった。それでも、イユの姿を視界に入れて、徐々に目が開いてくる。

「あれ?ねぇちゃんたちは、見張りの当番じゃないよね?」

 その発言から察するに、シェルは見張りの仕事のために起きたところかもしれない。正解だったらしく、イユの確認に頷いた。

「これから朝まではオレの見張りだよ。今からミスタにぃちゃんと交代するところ」

 イユは少し首を傾げた。

「シェルは昼間も結構見張りをしているわよね?意外と働きすぎじゃないかしら」

 イユやリュイスが体力的に見張りを多く買っているのは勿論だが、シェルもやたらと頻度が高い。気になったから聞いてみたのだが、「『意外と』は余計だと思う」とまずは不満を訴えられた。

「見張りはオレの専売特許なのだ。これだけは譲れないし」

 既にイユたちがシェルの出番を奪っているような気もしたが、イユとしては突っ込みを入れたい。

「掃除はさぼるくせに?」

「だって掃除してもすぐにまた汚れるし」

 シェルの言い分も、砂漠にこればわからなくもない。甲板をいくら掃こうとすぐに砂まみれになるのだ。

「見張りは大事なんだよ、イユのねぇちゃん」

 シェルは、えっへんと言わんばかりに胸を張った。どうもすっかり目が覚めたようだ。

「同じ光景だからってさぼると痛い目を見るのだ。常に目を凝らさないと、危険を見つけられないからな」

 さぼり癖のあるシェルにしては、見張りはさぼらないのだなと妙な感心をする。体を動かせる掃除よりも見張りの方が単調で、さぼりやすそうなのにだ。言われてみれば、普段から見張り台で会話をしていてもシェルは基本的に空から視線を外したことはない気がする。熱心なこともあるのだなと少しシェルを見直した。

「お待たせしました」

 いつの間にかイユの傍から離れて倉庫にいってきたリュイスが、手にロープをもってやってくる。

「準備万端ね。じゃあ行きましょうか」

 その言葉に、シェルの目が丸くなった。

「ねぇちゃんたち、どこか行くの?」

「シェイレスタの都までちょっとね」

 イユの発言に、シェルの目が更に丸くなる。やはり皆、驚くようだ。

「そういえば、ねぇちゃん。普通に廊下歩いてるし、なんかあったの?」

 シェルの言葉に、イユは今更だと呆れる。他の皆とは反応の順番が逆なところが、如何に寝ぼけていたのか察せられるというものだ。

 最も幼いシェルに夜番はそもそもきついのかもしれない。だが、灼熱のような砂漠での滞在時間を考えれば、昼間に長い間外を見張らせるわけにはいかないのだろう。

「大したことは起きていないわ。ただレパードを迎えにいくだけよ」

 シェルならイユたちを止めようとまではしないだろうが、ミンドールたちのように渋々な表情を向けられるのも、どうかと思う。誰かと会うたび引き留められるのも面倒だと思って、イユはそこでさっさと話を打ち切ろうとした。じゃあ、いってくるわなどと軽く言い、甲板に続く扉に向かう。

「うん」

 ところが、頷きながらもシェルはついてくる。見張りだと言っていたから途中までは同じ道を行くのだということに気がついて、少し気まずくなった。

 甲板の扉を開けると、途端に冷たい空気がイユの肌を撫でた。昨日よりも人が少ないせいだろうか、さらに寒く感じる。

「シェル、一つお願いしていいですか」

 リュイスが扉の近くにある木箱を開けて、中から梯子を取り出した。

「シェルがミスタと交代するときに、ミスタに梯子を片づけるようにと伝えてください」

 リュイス曰く、イユとリュイスが梯子を下りている間にシェルにはミスタを呼んできてもらいミスタが梯子を片づける方が、シェルにイユとリュイスが梯子を下りきるまで甲板で待っていてもらうより効率がいいそうだ。

「ねぇ、渡し板は使わないの?」

 了解の合図をするシェルを見ながら、イユは気になっていたことを聞いてみた。渡し板なら安定して下りられるので楽だと思ったのだ。梯子はゆらゆらと安定しない。

「渡し板の設置には時間がかかりますから」

 セーレは僅かとはいえ浮いている。そして浮くということは少なからず風の影響を受けて揺れる。だから渡し板を設置するときにはそれなりにコツがいるらしい。誰かを護送する必要があるとか、街のなかで他の船が渡し板を利用しているために悪目立ちしたくないときとか、そういった理由がない限りは梯子ですませてしまうのだそうだ。

 言われてみれば、はじめてイニシアで渡し板を使ったときは、他でもないイユ自身が勝手に逃げ出さないかと心配されていた。インセートでは多くの船が渡し板を使用していたから倣ったらしい。シェイレスタの都に行く際の渡し板は、ブライトがいたために用意したもののようだ。

「ねぇちゃんたち、じゃあな!」

 シェルがにこやかに手を振って、見張り台の梯子を上がっていく。イユたちの行動に対して思うところはあるようだが、イユが聞かれたくないのを悟ってか、追及はしないつもりらしい。「ミスタにぃちゃん!交代の時間!」と叫ぶのが聞こえてくる。

「僕たちも行きましょう」

 リュイスの言葉にイユは頷いた。


 梯子を下りて、砂の大地へと下り立つ。砂は昼間の熱が嘘のように冷たく、ひんやりとしていた。乾いた空気のせいか、星々の光が眩しい。

 それらを確認した後、イユたちは足を砂にとられないように慎重に進みだした。


 未明に、ちょうど都の門の近くまでたどり着いた。

 門の前では飛行船がひっそりと立ち並んでいる。門番の存在を懸念したイユたちは、飛行船が作る影を辿って進んでいくことにした。

 飛行船の中には人が一人もいないらしく、新しい船もあるというのに何故だか飛行船の墓の中を歩いている気分にさせられる。時折吹く風がマストに残った帆を揺らしていくのがいけないのだろう。

 門の麓まで近づいたが、門番らしき人の姿は見えなかった。門の上から覗いている可能性も考えるが、目を凝らしてもその姿はみえない。それどころか人の気配が全くしない。都の分厚い壁が気配を漏らさないのか、それとも未明という今の時間帯のせいか、判断はできなかった。

「壁沿いを歩いて行きましょう」

 もし見張りが壁の上にいる場合、砂漠を歩いているとイユたちの姿は見つけやすい。それならば逆に壁すれすれを歩いて相手の死角を狙う位置を進んだ方がいいだろうと、リュイスが提案する。

 頷きながら、イユは異能を使って壁までの距離を駆け抜けた。リュイスもそれに続く。

 迫ってくる壁から矢でも飛んでくるかと警戒したが、そんなことはなかった。壁にすり寄ると、再び進みだす。

「この辺りかしら」

 門の入り口のあたりは、大体見張りが立っているだろう。角にも詰め所の類が建っているかもしれない。いろいろ考えた末、角を曲がった少し先でイユは止まった。

「そうですね」

 リュイスが気配を探るように目を細めてから、頷く。

 その表情に迷いはなかったので、イユは肩の力を抜いた。跳んだ先でいきなり兵士に襲われてハチの巣にされるかもしれないと、少しだけ懸念していたのだ。だが、リュイスの気配察知は信頼に値する。それをイユは今までの経験から知っていた。

「行くわよ」

 リュイスの腕を肩にまわして、背負う。はたから見るとリュイスが怪我人のようにも見えるが、この姿勢が良いらしい。所謂お姫様だっこがイユとしては一番持ちやすいと思うのだが、そこはリュイスに頑固反対されたのでなしとなった。意外と、そういうことは気にするらしい。

「はい」

 リュイスの返事を聞いて、イユは足に力を込めた。

 不思議と、異能者施設を脱出したときの柵を思い出した。あの時の柵は、触れるだけで感電死した。それを思えば、なんて優しい壁なのだろう。

 それに、ここの寒さは施設にいた頃とは比べ物にならないほど、生温い。寒さは体を縛るのだ。それが、今は大して感じない。雪原を知らないリュイスは「寒いですね」と話しかけてきたが、イユとは感じ方が違うことに逆に驚いてしまった。

 砂を踏みしめて、イユはまっすぐに跳んだ。

 十メートルはある壁を、さすがに人を抱えながらだと一度には跳びきれなかった。それでも、壁という足場があった。常人には隙間も何もない登りにくいことこの上ない壁でも、足場にして蹴りつけるには十分な硬さがあった。

 蹴った勢いで体が再度跳躍する。上空まで一気に体が伸びていく。あと少しで、壁が途切れそうだった。

 しかし、ここで再び体が落下を始めようとする。その限界が、イユの体に伝わった。

 イユは再び壁を蹴りつけようとする。

 そこで、あろうことか、足がずるりと滑った。

「っ?!」

 声を呑み込む理性はなかった。ただ、驚きの声を出す余裕もなかった。

 この壁は滑りやすくなっていた。あまりにも滑らかな壁に、恨み言を吐く余力も当然ない。

 落下する。ここまで登ってしまったのだ。落下の衝撃は、柔らかい砂の上だとしても大きいだろう。

 かくんと、イユの体が落ちかけた時、逆に、体が持ち上がる感じがした。

「イユ、掴んで!」

 声にはっとする。イユの体に背負われたリュイスが、残っていた右手で壁の終点をかろうじて掴んでいた。

 リュイスの左手が離れていく感じがして、イユは慌てて左手を抑える。

 落ちずに済んだことを安堵する暇はなかった。

 リュイスの顔が歪んでいる。いくら何でも、イユの体を右手一つでは支えきれない。

 しかし、イユはここで一瞬の余力を得た。その一瞬があれば、十分だった。再び壁を蹴りつけて、一気に飛び上がる。

 支えきれずにリュイスの右手が離れるのと、イユの体が浮くのがほぼ同時だった。

 壁の終端より僅かに高く跳んだイユは、壁の上へと転がるように下り立つ。遅れて落ちかけていたリュイスが、今度はイユにつられて振れるように飛びあがる形となり、壁の終点を超えた。そして、イユに引っ張られる形で今度は斜め下へと力が働く。最終的にイユが下り立った地点のすぐ後ろへと背中を打ち付けた。

 鈍い音が重く響く。

 イユはびっくりして、後ろを振り返った。思わず声を挙げてリュイスの無事を確認したくなるほどには、痛そうな音だったのだ。

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