その211 『壊れたら』
「その欠片……」
声に見上げれば、アグルが医務室の扉から入ってきたところだった。
リハビリ中だという話は、イユも聞いていた。一度石化した足は思うように動くまで時間がかかった。だから、毎日少しずつ続けているという。最近は少しましになり、医務室を出て廊下を歩いているということだった。だが、暑い時間を避けている関係で大体イユたちが休んでいる時間に行っているそうで、こうして会うのは初めてだった。
しかし、顔色がよろしくない。汗も出ているし、少々自分の体に無茶をさせているのかもしれない。
「ん?どうした?お嬢たち」
アグルとともにやってきたジェイクが、きょとんとした。
リハビリにはいつも刹那が付いているという話だったが、元々刹那が出発予定だったせいか、ジェイクが代わっているらしい。だから、本来はレパードたちに食堂に呼ばれているはずなのに、こうしてここにいるのだろう。
しかしそのジェイクも、嵐の山脈での怪我が酷い部類だ。アグルを支えながらリハビリの手伝いをするにしても、怪我に差し支えがありそうではある。それでも、いつものおちゃらけた調子は崩れていない。
「俺様たちの見舞いか?身に染みる優しさだぜ」
ジェイクの言葉に、一同は口を閉じた。とてもでないが、その冗談に付き合う気分ではなかったのだ。
沈黙の後に、アグルがふと頭を抑えた。よろけたせいで、ジェイクが巻き込まれそうになる。
「オイオイ、無理するなよアグル」
「そうじゃないです……」
アグルはジェイクの言葉に否定しつつも、自身のベッドへと座り込む。顔色が真っ青だった。
「どうした、アグル」
恐らくこの顔色の悪さは、いつものことではないのだろう。レヴァスが心配したように駆け寄る。
「いえ……、それを見ていたら、何か引っかかって」
それというのは、今イユたちの前にある粉々にされたペンダントだった。
レヴァスの瞳が、すっと細められる。
その様子に、イユは悟る。このペンダントが粉々になっているのには、ブライトが関わっている。アグルの顔色が悪いのにも、恐らく同様の存在が影響しているのだろうと、レヴァスは推測したのではないのだろうか。
「だめだ。思い出せそうで、思い出せない……」
頭を抱えるアグルに、レヴァスがあまり無理をするなと声を掛けている。
「ん?よくわからねぇけど、そいつは大事なものなのか?」
一人、事情を分かっていないジェイクが、そんな質問をした。
イユとリーサは頷く。
再び呟こうとしたそれが、胸に痞えて中々言葉にできなかった。
「宝物、だったのよ」
それでも言い切ったイユに、ジェイクは初めて何かを悟った顔をする。
「それなら、ちょっと貸してみろよ」
近づいた彼は、イユからその欠片を奪った。
「ちょっと、何するつもりよ!」
息まいたイユに取り合わず、ジェイクがポケットから取り出したのは、革袋だ。小さいが中々洒落ていて、留め具には金色の紐が用いられていた。
その革袋に、欠片を詰め込んでいく。イユから奪った分だけではなく、ベッドに散らばったままだったものも一つ一つ、丁寧に摘み上げ入れていった。そうして全て詰め込み終わると、きゅっと紐を絞る。それから、イユに差し出した。
革袋がイユの目の前で揺れている。
「ほら」
イユは意図が分からず、呆然としてしまった。
「宝物なんだろ。ちょっとばかり、お守りみたいな姿になっちまったが、中身は同じだ」
そこで初めて、ジェイクがイユに何を差し出そうとしているか分かった。
ぽとんと、革袋がイユの手のひらに収まる。こうしてみると、欠片を包んでぷっくらと膨らむ革袋は中々可愛らしかった。よく見やれば、右端に天使の羽根の絵柄が入っている。あとから知ったが、空を旅する者への祝福の印なのだそうだ。このときは、細かいお洒落な装飾に、ジェイクらしさを感じさせられた。
確かに粉々になってしまったが、全てがなくなったわけではない。粉々なものを元に組み立てることはできないが、こうして形を変えて、新たな宝物にすることができる。むしろ、ジェイクの思いが付け加わったように感じて、思わず胸を抑えた。
「……全く、気障な奴ね」
イユなりに、感謝の言葉を述べると、隣にいたリーサも、
「見直したわ」
などと評価を変える。
ジェイクは途端に得意気な顔をした。
「だろだろ?女に出会ったらいつでも渡せるようにって、洒落た革袋を持ち歩いている甲斐があったってもんだぜ」
ジェイクのとぼけに乗ったリュイスも、それを聞いて口を挟む。
「そういうことを言ってしまうのが、もてない要因だと思うんですけれど」
ジェイクは「けっ」と吐く真似をした。
「言ってろ、色男」
いつも女を連れて羨ましいとか、本音のようなものを吐露するジェイクからは、先ほどの評価を落としたくなるダメ男っぷりが感じられる。
それもまた、ジェイクのいいところなのだろうなとイユは思う。正直なところ、今までイユはジェイクに警戒されていると思っていた。初めて会った時から、ジェイクはイユが女と見て、気安く声は掛けてきた。それでも、どこかにジェイクから感じる距離があって、それ故にそこまで親しくはなっていない。変わったのは、アグルを助けたときに『イユの姉貴』などと呼ばれるようになってからだが、距離を感じなくなっただけで近いわけではなかった。
しかし、ジェイクは『痛み』に敏感なのだろう。いつものおちゃらけた性格を生かして、人の心をすっと軽くする。十二年前にいろいろあったセーレには、きっといなくてはならない存在なのだ。
「ありがとう。大切にするわ」
先ほどまでの気持ちが晴れたおかげで、イユはかろうじて笑みを浮かべることができた。




