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カルタータ  作者: 希矢
第三章 『烙印を隠せ』
21/990

その21 『一日目(後半)』

 案内された部屋は船長室だった。レパードが普段から使っている部屋らしいが、窓から射し込んだ光がぽつんと床に落ちている様はどこか寒々しい。

 暫くして物が置かれていないことに気がついた。カーテンもなければ、机の上にも何も置かれておらず、部屋の隙間から見える洗面所もやたらと物が少ない。ベッドや棚など、イユが使うことになった部屋にあったものこそあるが、少しばかり広いせいか生活感がないのだ。唯一は壁に大きな地図が飾られているぐらいだが、それも部屋の入口側にあるせいで振り返らないと気付かない。

「とりあえず、座れ」

 そう声を掛けながら、レパードが壁へ屈み込む。壁に備え付けられていた取っ手を引っ張ると、木箱が出てきた。上部に指を当て、かたんと、背もたれと思われる板を立てる。瞬く間に木箱は折り畳み式の椅子になった。

 イユの部屋にもあったものだと、気付く。浴室から出たイユの髪をマーサが梳いてくれたときに使ったのだ。あれは外から運んだのではなく、こうして取り出したものだったらしい。

「あんたの分は?」

 リュイスが自分の椅子を組み立てているのを見ながら、質問をする。壁に備え付けられた木のテーブルを囲う形で、椅子が二脚用意されたわけだが、レパードの席がない。

「俺はそっちから取ってくるから大丈夫だ」

 棚から木の椅子を取り出したレパードは、どかっと座ると腕を組んだ。早速話を始め出す。

「先に聞いておくがイクシウスは長いのか」

「生まれた時からいるけれど」

 そう答えてから、安易な回答は身を滅ぼすかもしれないと気付く。イクシウス政府と繋がっていると思われるのだけは避けねばならない。

「ふぅーん。それなら俺らよりは情報に強いよな」

 全く強くないのだが、黙っておく。

「それで、何について話をすればいいのよ」

 レパードが机の引き出しから紙を取り出した。食堂で見た地図とは違い、真っ白で何も書かれていない。

「まずは、リバストン域だ。あの場所について少しでも知りたい」

 リバストン域は、先ほど地図で示された場所だったはずだ。

「飛行岩のいっぱいあるところよね」

 名前からも地図の絵からも、どのような場所かは想像がつく。恐らく大型の飛行船では航行できないほどに、飛行岩が浮かんでいる場所だ。いざというとき逃げ切れるように、イクシウスの白船が容易には通れないところを進もうと言うのだろう。

 だが、あくまでこれはイユの想像だ。その事実に、ため息をつきたくなった。いきなり知らない場所について教えてくれといわれるとは、全くこの先が思いやられる。

「その考える仕草はなんだ。お前だってここを抜けないとインセートにつけないだろ」

 答えるべきかどうかを悩んでいると思われたらしい。

「何でもいい。良い抜け方とか、飛行岩を避ける手段とか何かないのか」

 ペンを手に取って書く準備までしているレパードは、どうみても必死にみえる。

 どうも地図をみせてもらったときの説明だと感じられなかったが、レパードたちも情報に精通しているというわけではないらしい。そして、リバストン域というのは残念ながら道中に寄る観光スポットではないようだ。

「……知らないわよそんなの」

 完全に無知だと思われると怪しまれるだろう。最悪、ずっとレイヴィート周辺にいたことにしようと考え、そう答える。実際行ったことはないのだから嘘はついていない。

「本当か」

 少し落胆したような、疑うような視線を向けられる。

「本当よ」

 言い切ると、あからさまに肩を落とされた。

「使えないやつ」

 その仕草にいらっとくる。

「悪かったわね」

 リュイスが慌てたように繕う。

「仕方ないですよ、どうにかして抜けましょう?」

 そのリュイスの様子に、逆に不安を掻き立てられる。


 てっきり彼らは船旅に慣れていると思っていた。その彼らが少しでも情報が欲しいと望んでいるリバストン域とは一体どういうところなのか。本当にこの船に乗っていて安全なのか。銃で撃たれるといった直接的な身の危険がない分、却って危険かもしれない。

 しかし、船に乗ってしまった以上もう遅い。下ろしてといったところで、奈落の海に放り込まれるぐらいしかないだろう。どうにか無事に生き延びられることを祈るよりない。


「……イニシアはどうだ。行ったことがなくても魔術師の動きとかわからないか」

 気を取り直したように、レパードから次の質問がくる。イニシアは、リバストン域の先にある場所と記憶している。ここもイクシウス領だと言っていたはずだ。

 とはいえ、行ったこともない場所の魔術師の動きなど、知っていたほうがイクシウスの関係者のようである。

「知りようがないわよ、そんなところ」

 それについては、ダメ元で聞いたらしい。

「そうだよなぁ」

 と、納得される。

「それなら、イクシウスの魔術師自体で知っていることはないのか」

 イクシウスの魔術師。それを聞くだけでも正直嫌な思い出しか蘇らない。

 イクシウスには、魔術師と呼ばれる貴族がいる。彼らは異能や魔法に似通った力を自学で習得しているらしい。

  『らしい』というのは、実際に彼らの魔術を見たことがあるイユからしてみれば、あまりにも似ていない力だったからだ。そもそも形になって見える力でないことが多い。多くは、人の記憶を読み取ったり、呪詛をかけたり、体の自由を縛ったりと、道徳心を疑いたくなる力だ。

 そうした魔術師たちが、この国で貴族として政府を動かしている。

 彼らにとっての異能者は何も努力することなく力を使う不届き者で、且つ自分たちの存在意義を揺るがす危険な存在だ。だから異能者狩りをはじめたと、少なくともイユはそう考えている。

「他の国の魔術師との違いが判らないけれど。何を言えばよいのかしら」

 最も他国も似たようなものだろう。おおよその見当はつく。

「……政府の動きとか、ほら、あいつらすぐ新兵器を発掘するだろ」

 そう言われても、残念ながらよく知らない。新兵器とは、空飛ぶ円盤の乗り物のことでも指しているのだろうかと首を捻る。

 そうしたイユを見かねてか、リュイスが「そういえば」と口にする。

「僕がレイヴィートにいたとき、フードをかぶっていたのにも関わらず正体がばれました」

 あれはなんだったのでしょうと、そう聞きたいらしい。

 初耳だったらしく、レパードが、

「何だそれは」

 と、眉間に皺を寄せている。

 正体がばれたのは、イユも一緒だ。汽車での出来事を思い返す。

「……兵士に直接ばれたの? そいつ、何か持っていたのじゃないかしら」

 リュイスが頷く。

「確か、石のようなものを……」

 点滅する白い石が、頭の中で映像として蘇る。

「『反応石(トルピット)』ね」

「『反応石(トルピット)』……?」

 レパードが手にペンを持つ。いつの間にか下ろしていたらしい。

「異能者を発見する石よ。もっとも龍族でも同じみたいだけれど」

 恐らく、名前をメモしながら、レパードは聞いた。

「そんな厄介なものを作ったのか。そいつは、イニシアにもあるのか?」

 知るはずがない。

 だが、イユは一つ情報を得ている。汽車で兵士たちが語っていた会話だ。

「少なくとも数はまだ多くないみたい」

 汽車で鼠にパンくずをやったときのことを思い出す。もうずいぶん昔に感じるが、確かにあの時の兵士たちは『反応石(トルピット)』を持っていなかった。だからばれずに済んだのだ。兵士全員にわたっていないというだけでも救いのはずだ。状況をかいつまんで説明するとようやく納得した顔をされた。

「レイヴィートで全員に行き届いていないなら、イニシアならもっていても少数だな」

 その発言は同じ船に乗っている以上、イユにとっても救いだ。



 その後も何度か似たような質問をされたが、きちんと返せたものは何一つなかった。最終的に紙には一言しか書かれていない。

 窓から差し込む光が朱色を帯びてきた頃、レパードは思いっきりのびをした。

「……おい、お前本当にイクシウスの育ちかよ。無知すぎるぞ」

 残念ながらイクシウス育ちは紛れもなく本当のことだ。

「うるさいわね。いいでしょう、別に」

 むっと膨れていると、空を覗いていたリュイスから提案がある。

「もう夕飯の時刻ですよ。少し疲れましたし、そろそろ終わりませんか」

 発言には気を付けていたこともあって、確かに気疲れを感じていた。

「よし、休憩!」

 とレパードが叫ぶ。



 再びの食堂からは、夕食の美味しそうな匂いが溢れてくる。待ちきれず、三人のなかで誰よりも早く扉を開けたイユは、鋭い視線を受けて息を呑む。

 船員たちのものだ。その目には警戒感や不信感が浮かんでいる。同時に、入る前に確かに食堂から聞こえていたざわめきは消え失せ、沈黙が支配する。

「気にするな、食べていていいぞ」

 背後からのレパードの発言にざわめきが戻る。ちらちらと視線はくるが、それだけだ。イユはほっと胸をなでおろす。


 どうも船に暫く乗ることになっても、まだイユは警戒されているらしい。船長が決めたことであっても、不満や不安はあるということだろう。


 ひりひりとするものを感じつつも、なるべく気にしないようにした。それよりは、夕御飯だ。食事は昼間よりも豪華になっている。ライスに茶色のエキス、――カレーというらしい――、をかけてもらい、スプーンで頬張った。

 まろやかなこくのある味わいだ。香辛料がぴりりと口のなかで弾けるのが、食べ物らしくなくて面白い。自然と胃を刺激されて、ついもう一口食べたくなる。

「あの……」

 同じように頬張っているレパードのところへ黒髪の少女がやってくるのが、視界の端に入った。

「あぁ、リーサか」

 リーサは、黒いドレスの上に白い前掛けをかけている華奢な人物だ。ヘッドドレスが印象的だ。

「イユ。一旦食べるのやめろ。この食いしん坊」

 イユ絡みらしいが、いちいち一言多い。睨み付けたくなる衝動をこらえ、大人しくスプーンを置いた。

 そのタイミングで、リーサに軽くお辞儀をされる。

「どうも」

 この場合なんと返せばいいのだろう。よくわからず黙っていると、怯えたような目で返される。

「聞いていただろ? 多分この船の中ではお前に近い年の方の、リーサだ」

 レパードの説明に、イユはとりあえず名乗ることにした。

 リーサに会釈をされる。体の動きが硬く、緊張しているのがイユにも分かった。

「……それで?」

 ただの自己紹介で終わりというわけではないだろう。さっさと続きを促す。

「お前も船に乗る以上、働いてもらおうかと思ってだな」

 情報については全く使えないし、と小さく呟かれ、思わず睨んだ。

 それが怖かったらしい。リーサに明らかにびくっとされ、一歩後ろへ下がられる。

「大丈夫ですよ、イユさんはその……、思っているより怖い人ではないですから」

 突っ込み甲斐のある発言はリュイスのものだ。随分生意気なことである。

「悪いが明日からリーサがこいつに仕事を教えてやってくれ。……できそうか?」

 さすがのレパードも彼女の怯えた様子に心配になったらしい。

 しかし彼女は「わかりました」と答えると、イユに向かって「それでは明日の朝」と事務的な言葉を返す。返答する時間も与えなかった。すぐにテーブルから離れていく。


 何を怯えているのだろうと、首を捻ったイユは、周囲の船員たちの視線を改めて肌に感じる。

 そこにあるのは、イユへの非難であり、リーサへの同情だ。イユは異能者に裏切られたと言っていたマーサの言葉を思い出す。


 結局のところ、彼らはイユが異能者であるのが怖いのだ。それは、過去の裏切りのせいだろうが、一概にそうとは言いきれない。何故なら裏切った人間が異能者でなく普通の人間だったらどうであろう。リュイスたちと同じ龍族だったとしたら、どういう反応をしただろう。

 イユはまだ何もしていない。ただ、彼らはイユが異能者だから、レッテルを貼って勝手に決めつけているに過ぎない。


「自分勝手な奴ら」


 口のなかでそう呟いた。



「まぁ、そういうわけだ。とりあえず、明日の朝から頑張ってもらうからな」

 自分勝手といえば、ここにもいた。

「それよ」

「何だ?」

「働くなんて聞いてないわよ」

 情報交換の話はあったが、いつの間にか働くことになっている。レパードはこれまで一度もそうした話をイユに持ち出していなかったはずだ。

「働かざる者食うべからず、だ」

「は?」

「だから、働かざる者食うべからず、だ。心配しなくとも、お前にできそうなものしか用意しない」

 つまり、食事にありつきたければ仕事をするようにと言いたいらしい。確かに食べ物を無償で提供されている今のほうがおかしい。レパードの言い分は理解できた。

「別に嫌じゃないけれど、唐突よね」

「それで世界(レストリア)がひっくり返るわけでもないし、前もって言うことでもないだろ。仕事も終われば後は好きにしていいからな」

 何気なくレパードにそう言われ、イユはきょとんとした。

「あぁ、今日も終わりでいいぞ」

 続けての言葉に、首を捻る。

「え、終わり?」

「あぁ、そうだ。部屋に戻って寝たらどうだ」

 レパードは空っぽの皿を手に、席を立ち上がる。

「じゃあな」

 それだけいうと、厨房に皿を預けて出ていってしまった。

 ぽかんとしたイユは、自分の手元にある皿を覗く。イユの皿も空っぽで、腹は十分満たされていた。

 リュイスにちらっと視線をやると、気まずそうにスプーンを口に運ばれる。

 船員たちの視線を改めて感じて、イユも立ち上がる。早いところ出た方が厄介が少なそうだとはなんとなく分かっていた。


 食堂を出たイユは、ふぅと息を吐く。喧騒が先ほどまでいた扉の向こう側から聞こえてくる。その音がイユにはどうでも良かった。

「自由」

 小さく呟く。あまりにも早い、終わりという発言。自由に過ごしてよいという意味だと捉えたイユは、期待に胸が膨らんだ。朝からは仕事の手伝いだという。これからは、仕事さえすれば好きにしてよいらしい。なんと自由であることか。

 きっと、山場は今日で乗り切ったのだろうと、イユは振り返る。

 話し合いは相手側の要求を呑むばかりの一方的なものだったとはいえ、順調にいった。あとは船員たちとはできるだけ関わらずにいれば望みどおりインセートに連れて行ってもらえるはずだ。烙印のことは、このまま隠し通せばいい。たった十日間のことなのだから、うまくいくだろう。


「待ってください」

 部屋に戻る途中でそうした考えに耽っていると、リュイスに呼び止められた。

「何?」

 呼び止められる理由がわからない。

「あの、その……」

 先ほどの生意気具合はどこにいったのやら。煮え切らない態度に、いらいらした。口を挟もうとしたところで、「すみません」と、先に謝られる。

「は?」

 しかしその謝罪はイユにとってあまりにも唐突で、その意味を汲むことができない。

 目をぱちくりさせているイユに、伝わっていないことに気が付いたのだろう。リュイスから補足がある。

「その、気分が悪いかと思いまして……」

 ぼそりと、イユにしか聞こえぬ声で付け加える。

「……異能者であることで、白い目で見られて」

 確かに気分は良くない。リュイス自身も世間から白い目でみられてきた存在だからこそ、その手の気持ちには敏感なのだろうと、イユなりに解釈する。

 ましてやイユがここでこんな目に遭うとは思っていなかったはずだと、そう考えたのかもしれない。リュイスの考えは、間違っていない。まさかと思った。今も驚いている。龍族を歓迎しているような船に乗って異能者だけが違う目で見られるとは思いもよらない。幻滅したのは事実だ。

「……それは確かに嫌だけれど」

 しかし、どうしてリュイスが謝るのだろう。

 分からずにいるイユに、ぽつりと返答がある。

「すみません、あのとき僕が『乗ってください』と言ったせいですよね」

 乗るとは何のことだと思ったが、じっくり考えてわかった。初めてセーレに乗ったときの話をしている。リュイスが梯子に捕まれと勧めたのだ。

 けれど、仮に勧められなくてもイユは助かるために梯子に捕まっただろう。それともリュイスは、イユにあの状況下で兵士から逃れ飛行船に乗り込み安全な地へと到達する完璧な計画があって、それを阻害してしまったとでも思っているのだろうか。リュイスは助けた側のはずだ。命の恩人であり謝罪をする側ではない。

 それを説明しようとして、何故だか途中でぐったりと疲労感に襲われた。話すのも面倒だ。まごまごと些細なことで悩むリュイスはあまり好きではない。見ていて情けないことこの上ない。こんな人物に命を助けられたと思うと、自分がどんどん惨めになるのだ。

「……どうでもいいわ」

 その言い方が若干きつくなったのは認める。だから、機嫌が悪くなったとそう思われたらしい。

「すみません」

 続く謝罪に辟易した。説明していないから、リュイスはイユが船に乗せた件で怒ったと思っているのだろう。

 しかしそれが分かっていても、穏やかな気持ちにはなれなかった。代わりに指摘してやる。

「大体リュイスは人が良すぎ。普通、裏切り者になるかもしれない奴をわざわざ助けないわよ」

 ましてや今の状況は船員たちに代わって謝ったようなものだ。リュイスは彼らとは違うのだから船員代表になる必要はないと言いかけ、ふいにリュイスがどちら側の人間なのか思い至った。

「ですが、イユさんも助けてくれましたよね」

 不思議そうな口調で問われて、面食らう。ここ最近の記憶では、助けられた覚えしかない。

「……ほら、洞窟で水に落ちた時も刹那が手伝ったって言っていましたし」

 言われて真っ先に思い浮かんだのが、巨大な魔物を前にリュイスを手放すかどうか悩んでいたあの記憶だった。あの後何気なく刹那に言われ、なんとなくで流していたが、リュイスにとっては助けられた記憶として残っているらしい。まさか、真剣に見捨てるかどうか悩んでいたと口にだすわけにもいかない。複雑な気持ちを抱えながらイユは答えた。

「あれは……、ただの成り行きよ」

 後になって、もう少しまともな言い訳をすればよかったと後悔した。

「とにかく、リュイスには関係ないことよ。いいわね?」

 そう無理にまとめて念を押す。これ以上何か言われる前にと、その足で部屋へと駆け込む。乱暴に扉を閉めるとそのまま鍵をかけた。

「ふぅ」

 あらゆることが面倒だ。

 だが、リュイスには関係ない。それは事実だ。これは異能者の、イユの問題だ。そしてリュイスは同じ立場ではなく、セーレの船員なのだ。間違っても相談なんてできる相手ではない。

 リュイスは、扉をノックしたり声をかけてきたりはしなかった。

 扉を背にして佇みふと上を見上げる。明かりがぐらぐらと不規則に揺れていて、この下に地面がないことを実感した。

 鞄がないことに気が付いたのはそのすぐ後だ。脱ぎ捨てた衣服もなかった。ぼろぼろだったから、捨てられたのだろう。

 ベッドに横になりながら、イユは右腕の袖をめくった。烙印が、露わになる。じっくりみたのは久しぶりだ。自分の腕の烙印を見る度、誤って消してしまいそうで怖くなったものだった。幼い頃、まだ異能をうまく制御できなかったときは何度か間違えてこの烙印を消してしまった。本来ならば一生消えないはずの烙印を、その度に何度も押されたのだ。

 熱にうなされ、苦痛に苛まれそれが終わったと思ったら、また……。

 さすがに何回も繰り返されれば異能の使い方もわかってくる。気づいたら烙印は他の異能者と同じように一生消えない傷となった。

 イユはそっと烙印に手を当てる。それだけの動作に、とくんと心臓が波打つのを感じる。心の奥底で一度芽生えたその恐怖が、ざわつく。この恐怖は烙印とともに宿っているのだ。だから烙印は消えない。消せない。


 ()()()から逃げても、本当の自由には程遠い。手を伸ばして掴みとった気でいても、自分自身も知らないところで、見えない楔に繋がれ続けている気がしてしまう。異能者というどうしようもない事実、異能という力、烙印。それらから目を背けることはできなかった。目を閉じても、付きまとってくるのだから。

 かつてセーレにいたという異能者のことを思い出す。その存在を聞いたときに襲われた暗い気持ちは、決して自分にとばっちりが来るというその思いのせいだけではない。考えてしまった。逃げて逃げて行きついたその先に安全なところなど果たしてあるのかと。レパードも言っていた。安全なところなんてわからないと。


「私はどこにいけば良いのかしら……」


 広げられた地図は全く知らない場所ばかり載っていた。イユが無知なだけで世界は広い。あのどこかに答えがあるのだろうか。

 惨めだ。何度も死にかけ何度も泣きそうになりながらそれでも自分がどこを目指せばいいのかもよくわからないでいる。何て惨めなのだろう。この広い世界でたった一人立たされている気分になった。いや、なったではない。最初から他に誰もいない。いつも一人で歯を食いしばってきた。


 どうでもよくなって枕を抱える。ベッドで寝たのは、いつぶりだろう。それぐらい懐かしかったことなのに、こんな気分で寝たからか。最悪な夢をみた。


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