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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
209/991

その209 『見つかった魔術書』

 甲板までの道を歩くなか、リュイスがふいに口を開いた。

「ところで、ブライトの屋敷というのは、都のどこにあるのですか」

 ブライトは既に一行から数歩分遅れている。

 ブライトの体力が落ちているのに気づいたイユは、少し速度を落とした。部屋にずっといたせいだろうか。それでも、頭ははっきりとしているようだ。ブライトから明快な答えが返る。

「一番奥の区域だよ」

 ブライトの話では、貴族は一番奥に住んでいるものらしい。

「広いの?」

「それは、もちろん」

 先頭にいたレパードが、甲板への扉を開けた。それで、イユたちの会話は中断される。

 外に出ると、空の様子がよくわかる。流れるような星たちがそれぞれの色に瞬き、そして赤い月が鈍く光っていた。珍しい色の月だなと、イユは感想を抱く。そのとき、冷たい風にうっすらと頬を撫でられた。さきほどまでとはうってかわった底冷えする寒さが、イユを出迎える。上着を羽織ってきて正解だったと、つくづく思わされた。

「へぇ、中々いいポイントを見つけたね」

 ブライトが頭上を見上げながら、そんな感想を口にする。着陸地点は真っ黒な岩壁にすっぽりと囲われていた。船を取り囲むように、上空も半分以上岩壁が覆っている。出口はセーレが入ってきた正面だけだ。これなら、よほど近づかなければ確かに船があることに誰も気づかないだろう。ミンドールは本当によく見つけたものだと、感心する。

「いいから行くぞ」

 レパードはブライトを見るのも嫌なのかもしれない。さっさと終わらせて戻ってきたいという顔で、ブライトをせっついた。

「いってらっしゃい」

 クルトが見張り台から顔を覗かせて、手を振った。その隣には、ミスタの頭部も見える。

 イユは、手を振り返す。刹那も、小さく手を振っていた。

「渡し板は用意した。いっておいで」

 声に振り返れば、ミンドールとマレイユが歩いてくる。

「見送りの人数が、少なくてすまない。他の船員たちは休憩中でね」

 順に交代して役目を回しているのだから、見送る人が少ないことに文句を言うつもりはなかった。それに、何も今生の別れではない。あくまで、物資の調達、そしてブライトを送り届けるのが目的だ。

「いってくるね」

 刹那がミンドールにも手を振る。気のせいか、今日の刹那はいつもより行動的だ。

 イユもまた挨拶をして、渡し板を下り出す。昼間とはうってかわった静けさが、しんしんと道の先に待ち構えている。その奥で、橙色の明かりに零れる都が見えた。四方を巨大な白い壁に囲まれているようだ。四角四面になっているがために、隠れられそうなところがない。思った以上に、侵入は難しいのかもしれない。

「イユ、待って」

 渡し板を下りきったその時、船内から飛び出てきたのはリーサだった。星の明かりを受けた彼女の黒髪が、甲板を背後にさらさらと光る。

「リーサ、どうしたのよ」

 突然の登場に驚いたイユが足を止める。見送りかと思ったが、それにしては随分焦って飛び出してきたように、イユには映ったのだ。

「確認を、しようと思って」

 駆け付けたリーサの目的は、別れの挨拶ではなかった。しかし、よほど急いでいたのだろう。荒い息をついていたせいで、整うまで待つことになった。

 その間、イユはどうしてか、イニシアでリーサと別れた日を思い出した。あの時のリーサは、マーサとともに甲板に出て、イユに手を振った。今回のリーサは、自ら甲板に出てイユに声をかけている。

「イユ。ブライトさんを送った後は、セーレに戻ってくるのよね?」

 落ち着いたリーサは、まずそうやって確認をとった。

 イユは思わずブライトの方を見た。そんなことを聞かれるなんて思ってもみなかった。

「当たり前でしょう。私はセーレにいたいのだから」

 振り返りながら、イユは言い張った。目的のシェイレスタにはこうやって到着したのだ。だから、次にイユが望む場所は決まっていた。

 それを聞いたリーサの瞳が、涙ぐむ。

 イユは、理解ができなくて、ただ茫然と彼女の口が開くのを待っていた。

「だったら、どうしてそんなに鞄に荷物を詰め込む必要があるの」

 イユは自身の鞄を見下ろした。それは追及されるようなことなのだろうか。

「大切なものだから入れておこうと思っただけよ」

 イユは鞄を開ける。そこにはリーサに縫ってもらった衣服と、カメラとノート、それに写真が入っている。どれもイユにとっては大切なものだ。

 しかし答えながらイユは、背後のブライトの様子が、気になって仕方がない。何か粗相をしていないか。不安を感じるが答えは出ず、どうしても落ち着かなかった。

「リーサ、いきなりどうしたんだ」

 イユの持ち物を一つ一つ手にとって確認するリーサに、不思議になったのか、レパードが尋ねる。

 しかし彼女は、品を確認するのに忙しい。一通り確認が終わった後、はじめてリーサはレパードに気がついた顔をした。しかし、レパードには取り合わず、代わりにイユを見つめる。最後に質問をした。

「ペンダントを見せてもらえる?」

 言われた通り、イユはペンダントを取り出した。白銀の紐を優しく引っ張って、宝石部分をリーサに見えるように渡す。

 それを見た一同が、息を呑んだ。

「イユ、その宝石の色はどうしてしまったの」

 イユは、リーサが何をいっているか全く理解できなかった。

 それを見かねてか、リーサが自身のペンダントを取り出す。彼女の手にある宝石は、星の光を僅かに映して深緑色を返した。

 一方、イユの宝石はアンバーを思わせる深い茶色をしている。

「色……?」

 違いを見せられても、イユにはリーサが何をいっているかいまだに分からなかった。

「分からないのね。分からないようにされたんだわ」

 リーサは悲痛な表情を顔に貼り付けた。イユとしては、その顔を剥がしたかった。リーサを悲しませたくなかったのもある。しかし、どういうわけか、今のイユは心が落ち着かなかった。気づいてはいけない何かに、警告されている気がした。

 リーサは、決意の表情に変えてみせると、ブライトのもとへと歩き出す。

 イユもそれに合わせて振り返る。そこに、ブライトが「あちゃー」と呻くのを聞いた。

 リーサの足が止まる。きりっとした大きな瞳が二つ、ブライトを見据えている。そして、確認をとるように、厳しくも凛々しい声を響かせた。

「ブライトさん。魔術書は、イユのペンダントに化けていたのね?そうなのでしょう」

 リーサの声はあくまで静かだった。静かなのに、その場にいる全員にはっきりと伝わった。他でもない、静かさの中に、明確な怒りが込められていた。

 追及されたブライトは、こりこりと頭を掻いた。それに合わせて結んだポニーテールの一房がばさばさ揺れる。そして、諦めたように、ブライトはリーサを見つめ返した。

「ばれない自信があったんだけどなぁ?」

 その言葉は、何よりの肯定だった。ブライトは考えるように、自分の目論見における自信の根拠を取り上げる。

「皆は魔術のことまではわからないし、無知な状態じゃ、あたしの言葉を信じるしかない。まさか魔術書がペンダントに化けるなんて思いつかないと思ったんだけど?」

 どうやって分かったのか聞いてみたいなとブライトは言う。その声音に茶化す要素はなく、至って正直に疑問を抱いているのが伝わった。

 それを受けたリーサが、静かな口調を崩さず、話していく。

「私も、寸前までもうだめだと諦めていたわ。でも、何かに化けているのだとは思ったの。もし魔術書がシェイレスタに既に渡っているのだとしたら、あなたがわざわざシェイレスタに赴く必要はないのだから」

 それならと、リーサは続ける。

「魔術書をシェイレスタに運ぶにあたって、あなたが執着したことに鍵があると思ったわ。それがイユだった」

「まぁそこはばれるかな」

 ブライトも、それを認める。

「でも、普通ペンダントの色が変わっていたら、イユ自身なら気づくと思うよね?暗示が掛けられてさえいなければ」

 その言葉に、反応したのはレパードだった。

「待て、暗示だと?暗示は、一人に一つしか掛けられないはずだよな?だから、ブライトは一度イユにかかっていた暗示を解いて、それから掛け直したという話だった」

 ブライトは、イユに『ブライトをシェイレスタのブライトの屋敷に連れていく』という暗示を掛けたはずだ。その認識があるから、レパードは疑問を抱いたのだ。そして、同時にその疑問には懸念が込められていた。ブライトがどこまで真実を話し、どこまで嘘をついたのかわからないという懸念だ。暗示を好きなだけ掛けられるかもしれない。そもそもブライトの屋敷に連れていくという暗示が嘘かもしれない。疑惑は、皆の心にも張り付いていく。

 その疑問にはっきりと答えたのは、リーサだった。

「きっと、暗示は一人に一つという条件は嘘ではないと思うわ」

 リーサが言うには、一人に一つだからイユに掛けられた暗示を解く必要があったのだと。

 そして、実際に暗示を解かれたイユの様子は、変わったという。

「そうよね?リュイス」

 リュイスが、リーサの確認に頷いた。

「はい、イユは以前より『生きる』ということに執着しなくなりました。死に急ぐわけではないですが、普通の反応になったと言いますか……、とにかくこの点について、ブライトは嘘を言っていないはずです」

 実際、イユにも自覚がある。わかりやすいのは、サーカスでシーゼリアに会ったときだ。シーゼリアに襲われたとき、あのまま助けが入らなかったらイユは刺されていたことだろう。しかし、『生きる』という暗示に掛かっていたときならば、みすみす刺されようとはせず、抵抗していたはずだ。そのため、リーサたちの推察には間違いはないといえる。むしろ嘘なのは――、

「嘘なのは、ブライトさんがイユに掛けた暗示の内容なのね?」

 リーサが、確認をとるように、ブライトに目を向けた。

 ブライトはお手上げというように手を挙げる。降参の合図だ。

「そこまでばれたら、ねぇ?」

 リュイスは唖然とした顔を崩さずに、イユに向き直った。

「それなら、イユがかかっていた暗示は、ペンダントの色が変わったことが分からなくなる、つまり記憶の一部をすり替えたというものなのですか?」

「まぁね。あたしに絡む記憶のせいで、あたしに執着しているのはその副作用かな」

 ブライトの肯定を、イユはぼんやりと聞いている。イユ自身には、執着した自覚がないからだ。

「でも、足元を掬われるってこういうことを言うんだね。まさか、魔術も使えない人間に、してやられるとは思わなかったよ」

 ブライトが、諦めの表情を浮かべている。

 それを見たイユは、何か言わなければと思うが、一方で口をつぐむべきだとも感じる。何より、今は自分にまつわる話をしているのだ。それでも、どうしてだろう。イユの感情は、うまく切り替えられない。まるで、鏡を隔てた向こう側で皆が話し合っているようにすら錯覚した。

 そんなイユに構わず、リーサたちの会話が続いていく。

「……正直、私は、もっと完璧な魔術だと思っていたから、暗示の内容が違うとまでは考えていなかったわ。ただ、完璧な魔術であればイユ自身も気づかなくても不思議はないのかなって思っていた程度よ。でも、ブライトさんはダンタリオンで魔術書が魔物に化けていたことを見破っていたと聞いて……、何らかの手段でそれが変化したものかどうか特定できるということは予測したわ」

 よかったと、誰かがそう呟いた。イユに掛けられた暗示が深刻なものではなくてよかったと。

 その呟きのせいか、イユの視界に唐突に自身のペンダントが入ってきた。おいていかれた思考の断片が、ようやく形になってイユに呼びかける。

 イユもブライトに向き直って、質問を口にした。

「それなら、本物のペンダントはどこにいってしまったの?」

 ブライトは、リーサから離れてイユに近づく。その動きに、レパードもリュイスも、少し離れたところから聞いていたミンドールやマレイユ、それにクルトも警戒した顔をする。しかしブライト自身は、どこ吹く風と流している。

 ブライトはイユの手に乗せられたままになっているペンダントを上から握りしめた。そして、ペンダントを自身の手元へとかっさらう。

 なくなった重みに、イユはこれが本当の姿だと言い聞かせた。今まであると思って身に付けていたペンダントの姿は、偽りだった。嘘のペンダントを肌身離さず身に付けて、毎日を過ごしてきたのだ。それが、今ようやく目に正しく映るようになったに過ぎない。

 ブライトは、イユの心の中の葛藤を知ってか知らずか、ウインクすらしてみせた。それから改めて開かれた両の瞳を、まっすぐにイユへと見据えて、にやりと笑った。本当はこのことを言いたくて仕方がなかったのではないかと、思わせるに値する笑みだった。

 そして、ブライトは告げたのだ。ブライトらしい、無邪気さを装った言い方だ。しかし、そこには、どん底に人を引きずり落とさんとする、剥き出しになった悪意が宿っていた。まるで、勝者が敗者に行う、死の宣告のようでもあった。


「見つかると面倒だったから、粉々にしちゃった」


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