その200 『シェパングの船』
航海室はイユの想像以上には荒れていた。思いもよらなかったが、船内は船内で揺れが酷かったらしい。
イユの部屋はくくりつけられたベッドや椅子があるぐらいのもので、散乱するほどのものがない。
しかし、航海室となれば話は別だったようだ。転がった椅子の一部は脚が折れているし、机の上に置いていたらしい地図やペンの類いは床に散乱した跡がある。片付けようと努力したらしいが、床にとんだシミは、間違いなくペンのインクだろう。引き出しも中身が飛び出したらしく、雑に書類を突っ込んだ様子で、一部がはみ出ている。
嵐に飛び込むと分かっていたのだから、それぐらい固定しておけばいいのに、全く気づかない男たちである。いくらリーサやマーサが日頃片付けをしていても、こういう部屋ぐらいはよく使う船員で管理すべきなのだ。そうでないと、リーサたちだけでは体がいくつあっても足りない。
ぎろっと見やれば、そこにいたクロヒゲが肩を竦めた。
ベッタは、怖いものしらずなので、イユの視線を浴びてもにやにや顔を崩さない。
「船長、今回の航海は痺れたぜ!」
それどころか嬉しそうな様子を隠そうともしないベッタに、イユは思わず脱力する。一つ間違えれば魔物の腹の中だったというのに、この操縦士の頭は本当にどうなっているのだろう。
「今どこに出たか分かりそうか」
ベッタの感想に取り合わずに、レパードが質問をする。答えは、クロヒゲが持っているらしく、両手を空に向けて降参の仕草をとった。
「上がどっちで下がどっちなのかも、わからなかったでやすからね。ベッタの話だと、シェパングのこの辺りに出たとのことでやすが」
この辺りといって、引き出しから乱暴に取り出した地図を指差す。
「上がどっちで下がどっちか分からない?」
意味が分からないと思いながらもイユは、引き出しの地図から片付けることに決めた。中身を一通り取り出して、机の上に丁寧に広げていく。
その間に、クロヒゲが言い訳のように説明をしだした。
「あの雲でやしたから、操縦していると上昇しているつもりで下降していることがあるんでやすよ」
援護するように、ベッタが付け加える。
「気を付けないと、あの尖った山から逃げているつもりでぶつかりにいくっていう罠があるんだぜ」
イユの頭の中で、セーレが魔物の隣で嵐の山脈に串刺しにされている絵が浮かんだ。思わず地図から手を離して、肩を抱き寄せる。
「何、その悪趣味な罠」
「嵐の呪い、なんて話もありやす。まぁそんなわけでやすから、ベッタ以外は現在位置を知るのも至難の業なんでやすよ」
レパードがベッタについて補足した。
「こいつは、その手の呪いは受けないタチらしくてな」
イユの中で、ベッタの評価が少々上がる。どうも、ただのスリル好きとは違うらしい。
そう思った直後で、ベッタがつまらなさそうに口を尖らす。
「その呪い、ぜひとも受けてみたいところなんだぜ」
「受けなくていいから」
僅かに上がった評価が再び下がるのに、さほど時間はかからなかった。
「それで、シェパングだったか」
話を戻されて、イユは改めて考える。ちょうど手元に世界地図の全体図が載っていた。イユたちのいたイクシウスが、世界の半分を占め、その東側をシェパングとシェイレスタが取り合っている。シェイレスタの方が面積は小さかった。そして、シェイレスタとシェパングの間には驚くほど点在するはずの島がない。また、シェパングにはところどころ船の絵も描かれていた。国名は読めるようになっても、地図に描かれた絵の意味まではよくわからない。
目的地は、シェイレスタだと言っていたはずだ。それなのに、イユたちは、どことも知れない異国に到達してしまった。
「話が違うじゃない。別の国に渡るなんて」
不満を隠さないイユに、レパードが首を横に振る。
「いや、これで正解だ」
きょとんとするイユに、説明を入れる。
「イクシウスからシェイレスタに行くには、見張りが厳重すぎて到底逃げ切れない。だが、シェパングからシェイレスタであれば話は別だ」
レパードの考えに、イユは、あっと声を挙げる。そんな方法があることに、気づかなかったのだ。
「そこまで考えていたのね」
「……マドンナの依頼だしな」
素直に感心しているのに、煮え切らない顔で返される。その表情の意味が、イユにはよくわからない。
「まぁそういうわけで、無事に目的地につきそうでやす」
胸をなでおろしてほっとするイユのもとに、伝声管を伝ってミスタの声が響いた。
「ここから北北西のところにシェパングのものと思わしき飛行船を発見した」
新たな情報に、またトラブルかとイユは眉間にしわを寄せる。昨日ようやく嵐の山脈を抜けたところなのだ。何事もなく、セーレを休ませてほしいのが本音だった。
レパードが自ら近づいて伝声管を手に取る。
「こちら航海室。相手の様子を教えろ」
すぐにミスタから返事が返った。
「飛行船より信号が届いているようだ。確認してくれ」
レパードが頼りない操作で、盤上をいじっている。暫くして、航海室のモニタに画面が映し出される。
イユはすぐに気が付いた。これは見張り台から見ている景色だ。そういえば、レパードはイユが報告をしなくても状況を把握している節があった。それには、こういうからくりがあったらしい。
モニタ上に小粒ほどの飛行船が漂っているのが見える。イクシウスの白船ともセーレのような木造船とも異なる、黒い船だ。正確には夜空のような深い紺色をしているが、遠くにあるせいで小さく見える今は、黒か紺か判別が難しい。それでも、船体の側面の櫂がゆったりと上下しているのが視認できた。赤い提灯のようなものがその櫂の上に位置する場所からぶら下がっているのも、かろうじてイユの目で捉えられる。
船の上部、細い竿でも伸ばしたかのような部分から突如、光が走った。
「何?」
眩しかったので攻撃でもされたのかと思った。だが、すぐにそれは収まり、また光りを繰り返す。
規則的な動きをしているかと思えば、点滅のタイミングが先ほどとずれる。暫く考えてから、ミスタが信号と言っていたのに気が付いた。何か合図を送っているのだと気づく。
「『こちら、シェパング国、円卓の朋が一人、抗輝の私有船。汝らは何者か』」
声に振り返ると、航海室の扉を開けてキドがやってきたところだった。
「キド、休み時間だっていうのに」
キドは右手親指だけを立てて拳を見せると、光の点滅を見ながら言葉を紡いでいく。
「『怪我人がいるようであれば救護しよう。繰り返す。こちら、シェパング国、円卓の朋が一人……』あとは一緒ですね」
キドの翻訳に感心しながらも、イユはこの言葉の意味を考えた。今まで、イクシウスにいたときはこうしたやり取りは一切なくいきなり襲われた。そうではないということは、この船にブライトや『龍族』が乗っていることには気づかれていないのだろう。そして、怪我人がいるようであればとわざわざ言ってきているということは、セーレが嵐にあった影響でボロボロなのを見て親切心で声を掛けてきているのかもしれない。それともそう思わせるための罠、だろうか。
レパードはキドを振り返った。
「返せるか」
「勿論です。そのための通信士ですし」
レパードに場所を譲られたキドは盤上を慣れた手つきでいじっていく。
レパードがそれを見ながら、返事を紡いでいく。
「『こちらはギルド船。魔物に襲われてこの有様だが、幸い怪我人は出ていない。よって救護は不要だ。厚意に感謝する』」
答えながら、レパードはイユを見た。
「お前の目で、船の様子は見えるか」
「このモニタ越しなら、大したものは見えないけれど……」
「武装が知りたい」
レパードに要求されるものの、イユの目に映るのは赤い提灯ぐらいだ。それでも一通り船の特徴を上げていくと、レパードは納得した顔をした。
「嘘を言っているわけではなさそうだな。個人で所有している船なら大掛かりな武装はない」
「でも、円卓の朋?よくわからないけれど偉そうな肩書きよね」
イユの疑問に答えたのはキドだった。
「偉そうも何も、実質イクシウスでいうところの国王みたいなやつらですよ」
「はぁ?!そんな大物なの?」
仰天するイユに、クロヒゲから説明が入る。
「シェパングは王政ではないでやすから、国王みたいな存在が数人いるんでやす。それを円卓の朋というんでやすが、その連中は、民の中から一時的に選ばれた代表者を指しやす。抗輝という男はそのうちの一人というわけでやすね」
あまりにもイクシウスとは異なる仕組みに、気にならないといえば嘘になる。イユの頭のなかでは、国王は常に一人だ。ところが、それがシェパングでは違うらしい。おまけに、気になったのはその条件だ。
「一時的に?ずっと国王をやるというわけではないの」
今度はベッタが引き取った。
「そうだぜ。任期は二年。人気があれば継続するが、大抵は別の奴に変わるが定めだぜ」
国王というと大物だが、一時的な国王と聞けば急にその価値が落ちる気がするのは何故だろう。
「ふぅーん」
興味をなくしたイユは、もう一つの疑問について聞いてみる。
「それよりもこうやってモニタが映せるなら見張りって本当に必要なの」
「明らかに今、飽きましたよね」
キドに突っ込まれて、イユは焦った。
「いいでしょう、意外と大したことないって思ったらどうでもよくなっただけよ!」
「否定はしないんでやすね」
クロヒゲまで呆れ口調だ。
「モニタは死角が多いんだよ。全てをカバーできるぐらい設置するのは金がかかる」
レパードが説明をしたところで、キドがあっと声を挙げた。
「返事がきましたよ。『承知した。ギルドの職務、ご苦労である。失礼する』」
ご苦労などとあからさまな言い方に、イユは眉をひそめる。
「何、やっぱり上から目線なのね」
「シェパングはマドンナの故郷でやすからね。円卓の朋からしたら、よく働く子分なんでしょう」
それはそれで、意外な情報だ。どうしてもイユにとってのシェパングは、刹那のような風体の人物のいる国という印象がしてしまう。しかし、それを言ったらラヴェンナもシェパング出身だ。恐らく、イクシウスで活動するにあたって服装を合わせているのだろうが、どうしてもマドンナがシェパング出身といわれるとかみ合わない気がした。
「気に入らないなら、突撃するか?俺は歓迎だぜ」
ベッタにうきうきしながら操縦桿を握られては、イユとしては止めるしかない。
「いや、頼むからよしてくれ」
レパードからも突っ込まれて、ベッタはつまらなさそうな顔をした。
この操縦士の頭は、本当にいかれているのではないのだろうかと、イユは何度も思ってしまう。こいつに付き合っていたら命がいくつあっても足らないだろう。
イユは再びモニタを見あげる。黒船は、既にセーレから去っていく途中のようで、もうイユの目でも豆粒以上の何物にも映らなかった。
「ところでだな、イユ」
らしくもなく遠慮がちなレパードの声に、イユの意識はモニタから引き戻る。
「何?」
レパードが机を指差した。
「さっきから、地図が皺だらけだ」
はっとした。いつの間にか、机の地図に皺が入ったり折れたりしている。突然の来訪船に、シェパングの国の在り方にと、聞いている間に驚いたり飽きたりしたのは覚えている。どうも、イユには記憶がないのだが、その時に無意識に地図を触ってしまったようだ。
「早く言いなさいよ!」
八つ当たりだと思いながらも、イユはそう叫び返しながら必死に地図を伸ばし始めた。




