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カルタータ  作者: 希矢
第三章 『烙印を隠せ』
20/1007

その20 『一日目(前半)』

「タオルと服はここに置いておきますからね」

 わざとお湯を出しっぱなしにして様子を窺っていると、声だけ掛けてマーサが出て行った。

 すぐにお湯を止めると疑われるかもしれない。そう思い、頭の中で三十秒だけ数える。


 熱湯が体を叩きつける。冷たくないシャワー。うっすらと記憶にあるが、正確には何年ぶりなのだろう。


 お湯を止め、カーテンを少し開けてタオルだけを手に取る。どのような素材を用いたらこうなるのだろう。ふわふわだった。

 きちんと畳まれて置かれていた服は、深い緑色をしていた。広げてみると、ひらひらのドレスの形が露わになる。上着も別に用意されていて、そちらは青みを帯びた緑色だった。

 イユの趣味だと思われたのだろうか、着合わせが先ほどまで着ていたものと似ている。イクシウス自体が寒いので心配はしていなかったが、この服ならば腕が露わになる危険性はない。


 着替えて浴室を出たイユを、マーサが待っていた。手に櫛を持っている。

 それを見たイユは、不思議な気持ちに囚われた。自由という単語がイユの頭に浮かんでは、警戒を促す心の声によって掻き消されていく。マーサに悟られないように、その気持ちを振り切った。

「服はどうかしら? 大きくない?」

「平気よ。満足しているわ」

 正直に答えると、嬉しそうな表情を浮かべられる。

「それは良かった。実は少し心配していたのよ。大きすぎやしないかって」

 袖の部分がたぶついているぐらいで、むしろぴったりである。

 どうしてこれほどぴったりの服を用意できたのかと聞くと、イユの髪を梳かしながら、船にいる同じぐらいの背格好の女の子が貸してくれたのだと教えてくれた。

「髪を梳き終えたら、食堂に行きましょうね」

 お腹、空いているでしょう? と言われる。食事は有り難いが、同時に憂鬱だ。

「皆、食堂にいるのよね?」

 レパードが保証する限りでは、できる限り希望を聞いてくれるらしいが実際のところどうなるかはわからない。

 発言に気をつけなくては、最悪の場合、イクシウス政府に突き出されたとしてもおかしくはない。特に烙印のことはばれてはいけない。

「えぇ、でも心配しないで。皆いい人たちだから」

 心の底から精一杯の否定をしたくなったが、反論はしないでおいた。マーサも、この船の船員なのだ。下手なことは言わないでおくに限る。



 部屋から食堂までは思いのほか近かった。食堂は船の中心にあり、どの部屋からも行きやすい構造になっているらしい。

 マーサが入り口を開け、「さぁどうぞ」と手招きをする。


 はじめにイユを出迎えたのは眩しいばかりの光だ。自然の光ではない。食堂の中心にある巨大なシャンデリアが、硝子の光を反射させてきらきらと光っていたのだ。その周りを四、五人ほどが座れる白いクロスを掛けられたテーブルが、何脚も用意されている。さらにその奥には幅広の階段があった。吹き抜けているため、二階にも同じような空間があることがわかる。


 何ということだ。ますます、この船がわからない。これがぼろぼろの食堂でガラの悪い男だらけならば、空賊だろうとアタリをつけられたというのに。


 生憎と、テーブルにいる船員たちもガラが悪い者から、リュイスほどの少年やら、庶民風の男やらと、幅が広い。

 その船員たちのテーブルの上には、食事が用意されている。赤、緑、白。鮮やかな料理は見ているだけで食欲を誘う。どれも見たことのないものばかりだ。

「おい。料理ばかりみてないで、気づけ」

 失礼な台詞を吐いたレパードを探してみれば、すぐに見つかった。リュイスと刹那も、彼の隣に座っている。椅子が一席余っていて、手招きをしている。あそこへ座れというのだろう。

 すっとマーサが離れる気配がした。

 彼女を見やると、にこりと笑みを浮かべられて「行ってきなさい」と言われた。彼女には別の席があるのかもしれない。


 イユが着席すると、船員たちの視線が一気にイユへと集う。妙な静けさに突き刺さるような視線が、本来食堂が持っているであろう優雅な雰囲気を、打ち破る。

「服、変わった?」

 そうしたなか、空気を読まずか敢えてか刹那から質問がくる。

「えぇ。貸してもらったの」

 イユの声が食堂の奥にまで響いていく。大勢の人がいるにも関わらず、話をしているのがイユだけだからだ。重々しい雰囲気に、胃がきりきりとした。

 気を紛らわすために、刹那を見ると彼女の服も白系から紺青色へと変わっていた。ただし、異彩なのは変わらずだ。リュイスも黄緑色の衣服を着ていた。あの傷だらけの服はイユからみてもひどかったので、着替えて当然だ。

「あんたは、服替えないの?」

 一方のレパードは全く変わっていないようにみえる。よく見ると、髪がしっとり濡れているのでシャワーは浴びたようではある。

「替えたぜ」

 と、本人は言うが違いが見られない。

「……レパードは、似たような服をいくつも持っているので」

 リュイスの発言に納得した。なるほど、そういうことをしそうな男だ。

 それから、「おや?」と首を傾げる。今までのリュイスも自信がなさそうだが、今のリュイスは特に頼りなく感じる。最もこの雰囲気だ。プライドがそうさせないが、イユであってもできれば長居したくない。

「まぁとりあえず先に食え。話はそれからだ」

 レパードがそう言って、木の皿を寄越す。

 淵に掘ったような切り込みが規則的に入った皿だ。すぐにパンが乗せられた。湯気が出ていて、見るからにふわふわだ。

 見上げると、白い帽子をかぶった男と視線が合う。テーブルの中央に置かれていた赤いものを指差し、それからサラダを指で示すと、席を離れていった。これらを食べろということらしい。

 ごくりとイユの喉が鳴る。色とりどりの食事は、初めてだ。

 刹那のお皿を見るとパンの上に葉、その上に赤くて薄いものがのせられていた。リュイスが同じようにのせようとしている。それらを真似て、盛り付ける。

 真っ白いパン一枚でも珍しいというのに、具まであるとは贅沢なことだ。

 パンに具材をのせた状態でそのまま口まで運ぶ。一口、かじった。

「……どうだ?」

 見上げるといつの間にか戻ってきた白い帽子の男がいる。この空気の中、感想を所望らしい。

「……おいしい」

 素直に答えるイユに、男は満足したようにまた去っていく。

 イユは小首を傾げた。あの男は、何なのだろう。

「さぁ、お前らもじっと見てないで食べろよ。また取り合いになるぜ」

 レパードが声を掛けると、一気にざわめきが生まれた。心なしか、息が吸いやすくなる。

 もっと早く助けてくれてもよいのに、とレパードを見ると、何を勘違いしたのか先ほどの男について教えられた。

「あいつは、ここの料理長だよ。コック帽、かぶっているだろ?」

 紹介されたことに気付いたのか、またふらりと男がこちらへとやってくる。

「センだ」

 名前だと理解するのに時間がかかった。名乗り返す。

 センは長身痩躯の無口な男だ。コック帽というらしい、白い帽子がさらに彼を高くみせている。折角なので、聞いてみた。

「この、赤いのってなんなの」

「生ハムだ」

 レパードは少し驚いた顔をする。

「おいおい、イクシウスの定番料理じゃないのか?」

「知らないわよ」

 その定番とやらはどこの家庭を指しているのかと言ってやりたくなる。最もイユ自身がイクシウスならではの料理をあまり知らないのも事実である。そういう意味では、下手な質問は控えたほうがよいのかと考える。

「シェパングのと、どっちが好き?」

 刹那が聞く。シェパングといえばあの赤い実の入ったライスだ。

「……生ハム」

 味に拘りはないが、どちらか選べと言われれば答えは自然と出てくる。同じ塩辛さがあっても断然こちらだ。心なしか静かになった刹那のことは気に留めず、イユは手元のパンをかじった。

 ふわふわのパンに、塩気の効いたハム。噛めば噛むほど、食べ物から味が溢れてくる。これらの料理は一体どうやって用意しているのだろう。あまりの感動に喉が詰まりそうになる。涙目になったのは、そのせいだろう。

 イユは誤魔化すように、これでもかというほどパンを頬張った。きちんとした場所で、ちゃんとした食事のための時間が与えられ、こうして頬一杯に頬張ることができる。これほどの幸せに巡り合えたのはいつぶりだろう。

 そうこうするうちにパンを食べ終わってしまい、テーブルの上が徐々に片付けられていく。

 名残惜しいが、十分すぎるほどに食べた。手元には木の容器だけが残される。容器から飛び出ているストローを咥える。驚くことに中身は水ではない。甘い果実のエキスだ。感激のあまり、ジュジュッと吸い込む音が鳴った。


 一人盛り上がるイユを差し置いて、綺麗になったテーブルへと、一枚の羊皮紙が載せられる。レパードがどこからか取り出してきたものだった。巻かれたそれを両手でばっと抑える。

 その動作と音が、一気に食堂を静かにした。緊張した空気が世界を染め上げる。

 さすがのイユも船員の一人に空になった飲み物を渡すと、羊皮紙へと視線をやる。そこに描かれていたのは、地図だ。イクシウスの一部の地形ならば、イユも把握している。

「今はここにいる」

 レパードは前置きもなくイユに向かって話し始めた。レパードの指はレイヴィートの大陸から僅かに離れた空を指している。

「単刀直入に聞こう。お前はどこに行きたい?」

 きっと、その質問はレパードたちにとって大きな意味を持っていた。以前問題を起こした異能者と同じ存在をど

う扱うか、イユの答え方次第で結論が出るからだ。

 しかし、イユの答えは彼らの思惑とは関係なく、一貫している。これだけは、変わらない。

「安全なところよ」

 イユの言葉はどうも反応がしづらかったようで、レパードは困惑した顔をみせた。

 曖昧すぎるのは、イユとしても百も承知だ。残念なことに、イユ自身はっきりここがよいと言える場所はないのである。

「……それは、異能者が捕まりにくい場所ってことか?」

「それで、命の危険がないところ。海に放り出されたらたまったものじゃないし」

 考え込むような仕草をされる。このような答えが来るとは想定していなかったようだ。きっと具体的な地名を言われると思っていたのだろう。返答に悩む様子をみせた後、追加で質問をされた。

「イクシウスからは出たいか?」

 当たり前だ。このような恐ろしいところ、さっさとおさらばしたい。

 そう、口に出そうになったのを理性で押しとどめる。得られる知識は、出来るだけ得ておきたいと考えたからだ。

「……イクシウスは他の国と比べてどうなの?」

「イクシウスの魔術師たちは特にたちが悪いって話は聞く」

「それなら、出るに越したことはないわね」

 地図を指差したレパードの、指先を追う。

「俺たちは今、ここから……」

 今いる地点から豆粒のような無数の岩が描かれている絵まで、指がなぞられていく。

「リバストン域を通って」

 そして小さな島に辿り着いた。中心に塔のようなものが描かれている。

「ここ、イニシアで一度補給する予定だ」

「ここは、イクシウス領なの」

 あまり質問するのもどうかと思いつつ、知らないものはどうしようもないと開き直る。

 恐らくイユが神経質になっていただけなのだろう。尋ねるイユに対し、レパードは特に訝しむ様子を見せず、頷いてみせた。

「あぁ、そうだ。だから警戒が必要だ」

 そのあと、とレパードが続ける。それぞれの国の切れ目なのだろうか。点線が敷かれたちょうど中心に一つの島があった。そこに指をあてる。

「ここが、イクシウスとシェイレスタとの国境の境目にある街、インセートだ。形式上はイクシウスだが、まぁギルドの管轄化にあるところだな」

 島には水車らしいものが描かれている。

「ひとまずはここに向かう予定だ」

「ここは、安全なわけ?」

 そうだなぁと、腕を組んで考える様子をみせた。

「一言に安全なんていう場所は俺には分からん。だが、ここはイクシウスが口を出しにくい地でもある。そのせいか犯罪者の温床になりやすい。逆に、異能者には住みやすい場所かもな」

 聞いているとあまりよい場所ではなさそうだが、悪い話でもないと判断する。

「いいわ。そこまで連れて行ってもらえる?」

「あぁ。だが、条件がある」

 何を提示されるのかと息を呑む。レパードに指を三本掲げられた。

「まず、大人しくしていろ。面倒事は起こすな」

 それなら全く問題ないなと思っていると、眼帯のしていない左目が呆れたように細められる。どういう風にみられているのだろう。気に入らない。

「……それから、お前の知っている範囲でいい。情報は出せ。最後に、俺らについては聞くな」

 情報を提示しろと言いながら、レパード自身は何も情報を与えるつもりはないとは、あまりに身勝手な言い分だ。文句を言うか悩み、思い直した。イユが聞きたいのは、この世界における生きるための術だ。レパードたちの船がどこかおかしくて何かを隠していたとしても、すぐに別れるのであればそれはイユの知るところではない。彼らの隠し事には興味がないのだから、互いの利害という点で見ればこの話には何も問題はないだろう。

「いいわ。その条件、呑んであげる」

「交渉成立だな」

 交渉というにはあまりに一方的だと思ったが、口に出すようなへまはしない。

 レパードは席を立つと、

「聞いたな?」

 と念を押すように、周囲を見回す。

「信頼するとかしないとかそれ以前だ。ただ乗ってきちまったから、とりあえず途中までは運ぶってだけだ。仲良くしろとは言わないが、よろしくしてやってくれ」

 船員たちは納得したのだろうか。少なくとも表面上は、船長の言葉に大人しく頷いているようにみえた。


 昼食が終わり、解散する。船員たちはそれぞれの持ち場へと散っていく。ひとまず、乗り切ったと言ってよいのだろうかと、自身を振り返る。

「ふぅ……」

 息をつくと、「疲れたか?」と声を掛けられる。

「別にそんなのじゃないけれど」

 俺は疲れたと、のびをするのはレパードだ。

「若いってのは疲れ知らずでいいねぇ」

 羨ましそうに言うので、誰が一番大変だったのかと考え込んでしまった。

「あんた、何かやったっけ?」

 こいつが、船長というのがいまいち信じられない。大体どうして龍族が……と考えて、やめた。その情報について聞くことを禁止されたばかりなのだ。

「あのなぁ……」

 と、何か言おうとしたレパードの視線を受ける前に、

「まぁまぁ」

 と、リュイスが落ち着かせるように止めに入る。

 それで、レパードは口に出す言葉を引っ込めた。

「とりあえず着くまではあの部屋を好きに使えよ」

 代わりに、そう告げるに留める。

「大体どれぐらいかかるの?」

「順調にいけば十日だ」

 順調という単語で思い出す。


 ここはイクシウス領なのだ。まだ奴らが追いかけてくる可能性がある。今度は頼むから落ちないでほしい。いやそれ以前にもう会いたくない。


「船内は自由に歩いてもいいのですか?」

 黙り込んだイユにかわってリュイスが、レパードに質問する。

「あぁ……、まぁ、いいか? 不味いものもないし」

 随分てきとうな船長だ。

「少しでも怪しいことをしたら、そのときは部屋に閉じ込めるからな」

 一々念押しするところが気に入らない。

「わかっているわよ」

「まぁひとまずは、イクシウスの情報が知りたい。場所を変えるぞ」

 そう言ってレパードが席を立つ。早速情報を吐けということだろう。

 自由はないが、文句は言わない。大人しく従う。リュイスも、刹那も立ち上がる。刹那はついてくるのかと思ったら、食堂を出たところで離れて行った。別の仕事があるらしい。


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