その196 『乱舞』
そこに、激突音と衝撃がセーレを襲った。風で煽られるのとも魔物がぶつかった時とも違う下から上へと突き上げるような揺れが、イユを打った。その勢いで、二人が折り重なるようにぶつかる。
「何?」
答えを探して、手すりから乗り出し眼下を見渡す。先ほどまでここは雲で覆われていたはずだった。だから、覗いたところで見えるのは暗雲だったはずだ。ところがその衝撃は雲すらも弾き飛ばしたかのようで、奇妙に晴れ渡っていた。そのせいで、イユは捉えてしまう。先ほど倒した魔物の胴が、嵐の山脈の、そのとがった針のごとき山に突き刺さっているのを。
そして、その胴体が眩しく光り、イユの目を焼いた。思わず呻くイユに、リュイスが何事かと駆け付ける。その行動と、次のレンドの警告がほぼ同時だった。
「油断するな!全員、武器を構えろ!」
その叫び声を耳にした全員の間に、緊張が走る。魔物は倒したはずだ。それなのに一体何事なのかとレンド以外の者たちは疑ったことだろう。そして、その答えは少ししてやってくる。
それは、先ほどの魔物に比べたら遥かに小さな、それでも人一人に匹敵する大きさほどはある、蛇だった。その口は獲物を見つけて大きく開いている。そこからは、人の体など一瞬にして食いちぎられそうなほどに鋭く伸びた牙が生え揃っていた。
それら蛇の魔物が、下から上へと飛びあがるように浮かび上がり、そしてイユ含めた船員たち全員に目掛けて飛びかかる。
「イユ!」
イユはまだ目を焼かれた衝撃から立ち直れずにいた。それでもリュイスの警告の声に、イユの目の前に現れたその気配に、何とか顔を上げる。異能の力を最大限引き出して持ち直したイユの目が捉えたのは、イユを食らおうとしている蛇の瞳にイユの顔がちらりと映った、その瞬間だった。
リュイスが腰の剣を引き抜く気配を追い、しかしイユは立ちすくむ。一瞬だけ治った目は、けれどまだ万全ではない。それに、その時にはもうリュイスはイユの前へと飛び出ている。
「リュイス!」
訳も分からず叫んだイユの声と魔物の断末魔の声が重なった。まだ視界がちかちかする。それでも、あっという間に、一匹の魔物を斬り伏せたリュイスが、血糊を払いながら振り返るのが分かった。イユが無事だと気づいてほっとした顔をしているだろうことが、見えていなくても分かった。
それで、イユもようやく安心する。
しかし、そこで剣戟の音を拾ったイユは慌てて、甲板に乗り出した。レンドは全員に武器を構えろと言った。それは今の一体だけではないことを意味することに、気が付いたのだ。幸い光はもう発せられておらず、また目を焼かれる心配はない。雲が振り払われた後となっては、見張り台から太陽を見ているよりも見張り台から甲板を覗く姿勢を維持した方が、結果として影になり、目にも優しかった。
「皆!」
叫びながら、イユは見た。シェルに飛びかかろうとしていた一体に向かって、レンドがダガーを突き刺している。さらにシェルに飛びかかろうとしたもう一体には、ミンドールが向かっていった。シェルは突然のことに驚いたのか腰を抜かしたように地べたに尻餅をついているが、この分であれば無事だろう。
次にイユの目に飛び込んできたのは、船の中ほどで刹那が五体の魔物に囲まれている場面だった。恐らく、魔物は船員たちのなかで最も小さくて弱く見えるもの、つまり子供を狙ってきているのだと、シェルと刹那の様子から判断する。
普段の刹那が相手ならば心配はしないところだが、さすがに五体もいるとなると分が悪い。ひやっとしたイユは、リュイスに魔法で援護するようお願いしようとしたところで、視界の端に移動した刹那に魔物が飛び掛かる瞬間を確認する。
間に合わない、そう思ったイユが再度振り返ると、刹那が魔物の下から滑るようにすり抜けて走っていくところだった。その刹那の手にナイフが握られているのが目に入る。
五体の魔物が同時に自分たちの頭部にぶつかりあって呻いていたが、そのうちの一体が甲板に崩れ落ちた。一番早くに飛びかかった魔物の腹部を斬りつけるようにして地面をスライディングしてみせたのだと思い当たる。このような芸当は、『異能者』のイユも顔負けだ。
しかも刹那は時間を無駄にしない。呻いている四体から逃げるどころか反転して駆けていったのだ。
その動きに気付いた魔物のうちの一体が刹那へと振り返るが、その時にはもう魔物の目に向かってナイフが突き刺されている。
別の魔物が牙を向けて飛びかかってくるのを確認した刹那は、悲鳴をあげる魔物は捨て置き、体を時計回りに回す形で反らして回避。避けざまにナイフで尾を一閃してみせる。
その刹那を頭上から丸のみにしようともう一体の魔物が飛び掛かってくるが、それすらも屈みこんですり抜ける形で回避。
甲板に激突する魔物の胴を横なぎに斬りつけると、すかさず初めに突き刺した魔物へと走り寄る。まだ目をやられて唸っている魔物の背に向かって飛びかかると、全体重を乗せる形でナイフを突き刺した。
断末魔の声が響き渡る。
その間に、刹那の援護にやってきたらしいレンドが、尾を斬りつけられただけで済んでいた魔物に向かって、斬りつけにかかる。
ナイフに愛されているというレベルを超えている動きに、イユは唖然とするよりない。レンド、刹那たちがいた反対側では、ジェイクとマレイユが一体の魔物を交互に斬りつけることで何とか消耗戦に持ち込んでいる。それが見えているから猶更だ。
「船内に魔物が一体入り込んだ!」
突然のシェルの言葉に、イユははっとした。見やればいつの間にか、甲板から船内に入る扉に大穴が開いている。ちょうど蛇が一体入り込めるほどの大きさで、蒼白になる。船内には戦えないリーサたちやブライトがいるのだ。




