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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
193/990

その193 『嵐の主』

「リュイス、見張り台に行きましょう」

 リュイスの風の魔法が最も効力を発揮するのは、セーレ全体を見渡せる見張り台だ。そしてなるべくリュイスに魔法の集中をさせるために、イユもリュイスとともに見張り台に上がろうと思った。もし、イユの判断が間違っていたら、誰かが忠告するだろう。

 実際、誰も否定はせず、イユとリュイスは見張り台に続く梯子を登りだす。先ほどまでと違い風が吹いていないので、梯子があらぬ方向に揺れる心配もない。しかし登っている間に、思い出したかのような猛烈な雨が降り注いだ。アマモドキのおまけつきなのは言うまでもない。

 見張り台に上がると、刹那とミンドールが手分けして戦っていた。ミンドールもナイフを扱うらしく、手すりに乗ったアマモドキの瞳を刺しては引き抜いている。その隣で刹那が立て続けに落下してくる魔物を斬り伏せていった。その動きに無駄がなく、また一切の妥協がない。長時間戦い続けているとは思えないほど洗練された動きに、イユは下手をしたら『異能者』の自分以上に疲れを感じていないのではないかと疑った。おまけにこの雨のなかで刹那は傷どころか服のほつれ一つ起きていない。片割れのミンドールがところどころ傷ついているのが、嘘のようだ。

「刹那たち、交代よ!」

 そう言いながらも、イユは内心そう言ってしまっていいのか戸惑う。リュイスの集中を考えたら、刹那を残すのもありな気がしたのだ。

 その刹那は、少し首を傾げて、返事をした。

 叫ぶわけでもない、いつもの口調だったが、距離が近いからかイユの耳に問題なく届いた。

「ん、分かった」

 それから、刹那は軽い動作でナイフを上へと突き上げる。

 イユの目には、刹那がふいに握っていたナイフを傾けたようにしか見えなかった。

 ところがそこにアマモドキの瞳が降ってくる。まるで狙ったかのように串刺しになったそれを見張り台の手すりを使って引き抜くと、血糊をはじくように刃を振り払った。アマモドキだった残骸が僅かに遅れて手すりから落ちていく。

 イユは冗談抜きでサーカスの曲芸を目の前で披露された気がした。唖然としている間に、イユの脇を通ってすたすたと刹那が梯子を下りていく。

 「イユは休まなくて大丈夫かい」

 ミンドールが気遣うように声を掛ける。

 しかし、イユが再び外に出る前からミンドールは一人見張り台にいたはずだ。ここでイユが休んだら、ミンドールは休めなくなるだろう。

「平気よ。ミンドールの番」

 その言葉に、ミンドールは反対しなかった。

「それじゃあ僕も下りるとするよ」

 刹那に続いて、若干ふらつきながらも下りていく様子を鑑みるに、ミンドールも疲れが出ているようだ。

 その間に、雨足が更に強くなる。そのときになって、イユは見張り台から瞳を退治する人手が減ったことを急に意識した。大慌てて振り落ちてくるアマモドキたちを狩りにかかる。

 風の心配はなくなり暗雲に周囲を取り囲まれることがなくなっても、落雷の危険が減ろうとも、嵐は容赦をしなかった。雨はイユたちの体力を奪うのに一役買った。魔物はどれだけ生み出されているのか、イユたちに休む暇を与えなかった。終わらない戦いが、延々と続く。

 それでも、じっと耐え忍べば雨が止む一時が訪れる。それは雲間における僅かな隙間だが、その時間を利用してイユは水分補給に勤しんだ。忙しさを言い訳にすると頭がぼんやりしてくることは、身をもって知った。この小さな積み重ねが大事らしく、体がだいぶ楽になるのを実感する。

 しかし、木桶は全く機能しなかった。真ん中に大穴を開けた木桶では役に立たないにも程があった。だからリュイスが持ってきていた木桶を借りて奮闘したが、すぐに初めの木桶と同じ命運を辿った。そのせいで、見張り台は常に水に溢れていた。手すりから零れ落ちる水が甲板にいる者たちに、あわや降りかかるところであった。それが分かっていても、穴が開いた木桶で水を逃がすことができないのは自明だ。それどころか足元、てすりの隙間から水が逃げ出せないぎりぎりの範囲において水に浸かり続けるのは、常にブーツが水を吸っている状態を生む。気持ち悪さなどとうに通り越してどうでもよくなってはいたが、重たく冷たくなる足はどうにかしたかった。

 異能を使っても自然と鈍くなる動きに、魔物を退ける速度は落ちた。リュイスも魔法を使いながら時折自分の周囲をその剣で薙ぎ払ってはいるが、それでも限度がある。それにどちらかというと生命線でもあるリュイスにあまり余計な神経を使ってほしくはない。その為にイユは戦い続けた。

 甲板ではミスタやぼろぼろのジェイクと代わって、レンドに刹那が入った。刹那は相変わらず無傷で、軽やかだ。あの底なしの体力は見習いたいところであった。思い返してみれば、過去に刹那が体力的にイユたちに劣っているところを見たことがない。しかし、刹那は『龍族』でもなければ『異能者』でもない。体力の使い方に何かコツがあるのかもしれない。

 だがこの現状では、そんなことを聞いている余裕は到底なかった。むしろこうして考えられるようになったのも、後になって思い返したから浮かんだもので、今のイユには目の前の魔物を払いのけることしか頭にない。

『深淵』を抜けてから時間にして1日半以上が経過した頃には、イユたちは疲労困憊になっていた。時折休憩を挟みはするものの、満足に眠ることもままならない。特にリュイスやレパードはそうだろう。リュイスを見やれば、明らかにぐったりしていた。

 そんな時だった。レパードから伝声管を通して通達が入る。

「そろそろ嵐の山脈を抜けてもいい頃だ。あとひと踏ん張りだぞ」

 その言葉は一塁の希望となって、イユを励ました。疲れていたはずの手に力が戻ってくる気がするから不思議なものだ。イユは、手すりに引っかかるようにして取り残された最後のアマモドキを、せいやっと弾き飛ばした。

 雨足が先ほどから遠のきだしていた。だから、落ち着けたこの瞬間に安堵して、いつか晴れるだろう空を期待して外を見回す。そのせいで、イユの目はそれを捕えてしまった。

 それは、どんよりとした雲の中には相応しくない、青い何かだった。雲のなかから現れたその一瞬だけで、イユは魔物の類だと気が付いた。これだけアマモドキがいるのだ。他の魔物が存在していても、何もおかしなことはない。

 しかし、ぞくりと肌が粟立つのを止めることはできなかった。雲のなかから見えた一時でも十分に分かる。それはしなやかな胴だった。その体だけで、セーレほどの船の大きさはある。とても巨大な何かが、セーレの前方で翻ったのだと分かった。

「前方に何かいるわ!」

 ひとまずと掴んだ伝声管は、アマモドキにやられてあちこちが溶けていた。それでも何とか音を運んでいく。

「何かってなんだ」

「青いの!それと……」

 イユの目は再びそれを捉えた。胴が今度は視界の右端に現れる。くの字に曲がったそれには間違えようもない、鱗があった。空色の美しい鱗だ。しかし鱗一枚一枚がイユの顔ほどはあるかもしれない。そして、それを覆うような長い毛が、そこにあった。それはさながら鳥の尾のようで、そこからは神々しさすら感じさせられた。

「龍?」

 連想させられる言葉はそれだった。しかし、そのイユの言葉を打ち消すように、呻く声が伝声管から響いた。

「『空の大蛇(スカイサーペント)』……!」

 それは、レンドの声だった。

「逃げろ!こんな船じゃすぐにやられちまう!」

「レンド、知っているのか」

 イユの疑問をレパードが代わりに口にする。

「こいつは、大砲を何門も持って初めてまともに、いやそれでも死者を何人も出した化け物だ」

 なんでこんなところに出るんだよ、畜生!とレンドの声が響き渡る。その様子から、そして実物をわずかに見て予測できる大きさから、イユの胸にも不安が沸き起こる。何かとてつもなく最悪なものに遭遇してしまった絶望が、この身を引き裂いた。


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