表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
192/990

その192 『雷、そして風』

 けれども、こびりついてくる不安は消せない。疲労は重さとなってイユの四肢にしがみつく。動きの鈍ったイユを更に弱らせようとして、冷たい雨がさめざめと降りつける。そこにアマモドキも加わった。

 気が狂いそうだった。不安が裏返って胸を焼き、逸る気持ちが湧き上がってくる。せめて誰かの無事を確認したかった。闇の(ヴェール)を何度もめくりあげる。それでも、誰の姿も確認できない。

 けれども、この孤独の戦いに耐えるには、一刻も早く暗闇から解放される必要があるのだ。そう思ったイユはアマモドキごと霧を再三にわたって振り払う。そうすることで、少しでも纏わりついてくる暗雲を追いやりたかった。

 その時だ。延々と続く闇との攻防が、突然何の前触れもなく終わった。視界が晴れたのだ。暗闇から仲間の姿が徐々に浮かんでくる。助かったと思った。見た限り皆もまた無事の様子で、胸をなでおろした。

 しかし、安堵も束の間、今度は滝のような雨が降りつける。一瞬にしてその場から音をかっさらった豪雨には、幸いアマモドキは紛れていなかった。あれらはどの雲にもいるとは限らないらしい。しかし、闇に慣れた一行に覆いかぶさった雨は、先ほど以上に重たく冷たかった。体から体温が奪われていく感覚に、これだけ体を動かし続けていても体は温まることはないのだと思わされた。

 そして、今度は激しく船が揺れた。何かと思う暇もなかった。イユの体が不意に風に煽られ飛ばされそうになる。かろうじてマストにしがみつくと、同じように飛ばされかけたシェルがミスタに腕を伸ばしたところが視界に入った。腕をつかんだミスタが、その場で踏ん張るようにして風に耐える。

 その先の雨雲から見える雨が、文字通り斜めに降り注いでいるのを見つけて、風の強さを妙に実感した。だが、目に入ったのはそれだけだった。あとは満足に目も開けていられないままマストにしがみつくことしかできない。

 軽いのだろう、残っていたアマモドキたちが飛ばされていく。その気配を確認したイユの背中に、突如灼熱の痛みが走った。かろうじて、悲鳴を押し殺す。アマモドキの一体がイユの背中にぶつかったのだと、察した。

 そのアマモドキはぶつかるだけぶつかっておきながら、風に流されてすぐに空へと飛んで行く。

 それでも残った痛みが、イユを変わらず焼いた。

 歯を食いしばって、イユは意識を背中に持っていく。すぐに痛みが取れたが、治したわけではない。マストにしがみつくのに忙しい今、痛みを完治させるだけの心の余裕が残っていなかった。

 改めて、リュイスの凄さを感じる。無意識で力を発動させることはできなくても、リュイスは戦いながら魔法を使うことのできる器用さがある。同時にいくつものことを考えて動くのは、イユには至難の業だ。その一つの動作が異能を使うことであれば猶更だった。

 風の次は、雷雨だ。立て続けに発生する雷が、セーレを横断する。その一部の光がセーレの真横へと飛び散って、イユは熱を感じた。

 あっと声を挙げる暇もなく、てすりが黒く焼け焦げ、その近くに火種となる何かがあったのか、火の手が上がった。

「早く火を消さねぇと!」

 真っ先にジェイクが木桶にたまった水をかけた。

 こういうときに限って、雨はあまり役に立たなかった。火を消すには、ただ降り注ぐだけの雨では役不足らしい。

 イユも殆んど溶けて機能しなくなっている木桶に僅かばかりの水をためて、火の手にかける。

 ジェイク、イユ、マレイユ、シェル、ミスタの五人がかりだ。何回も水をかけるうちに、どうにか火が収まっていく。

 しかし、ほっとするのも束の間、てすりから、みしりと音が鳴った。

「離れろ!」

 ミスタの警告に皆が慌てて後ずさる。

 そのすぐ後のことだ。いつも、もたれかかっていたあのてすりが、あっさりと剥がれ落ちていく。焼け焦げたせいか、突風に耐えられなかったのだ。

 そこに、雷光が再びセーレを襲う。稲光が暗雲の隙間を縫うように走って、今度はセーレのマストへと向かっていく。マストから火の手が起きようものなら消火できるかは怪しい。

 真っ青になったイユの目の前で、光と光が激突した。

 辺りが青白く照らされ、轟音が周囲に轟く。眩しさと熱さがイユの目を焼いた。

 再び、暗がりが戻ってきたところで、イユはようやく目を開けていられるようになる。青い火花の残滓が、目の前でひらひらと散った。

「レパード、戻ったの?」

 本来ならばマストにぶつかっていたはずの雷は、その手前で別の光と衝突したのだ。考えられるのは、レパードの魔法ぐらいだろう。

「こうも煩いとな、おちおち寝てもいられないんだよ」

 イユの呟きを伝声管越しに聞き取ったわけではないのだろうが、レパードの言葉が甲板にある伝声管から漏れ届く。その声になんだか妙にほっとした。

 しかし、今度は風に揺さぶられてセーレ自体が大きく傾く。その勢いで、ジェイクが大きく体勢を崩した。地面は雨水ですべりやすくなっているせいで、斜めに傾かれると踏ん張りが効かない。つるつると、体が船の外側へと追いやられていく。

 イユはマストにしがみつきながら、肝の冷える思いで、ジェイクの様子を見るしかない。

 ジェイクはあろうことか、てすりがなくなったその場所へと滑っていく。床にしがみつこうとしているが、そこに残っていたらしいアマモドキがぶつかっていく。あわや、というところで右手のナイフを瞳に突き刺したジェイクだったが、その勢いで更に滑り落ち、船のヘリまで進んでしまった。

 このままでは、ジェイクが危ない。だが、イユは飛び出そうにも、しがみつくので精一杯だ。一番近くにいるミスタが近づこうとしているが、気を付けないとミスタ自身が船から投げ出されかねない。それがわかっているせいで、慎重に進むよりない。せめて早く反対側に傾いてくれと、船に無茶な注文をしたくなる。

 そこに、更なる突風が吹きつけて、ジェイクを船から弾き飛ばした。

 思わずあげたイユの悲鳴すら、風はあっという間に掻き消していく。

 ジェイクは、イユの視界から完全に消えてしまった。

 真っ青になったイユの目の前で、ロープが伸びた。それが、近くの手すりへと絡まっていく。たどり着いたミスタが、ロープを握りしめて引き上げた。

 イユはそこで、気がついた。ジェイクだ。危ういところで、残っている手すりにロープを絡めることに成功したようだった。

 ほっと一息ついたところで、今度は反対向きに船が傾く。あれよと言うまに飛ばされたマレイユが、マストに背中を打ちつけていた。

 まるでこの船は、嵐に弄ばれているかのようだとイユは感想を抱く。この大陸の嵐は、あらゆる方向から風を吹かせ、雷を鳴らし、雨を降らせ、魔物を産み落とした。そして、見渡す限りの雲でセーレを囲っている。

 そのなかでも、特に厄介なのは風だった。船が横転しないか心配になるほどに、傾いた。そのうえ、風に煽られていると満足に立つことすらできなかった。おまけに手すりに近づけば、体ごと船から投げ飛ばされそうになる。投げ出された先はつららのように伸びた山脈だ。きっと、針の筵のように突き刺さるのだろうと想像すれば、なんとしてもそれだけは避けなければならない。

 ほうほうの体でジェイクがマストの近くまで駆け戻り、残りの船員たちも身を寄せ合った。しかし、満足に動けないイユたちに立ちふさがるのは風だけではない。

 アマモドキがミスタの頭にぶつかった。シェルの足にも掠ったし、ジェイクの腕にも飛び乗った。肉の焦げ付いたような嫌な臭いが雨の匂いに混じってやってくる。彼らは悲鳴こそあげたものの、それでも船内に逃げ込みはしなかった。傷を治すために中に入ったら、全員が船内に入らなくてはならないことを皆が察していた。

 今のところ無傷なのは、先ほどマレイユと交代となり戻ってきた刹那ぐらいだろう。彼女はあの風の中でも臆した様子をみせず、見張り台の梯子を上がっていった。梯子は刹那を振り落とさんばかりに揺れていたのだが、彼女にとってその梯子を登ることは朝飯前らしい。

 見張り台には姿の見えないミンドールもいるようだ。時折伝声管から何やら声が聞こえてくるが、さすがのイユの耳もうまくとらえられないことが殆どだった。これでは他の船員たちは聞こえていないだろう。それでも、緊急事態には航海室が、ミンドールの言葉を受け取って代わりに伝えることになっている。あまりにも聞こえない場合は、直接伝達をしに、航海室にいたキドが甲板へと往復しにくることもあった。それによって、現状が漏れ伝えられる。

 それにしても、状況はすこぶる悪かった。船はぼろぼろだし、船員たちは疲れていた。そのせいで初めに比べて皆の動きが圧倒的に遅くなっている。アマモドキへの対処が中でも致命的で、甲板にアマモドキが通れそうなほどの隙間が何ヵ所も空いてしまっているのには気づいていた。

 しかし、どうしようもない。直す余裕はないし、そんな時間があれば休憩が欲しかった。定期的に休憩をしているといっても短時間ですぐに前戦だ。疲れは中々に取れないものだ。

 それは、イユ自身にも言えた。ましてやイユはあれから一度も休まず働き続けていた。だから、疲労が体に訴えかけてくる。それを、意思の力でねじ伏せた。イユはこういう時、無茶ができる。それがイユの、『異能者』としての特権なのだ。行使しないわけにもいくまい。

 と、一瞬だけ風が止んだ。代わりに、再びの豪雨がやってくる。しかし、それも一時のことだ。アマモドキを相手にしだしたイユたちを翻弄するように、突風が吹き荒れた。

「うわわ!」

 シェルの声が僅かに聞こえ、彼がマストに飛びつくのを見る。イユはその場に屈んで僅かでも風を避けた。さきほど降ってきたばかりのアマモドキが、突風に煽られて飛んでいく。その一体がイユの腕へとぶつかろうとしたので、反射的に木桶を振り回した。

 飛ばされたアマモドキが別の一体にぶつかって、べちゃりと潰れる。

 しかし、そこで再度吹き荒れた風がアマモドキたちをイユたちがいる方向へと押し戻した。ご丁寧に、その風に乗って他のアマモドキたちが一緒になって飛んでくる。さすがに伏せるのに精一杯なイユたちにそんな仕打ちはあんまりだろうと、文句を言いたくなってしまう。

 イユはまず、ぶつかってきたアマモドキを木桶で3度吹き飛ばした。しかし、風が強すぎて自分自身が飛ばされてしまう。あわやというところで、マストにたどり着きしがみついた。そこにアマモドキたちが5体ほどぶつかってくる。木桶ではじいてから、イユは気がついた。

 3体は良かった。木箱の端にぶつかって飛んでいく。しかし、木桶を潜り抜けて1体がイユへと構わず近づいてくる。

 命中はしていた。ただ、木桶にアマモドキが1体通れるほどの見事な穴が開いてしまっていたのだ。

 勢いを落とさず飛びかかってきたアマモドキにイユも速度が追い付かない。それでも辛うじて腕で顔を庇うと、じゅっと肉の焼ける匂いが立ち込めた。

 すぐに痛覚を鈍らせて、アマモドキを素手で弾く。あっという間に溶かされた服と自分の肌の区別がつかなかった。

 しかし、アマモドキの襲撃はまだ終わっていない。残り1体が遅れてイユへと襲い掛かる。弾き飛ばしたばかりのイユの腕が再び顔を庇うには少し足りない。

 ぶつかってくるその瞳とイユの目が合ってしまった。間に合わないという焦りだけが、イユの頭の中に響く。それでも、どうにもできない。

 その時、アマモドキがあらぬ方向に飛ばされていった。風向きが変わったのだ。ほぅっと息を吐いてから気が付く。船内に入る扉の先で、見知った翠の髪が見えた。

「リュイス!」

 すぐに風が収まり、周囲を漂っていた雲が晴れていく。その間にも、リュイスは甲板へと歩いてくる。意識を集中させているからか、ゆっくりと確実に近づいてきた。

 救世主でも現れたかのような安心感に安堵していると、リュイスが一言苦い顔をして告げた。

「まさか薬を使われるとは思いませんでした……」

 何故だかイユが責められたような気がして、バツが悪くなる。とはいえ、やったのはセンで、イユは無関係だ。それにセンもリュイスを案じての判断だろう。

「まぁ、助かったぜ」

 ジェイクの方を振り向くと、外れた手すりのあった場所まで引き戻されていた。どうもまた、落ちかけたらしい。かろうじて這い上がってくる。助けに入ったミスタが、ジェイクを掴んで立たせた。

 それでも雨まで止みきったわけではなかった。再びぽつりぽつりと水滴が落ちてくる。すぐに土砂降りになることが想定されて、ジェイクたちは船の真ん中へと戻った。

 リュイスがその様子を確認してから、もう一度、一同の様子を眺めた。その顔が憂いていた。

 それもそうだろう。全員傍から見てもぼろぼろだった。ジェイクなど、上着に至っては着ているかどうかもよくわからない有様だ。体中赤くあちこちただれていて、見ているこちらが痛くなる。

 この中で軽傷なのはシェルだろうが、そのシェルの衣服も何箇所か溶けていてそこから火傷した痛々しい肌が覗いている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ