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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
191/990

その191 『嵐に屈せず』

 30分はあっという間だった。リーサに揺さぶられて、イユはすぐに目を覚ます。

「イユ。一応30分経ったけれど、辛いならまだ寝ていてもいいのよ」

「戦況はわかる?」

 何事も状況次第だろう。そんなことを考えられるようになっただけでも、この少しの間の休憩時間は大きかった。人は嵐の中戦い続けるとどうにも思考が鈍るらしい。ひょっとしたら高度が高いせいで空気が薄いことも関係しているかもしれない。いつもより体が疲れやすくなる気がしたのだ。

 少しして、食堂にまで張られた伝声管から声が漏れ聞こえてくる。ミンドールのものだ。こちらからはまだ連絡していないのだが、30分経ったからだろう、現状を伝えてくれる。それにしても時間に厳密なミンドールに、さすがだと感心する。イユはあの嵐のなかで時間の感覚など吹き飛んでいた。

「今はまだ持ちこたえている。視界が最悪だから、戻ってくるなら気を付けるんだ」

 声が雨音にかき消されて聞こえづらい。それでも、イユの耳は辛うじてそれを拾いきった。

「分かったわ」

 聞こえているか分からない。だが、そう返してからイユは立ち上がる。

「じゃあ、行ってくるわ」

「イユ、無理はだめだからね?」

 リーサがすがるような顔でこちらを見つめてくる。その顔が、再び誰かを失いたくないと言っていた。イユは、リーサを傷つけたくない。だからこそ、その問いにははっきりと答える必要がある。

「分かっているわ。絶対、生き残ってみせる」


 甲板に出る扉がいつも以上に重かった。それを力押しで開けきると、途端に突風がイユを襲う。甲板を突き刺すような雨が、暗雲に紛れてよく見えない。代わりに見えるのは雲にとりついたアマモドキたちの瞳だった。あれからはまるで、雲そのものに無数の瞳がついたかのような、邪悪且つ不気味な雰囲気が漂っている。

「イユの姉貴か!」

 イユのすぐ近くで、桶に水を貯めたジェイクが、えいやっと投げ捨てる。それを見て、イユも慌てて駆け付けた。木桶は、先ほどリーサから預かっている。

「俺のことはいい!それより魔物を」

 その叫び声を聞くが否や、再びの突風が二人を襲う。木桶ごと飛ばされそうになったジェイクの体を、間一髪引き戻したのは近くにいたミスタだった。体が大きい分、飛ばされにくいのだろう。

「分かったわ!」

 雷光に照らされて、甲板が鈍く光る。靴が溶けてきていることもあり、イユの足は既にびしょぬれだ。滑らないように意識して、近くに落下したアマモドキに、せいやっと木桶をぶつける。

 その先で、レンドがアマモドキ相手にナイフを一閃するのが見えた。アマモドキはすぐに絶命するが、そのレンドの頭上から別のアマモドキが落ちてくる。

(危ない!)

 声に出しかけたが、その前にこれを読んでいたレンドの手の動きが変わった。アマモドキから引き抜いたナイフを手の中でくるりと向きを変えて逆手にすると、そのまま後ろに向かって突き刺したのだ。それはちょうど、レンドのすぐ近くに落下しようとしていたアマモドキの急所をえぐっている。

 まるで背中に目でもついているのではないかと思う動きに、イユはスズランの島での出来事を思い出した。確か、ミンドール曰く食糧調達兼周囲の安全を確保しにいく班に抜擢されていたのが、刹那、レンド、アグルの三人だった。ミンドールの話では、ナイフを扱える者のうち上位から選んでいたと言っていたはずだ。嘘ではなかったのだと改めて意識する。

 心強い者がいることが分かると、肩の荷が下りた気がした。『異能者』や『龍族』だけが何も戦えるわけではないのだと、改めて意識する。見張り台の下で戦っていたことは知っていたし、魔物とやりあっているにも関わらず負傷者が出ていないこともわかっていた。だが実際に、その腕前を見るのと見ていないのとでは感じ方が違う。

 イユもレンドに合わせるように、落ちてきたアマモドキを蹴り飛ばす。アマモドキはただ落ちてくるだけで触りさえしなければ強くはない。だが、雨に紛れて落ちてくるせいで誰かの体に落ちてきたら最後、溶かされかねない。そして、視界の悪さのせいで、いつもは隅々まで見渡せる甲板も、近くの様子しかわからないと来た。そのうえで突風がある。アマモドキは軽いのか、突風に合わせて流れるように飛んでくる。上方向だけを警戒していたリュイスがいるときとは、まるで違うのだ。横凪ぎの風に乗って、真横からぶつかってくることもある。そのせいで、イユの腕も何度かアマモドキが触れてしまった。服の焼け溶ける匂いが鼻につく。挙句、肌がむき出しになり、そこにもアマモドキが触れていく。

「邪魔!」

 地面に転がったアマモドキたちをまとめて木桶で弾き飛ばした。討ちそびれたアマモドキは甲板に乗ってそこで木の板を溶かしていく。地面に転がったそれらを片づけているのはマレイユだ。彼もナイフを使うらしく、一体一体に刃物を刺しては引き抜いていく。しかし、一人で片づけられる量ではない。

 イユも率先して足元に転がったアマモドキを甲板から振り落としていく。

 早くしないと、甲板に大穴が開くほど溶かされて、そこから雨が降り込む。この下は船倉だが、そこから溢れた水が機関部へと流れ込んだら、場合によってセーレは墜落するかもしれない。そうなれば、全員お陀仏だ。

「レンドにぃちゃん、交代!」

 張り上げた声に振り返れば、船内からシェルが走ってくる。その時、風に煽られるようにして、船が大きく傾いた。

「うわわわわ!」

 声をあげながらシェルが大勢を崩しかける。転ぶかと心配になったが、何とかバランスをとるとレンドの元へと駆け付けた。

「危なっかしい奴だな、相変わらず!」

 シェルの頭にぶつかってこようとしたアマモドキをナイフで穿ちつつ、レンドがやれやれと肩をすくめる。その背後で、船が斜めになった勢いで滑っていくアマモドキたちが、てすりの隙間から次から次へと落ちていった。

 レンドが船内に入っていくと、ジェイクがナイフに持ち替えてアマモドキとの闘いを始める。立ち替わるようにして、シェルが木桶で水を追い出す。イユも変わらず応戦した。

 ジェイクの腕前も、悪くはなかった。レンドほど落ち着いた動きはしていないものの、魔物に的確にナイフを刺していく。最も相手が無抵抗なのもあるだろう。これで狂暴な魔物だったら絶望に目も当てられないところだったので、それだけはよかった。

 そうこうする間に、深く黒い霧がイユたちを襲った。先ほどまでの雲はまだ薄い方だったらしい。今度は呑み込まれればすぐ近くの様子も見えないほどの雲だ。ぶわっと吹き付けるそれに、思わず目を閉じる。

 次に目を開いたとき、映ったのはアマモドキの大群が飛び込んでくる姿だった。

 それらがイユにぶつかってくるよりも前に、赤い雷光がセーレのすぐ脇を走った。その衝撃で船がさらに揺れる。幸いにも雷がセーレに命中しなかったのは、札のおかげかもしれない。

 しかし、その揺れのせいで、イユも体勢を崩す。

 再び体を起こしたイユの目の前には、顔面にまで迫ったアマモドキがいた。そのぎょろっとした瞳が、視界いっぱいに広がる。

 あげかけた悲鳴を呑み込み、イユはかろうじて殴り飛ばす。その勢いで手の甲にひりひりとした痛みが走った。

 視界は最悪で、弾き飛ばしたアマモドキの行方も確認できないほどだった。先ほどまで見えていたシェルやジェイクたちの姿など、全く見えなかった。それどころか一歩先の地面もろくに見えない。見えるのは近づいてくる瞳と、雷光。そして止むことを知らない雨だけだ。

 イユは手を休める暇もなく、瞳と戦い続けた。右側から飛び出してきた魔物を凪ぎ払い、背後から降下してきたそれを避けて、地面に落ちて振り返ったところを蹴り飛ばす。今度は左側、下から上へと向かって飛んできた瞳を左手で殴りつける。くるりと身体を反転させて、真上から落ちてきたそれを蹴り上げた。

 延々と身体を動かしているうちに、一人、この暗闇のなかで戦い続けているような錯覚がする。雨音が周囲の様子を隠すせいで、余計にそう感じるのだろう。それに、仲間の安否を確認すべく声を張り上げ合うほどの余裕も、落ち着いて周りを凝視する余力も、この大群のアマモドキを前にしては、ない。

 そのうちに、焦燥に駆られる。永遠を謳う闇が、イユから冷静さを奪っていく。木桶を握る手でその闇を振り払うも、それらはすぐにのしかかってくる。

 重たい、そう思った。纏わりつくような闇に、僅かな雷光を受けて流れる雨が、まるで鉛のようだった。

 それでも、屈するわけにはいかない。ここで闇に呑まれてしまったら、きっとアマモドキたちに骨の髄まで溶かされてしまう。

 根拠も何もなしにそう思い込むことで意識を保ったイユは、えいやっとわざと声を挙げる。同時に、そこにいたアマモドキを叩き伏せた。

 その勢いで僅かに退いた霧に、微笑すら浮かべてやる。まだイユには余裕があるのだと思わせたかった。こんなところで屈する自身ではないと言い聞かせたかった。

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