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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
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その189 『地獄への第二幕』

 甲板に出た途端、突風がイユを襲った。

 目も満足に開けていられない。それでも、薄目で見やればミンドールたちが必死に羽を動かしているのが見えた。その先で風の出現元であろう、『深淵』がぱっかりと空を割って佇んでいる。

 徐々に引き寄せられる船に危機感を抱いたのか、リュイスが魔法を使うべく意識を集中させようとする。そこを遮ったのはミンドールだ。

「リュイスたちは急いで見張り台に上がってくれ!ここは大丈夫だ」

 とても大丈夫には見えなかったが、他でもないミンドールの判断だ。イユはリュイスを促しつつも飛びつくように梯子にぶら下がった。そのまま一段一段上がっていく。

 これほどの風に煽られながら梯子を登ったのは、実ははじめてのことだった。いつもリュイスの魔法が守ってくれていたのだと改めて感じる。梯子ごと揺らされる体は何とも頼りなく、しっかりとした地面が待ち遠しい。

 同時に、風の音なのか、咆哮なのか区別すらつかない音が、闇から轟いてくる。それに体を打たれつつも、イユはかろうじて見張り台にたどり着いた。

「シェル、交代よ」

 6時間ぶりの再会となる少年へと声を掛ける。

「ねぇちゃん、分かった」

 シェルの顔にも既に疲れが伺えた。雨や雷の心配はなくとも、この環境下での単独での見張りは堪えるのだろう。

 リュイスも登りきりシェルが梯子を下りていくのを確認してから、イユはようやく外の景色を見渡した。

 漆黒の闇が渦を巻いてセーレの周囲を取り囲んでいる。隙間から見える青空だけがどこか場違いに澄みきっていた。僅かばかりの雲が風に千切られ渦へと吸い込まれていく。その闇の奥手に見えるのが、黒い入道雲だ。稲光が離れたここからでも目視できる。

「ミンドール、あんたも休め」

「しかし……」

「リュイスもマレイユも戻ってきた。今がチャンスだろ」

「分かった。それまで甲板は、レンド、君に任せる」

 眼下でそんなやり取りが聞こえてくる。甲板部員たちも定期的に交代して休みをとっているようだ。

「準備はいいか」

 それから数十分後、伝声管からレパードの声が聞こえてきた。

「勿論よ」

 イユはリュイスが頷くのを振り返って確認しながら、答える。

『深淵』によってもたらされていた嵐のない世界はそろそろ終わりを迎える。荒ぶる風に目を細めながらも、最後の『深淵』を越えて暗雲へとセーレが向かっていく。

 リュイスが目を閉じて意識を集中させる。それに合わせて、風がリュイスに集っていく。

「さぁ地獄への第二幕の始まりだ。お前ら、行くぞ!」

 レパードの叫びに合わせて、セーレの船員たちがそれぞれに返事をする。

 声の賑やかさに、まだ彼らは憔悴しきってはいないのだと察することができた。

 そして、掛け声に答えるようにして、リュイスが魔法を放つ。

 風が、前方の暗雲を切り開いていった。二度目だ。セーレは飛び込むようにして、リュイスが生み出した風を追う。

 後方を振り返れば、既に暗雲が『深淵』を覆い隠していた。イユは再び前方を見やって、目を細める。リュイスが切り開いた暗雲の道の先で、何か黒いものが見えた。それはセーレが近づくにつれ、大きくなっていく。

「高度を下げて!『深淵』があるわ」

 イユの声を待つまでもなく、セーレが高度を落としていく。今、セーレは空気が薄くなるぎりぎりの場所を飛んでいるのだ。『深淵』があった場合、逃げ道は左右に迂回するか高度を落とすほかにない。そしてリュイスの魔法は左右に広々と雲を削り取ってはいない。むしろ最小限の力でセーレ一隻だけが通れるような幅で、上層の雲を削り取る高さをもって放たれている。リュイスの風にあやかるのならば、高度を落とす以外に考えられなかった。

 ごぉっという唸り声とともに、『深淵』の真下を通過していくセーレ。イユは吸い込まれそうになる勢いに、手すりを強く握り直した。

 代わりに、伝声管を取ったリュイスが謝る。

「すみません、『深淵』に風を掻き消されたみたいです」

 この言葉に、あっとなった。『深淵』の先、一時の青空のあとには再びの暗雲が立ち込めていたのだ。リュイスが再び意識を集中させているが、恐らく先ほどと同じくらいの威力のものは用意できない。風が集うのを待つ時間は、そんなに残されていない。『深淵』はイユたちから嵐を取り除いてくれもしたが、同時に嵐を遠ざけるリュイスの魔法も食らってしまうのだと実感させられた。

『深淵』を抜けて、一瞬の青空がセーレを包む。

 そして、すぐにセーレは暗雲へと飛び込んでいく。

 その勢いに合わせるように、リュイスの風がセーレを取り囲む。

 途端に突風が止まり、セーレの周囲が暗がりに閉ざされた。少しの間を経て、思い出したかのように雨が降り注ぐ。視界の端で稲光が爆ぜ、それを追いかけるように青い光が走った。

 雨に混じって落ちてくるアマモドキの気配を察して、イユはすぐに木桶を瞳へとぶつける。

 既に溜まっていた大量の水をぶちまけるようにして、木桶はアマモドキを吹き飛ばす。

 暫くは乱戦続きだった。雷鳴と雨の音がイユから聴覚を奪い、上空を飛ぶがために冷たい空気と雨が体温を奪った。

 甲板でも、剣で斬りつける音や、木桶で汲んだ雨を逃がすような音が時折聞こえてくる。雨足が弱まった時にだけ聞こえる音だ。だが恐らく、豪雨の中でも同じことをしているのだろう。それならば、イユも負けていられない。

 気が休まることはなかった。延々と続く時間、イユは木桶を振り回し続けていた。やがて木桶が重く感じてくると、イユは木桶を投げ捨てて蹴りつけることでアマモドキを弾き飛ばした。

 弾き飛ばす度、ジュッと焦げる音がした。目の位置を少し外したのだ。だが、気にはしていられなかった。


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