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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
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その188 『背中合わせの会話』

 部屋に戻って、改めてくたくただったことを意識した。一体、イユたちはどれほどの間あの嵐の中を戦い続けていたのだろう。先ほど見た空が青いままだったのに思い当たる。まだ1時間も経っていないのだろうかと首を捻った。さすがにそんなはずはない。もっと長い時間外にいたはずだ。だがそれでは外は青空ではなく夜空があるべきであろう。

 そこまで考えて、ようやく時計の存在を思い出した。どうも思考力が落ちているらしい。そういえば途中に渡されたお菓子すら口に入れている暇はなかった。

 イユは重い手を動かして、口に飴玉を入れる。口の中をころころと砂糖が溶けていく。脳が癒されていく気がした。

 それから時計を見る。時刻は、9時を指していた。

 ぴたっと、思考が停止する。頭が追いつかなかった。それから数秒待って、イユの思考は動き出す。夜の9時ではないのは間違いないだろう。あの『深淵』が空から夜を吸い取るというのならば話は別だが、それはまだ現実的ではない考え方のはずだ。それならば、セーレが風切り峡谷を出立してから、ほぼ丸一日が経過したことになる。

 途端に、イユの体はぐったりした。意識した途端、疲れが先ほどまで感じていた以上に、どっとやってきた。疲れ過ぎて眠気など吹き飛ぶかと思うほどだった。しかし心配せずとも、ベッドに飛び込むと、一気にイユの意識は落ちていった。


 足音が聞こえて、意識が僅かに覚醒した。一体、誰の足音だろう。

 考えていると、その足音がイユの部屋の前で止まった。少しの間の後、トントンとノック音がする。

「起きているか」

 それは、ヴァ―ナーの声だった。イユは、体を起こす。こんな時間に何の用だろう。

「えぇ、ヴァーナーね?ちょっと待って」

 イユはベッドから起き上がると、扉の前へと向かった。レパードの魔法があるため、扉を開けることは敵わないが、近い方が何かと話しやすい。

「どうしたの、何の用?」

「写真、現像し終わったから渡しに来た」

「え、カメラはここに……」

 撮った写真はまだ渡してない。現像のしようがないはずだった。

「……試し撮りの分だ。フィルムは差し替え済みだからな」

 扉の下の僅かな隙間から、そっと写真が差し出される。こんな時に、現像作業をしていたのかとイユは首を捻る。機関部も浸水被害で大変だったと聞いている。そんな悠長なことをしている暇はなかったはずだ。そうなると、写真自体は嵐の山脈に乗り込む前に現像していたのかもしれない。

 受け取ると、扉にもたれかかってその写真を眺めた。

 そこには、楽しそうに笑うリーサと、しゃぼん玉がうまく作れずにむくれるイユが映っていた。その二人の奥でリーサを見て微笑むラビリ、その隣でラビリの様子を見ているクルトがいる。さらに奥では刹那がしゃぼん玉を吹き、その出来栄えをリュイスが褒めている。

 なんて、微笑ましい写真なのだろう。見ているだけで、その絵から楽しい記憶がありありと浮かんでくる。それに、そこで笑うリーサが、とても幸せそうなのだ。

「いい写真ね。もらってよかったの」

 扉の向こうで、ヴァーナーの声が返る。

「別にいい。他の連中にも配っているしな」

 写真は共有できるのだと、イユはそこで初めて知った。それならば、ヴァ―ナーもこの写真を持っているかもしれないなと思う。

 このリーサはまさしくイユが撮りたかったリーサだ。ヴァ―ナーの目にも止まっているはずだと願った。

「リーサ、いい表情ね」

 珍しく素直な答えが返ってきた。

「……そうだな。あいつも、いつの間にかこんな風に笑うようになったんだな」

 どこか実感したような物言いに、イユは打ち明けることにした。

「私ね。こういう写真をあなたに贈るつもりだったのよ」

 ヴァーナーの気配は消えていない。それでも返事が返ってこなかった。イユは気にせず続けることにする。

「あなたは、リーサが前に進んでいることを認められずにいるような気がしたの。だから、実感してもらえればいいのだと」

 それはささくれだった心には、痛い言葉だろうことはわかっていた。だから、自力でそれを勝ち取ったヴァーナーには言っておきたい言葉がある。

「でも、あなたは先にこんなにも良い写真を撮ってしまった。私の負けだわ」

 そう、イユは完敗してしまった。ヴァーナーは一人で到達してしまったのだから。

「あなたの信用を勝ち取れる、いい方法だと思ったのに。カメラは今度返すわ」

 残念ながら、写真一枚はどうにかなってもカメラほど大きなものは扉の下を潜り抜けることはできない。今度会った時に、返せばいいと思った。

「……いい、カメラは貸しておく」

 意外な返事に、イユは顔をあげた。そのまま上目遣いに扉を見てみるが、その気配は変わらない。待っていると、言葉の続きが返った。

「思い出を残そうと思ったら、一枚には収まりきらないだろ」

 何も一枚の写真で片が付いたわけではないと、不器用な声が紡いでいく。

「山ほど撮ればいい。何かあった時、消えてしまわないように」

「……そうね。そうするわ」

 イユの返事を最後に、廊下を歩く足音が聞こえた。それはやがて、遠ざかっていく。



「イユ、起きているか」

 声にはっとなった。

「今起きたわ」

 返事をしつつ、体を起こす。時計を見ると、15時を指していた。すっかり昼夜が逆転してしまっている。いつの間にか眠りについていたらしく、イユの手には写真が握られたままだった。それをそっと棚にしまっていると、リュイスの遠慮がちな声が届く。

「えっと、出られそうですか?そろそろ雲の層が近づいてきたそうです」

「ええ、大丈夫よ」

 簡単に手櫛で髪だけ整えると、イユはすぐに廊下へと出た。

「待たせたわね」

 視界の先で、いつもの二人が出迎える。レパードもリュイスも目に隈ができていた。睡眠時間は少ないわけではないと思うので、まだ魔法の酷使から回復していないのかもしれない。

「行けるの?そんな顔で」

「あぁ、問題ない」

 レパードの言葉に答えるように、セーレが揺れる。イユは慌てて扉に体を寄せた。

「この揺れからさっさとおさらばしたいからな」

 レパードの付け加えた内容で、先ほどからずっと揺れていたのだろうとイユは推測した。ただイユの意識が眠りから覚醒しなかっただけだ。揺れにすっかり慣れてしまったようだった。

 それでも、イユは頷き返した。

「同感ね」

 体はまだ疲れている。だが、ずっと休んでいるわけにはいかない。『深淵』から逃れるために、今頃船員たちは必死に動いていることだろう。

 レパードに合わせて、少しでも強がりたかった。


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