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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
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その184 『お別れ』

 どこか騒がしい船内の様子に、イユの目は自然と開いた。身支度を整えている間も、通路を駆ける慌ただしさがなくならない。何かあったのだろうかとイユは考える。思いつく想像は、イクシウスの戦艦に見つかったか集落の人に見つかったか、そんなものばかりで、落ち着かなくなった。

「イユ、起きているか」

 レパードの声が聞こえたので、すぐにドアノブを開ける。一瞬衝撃が走った気がしたが、すぐに収まった。レパードが魔法を解除するのとほぼほぼ同時だったのだろう。

「おっと、悪い」

「いいわ。それより何かあったの」

 レパードは首を横に振った。

 それがイユには逆に訝しい。

「本当?随分騒がしい気がするのだけれど」

「お前が見つけてきた水場だよ。あそこに水の調達に行っているんだ」

 本当に何かがあったら、隠しはしないだろう。そう判断して、イユはようやく落ち着いた。

「そういうことなら、私も汲みに行くわ」

 レパードは「そうしてくれ」と答えた。その言い方も自然で、どこもおかしくなかった。

「あと、朝食まではラビリの奴もいるからな。食べ終わったら集落に戻ることになっている」

「短かったわね」

 折角妹と会えたのだ。もう少しゆっくりしていってもいいのにと思ったが、レパードは首を横に振った。

「そんなもんだろ。俺たちも、準備ができ次第すぐに発つぞ」

 その言動で、イユはようやくレパードが少し焦っていることに気が付いた。やはり何かがあるのだ。だが、それが何かわからない。

 引き留め続けるのも悪い気がして、イユはわかったと頷いた。レパードが早く出発したがっているのならば、イユも手伝ってやらないこともない。そもそもこの場に居続けることは、シェイレスタに行かないということと同義だ。

「今度こそシェイレスタに向かうんでしょうね?」

 これだけはと確認を取るイユに、レパードは、「ああ」と答えた。

 イユは素直すぎるレパードの返事に、逆に目を剥いた。

 その時、ちょうど廊下からリュイスがやってくる。

「おはようございます」

 こうなると、律儀に挨拶をしているリュイスに答えてやる時間も勿体なかった。

「リュイス、水汲みに行くわよ」

 まだ朝食まで時間はある。一刻も早く水汲みに向かうべく、リュイスを引っ張って駆けだした。


 水を汲む作業もイユが本気を出せばあっという間だ。そもそも、インセートにいた時と違い、人目を気にする必要はないのだ。桶を一度に三、四個運べるとなると、作業時間はかなり短縮された。朝食の時間前までにほぼほぼ仕事を終わらせると、イユは食堂へと入る。

 既に、リーサやラビリ、クルトたちが座っていた。

「あ、イユ。朝からお疲れ」

 クルトが手を振って合図をする。席に着くと、すぐにマーサがお皿をテーブルに乗せた。

「おはよう、イユちゃん。今日はサンドイッチよ」

 テーブルの真ん中にバスケットが置かれている。そこにサンドイッチが敷き詰められていた。

 トマトの赤に、レタスの緑、卵の黄色、鮮やかな色感がその白くてふわふわしたパンから覗いている。かと思えば、イチゴの赤、生クリームの白が混ざり合って桜色に染まったフルーツサンドがその存在を主張している。

 ごくりとイユの喉が鳴った。朝から動いたのもあって、空腹がサンドイッチをより色彩鮮やかに見せている気がする。

「お屋敷の食事も豪華だけど、セーレの食事も懐かしくて好きだなぁ」

 そんな感想を呟くのは、隣に座っているラビリだ。彼女は既にサンドイッチを口に頬張って、その味を堪能している。

 先手を取られたと思ったイユも、負けじとサンドイッチに手を伸ばす。手に取った途端、指の圧力に負けて僅かにパンが沈んだ。それに合わせて、キュウリが微かに顔を出す。落とさないようにと、イユはそこから噛みついた。キュウリの瑞々しい歯ごたえが初めに口の中に伝わる。二口目に入ると、ふわりとしたパンの食感がやってくる。それから柔らかい鶏肉に、マスタードのきりっとした辛さが舌に響いた。取り残されていたレタスに、マヨネーズの味が三口目から広がっていく。

 相変わらず、いつもこんな美味しい料理を提供できるセンとマーサには頭が上がらない。

 あっという間に一つ目のサンドイッチを食べ終わると、続いて手に取ったのは卵サンドだった。卵は、インセートで調達したものだろう。酒場をぐるりと回った先にある家畜小屋で買った卵なのだ。イユもリーサと一緒に買い物に付き合ったことがあるから、あの小屋の持ち主がたくさんおまけしてくれたのも知っている。わざわざ買わなくてもこっそり取ってこれそうだと言ったら怒られたのが記憶に新しい。

「でも、これで暫くお別れか」

 ティーカップに入った紅茶を飲んでいるラビリが、ぽつりとそう言った。

「そうですね。また寂しくなります」

 同じように紅茶を飲んでいるリュイスが答える。

 そうだと、ラビリがイユの方を向いた。

「折角会えたんだし、お姉さんが占ってあげようか」

 イユの顔は途端に暗くなった。シーゼリアのことなど出来ることならば一生忘れたい。

「間に合っているわ」

 その表情に、ラビリは慌てた。

「ごめんごめん。いっつもやってることだったからつい」

「姉さんはイユにお詫びぐらいしたら?姉さんの情報で散々だったわけだし」

「一応、謝罪はしたんだよ?」

「言葉だけ?言っとくけど、ボクら含めて散々だったんだからね!姉さんに対する信用がた落ちなんだから、誠意ぐらい見せてくれなきゃ」

「う」

 クルトから指摘されたラビリが、冷や汗をかいている。何か詫びの代わりになることはないかと、頭を捻り始めた。

 イユは、彼女が彼女なりに本当に詫びを考えているのだと、その様子を見て思った。シーゼリアの件を知っていての占い発言には無神経なところもあり、本当に詫びを考えるところからみるに意外と律儀な性格をしている。そして昨日のラビリが語った過去話。触れ合う時間が多ければ多いほど、ラビリからは様々な発見が生まれる。彼女は見る角度によってその色を変えるしゃぼん玉のように、一面を見ただけで語ることのできない人間だ。それだけに、この短い出会いで終わらせてしまうには勿体ないと思った。

「そうはいっても、お詫びしようにも、私にできることなんてないんだよねぇ」

「姉さんが占い以外にできることか。工作系は苦手だしねぇ」

 クルトの考えるような仕草に、今度のラビリはむくれてみせる。

「どうせ、不器用ですよーだ」

「これからの情報提供に期待ってことかしら」

 リーサも思いついたことをあげているようだ。

「情報提供か……。昨日、クルトには話したけれど、魔術書の行方の手がかりとかかな」

 思わぬ言葉に、イユははっとする。

 それを受けてか、何故かラビリがしまったという顔をした。

「私、それ気になるわ」

 すかさず言えば、ラビリが視線を泳がす。

 一体何に抵抗があるのか、イユとしてはよくわからない。それでもじっと見つめていれば、観念したように話してくれる。

「実物が見つかったわけじゃないんだけれど、アイリオールの魔女は変換、転移の魔術が得意なんだって」

「変換、転移?」

 難しい単語が並んで、眉を顰める。

「例えば」

 ラビリが紅茶の入ったティーカップを、人差し指でトントンと叩く。

「このティーカップを元に別のものを作るのが『変換』、今私の前にあるこれをイユの目の前に飛ばすのが『転移』かな」

「それだけ聞くと、万能のように聞こえるのだけれど」

 リーサの感想に、ラビリはそうでもないと言ってのける。

「未来予知はできないし、治療の類も苦手みたい。逆に、心に関する魔術にも精通しているみたいだけれど、噂を聞いて集めただけだからこの辺りは何とも言えないかなぁ」

 イユは記憶を引っ張ってくる。確か、ブライトは何もないところから火をおこしたり水を出したりできたはずだ。イニシアでびしょぬれになった兵士たちを思い起こす。あれは何かと問えば、ラビリはすんなりと答えた。

「一見何もないように見えても、何かを変換しているはずだよ。というよりここには『空気』が存在しているから、それを変換しているんだと思う」

 ラビリの話を聞く限り、やはりブライトは万能に見える。イユにはそれが何故だか誇らしい。

「だから、魔術書は転移したか何かに変換されていると思うんだけれど……」

「それ、昨日も言ったけれど、本当に打つ手ない奴だよね。姉さん、情報を持ってきてくれるのはいいんだけれど、正直使えない」

 クルトの感想に、ラビリが「がーん」とショックを言葉にする。

 そこにクルトが追い打ちをかけていく。

「もっと役に立つことで、貢献してよ」

 ラビリが更に頭を抱えてみせる。

 冗談の類なのだと言うことは、イユでも分かった。悩めるような仕草をしていても、責めるような言い草をしていても、姉妹の表情が明るいからだ。

 しかし、折角の機会だ。イユも、提案してみることにした。

「私は……、今度あなた宛てに手紙を書いてみたいわ。それで手を打つのはどうかしら」

 ラビリはきょとんとした顔をする。

 伝え方が悪かったかもしれない。そう思ったイユは付け加えた。

「私、文字を勉強中なの。だから、すぐには書けないと思うわ。けれど書けたら、あなたに私の字を見てもらいたいの。それで感想を頂戴」

 イユの話を聞きながら、ラビリの目が段々三日月型に細められていった。

「面白い子だよね、やっぱり」

 それから、ラビリはウインクをしてみせる。

「それなら、お手紙を待っているね!」



 食事を終えた一行は、話に花を咲かせながら通路を歩く。そして、あっという間に甲板へと辿り着いてしまった。

 甲板に出た途端、しんみりとした霧が立ち込めた。その空気に、話がぴたりと途絶える。森から鳥の鳴き声が一声、ピロリと響いた。何かを惜しむような、哀しい声だった。

 イユたちは、僅かな距離を踏みしめるように進んでいく。

 その時、手すりに身を預けていたレパードが、霧の中から浮かび上がった。

「そろそろ来る頃だと思っていた」

 イユは、今朝のレパードの印象から、彼が焦っていると思っていた。だからその声があまりにも静かで落ち着いていたことが、意外に思えた。

「うん。あまり長居するのもね。でも、サプライズだったのもあって、良い息抜きになったよ」

 ラビリの屈託のない笑みを、レパードはどこか寂しそうな様子で見ている。

「無理はするなよ」

「それ、船長にだけは言われたくなーい」

 二人のやり取りを眺めながら、やはりラビリは船員たちと仲が良いのだとイユは実感する。ラビリのレパードへの態度は、クルトがレパードにとる態度とあまり差がない。

「まぁ、何かあったら連絡をくれ。達者でな」

 レパードはそれだけ告げると、再び霧の中に溶け込んでいく。暫くして扉を開ける音がしたから、船内に戻ったのだろう。皆と共に最後までラビリの見送りをするつもりはなかったようだ。らしいといえば、らしいのかもしれない。

「じゃあ、これでお別れだね」

 ラビリはそう言って、イユたちを振り返った。イユ、リュイス、刹那、リーサを順に見て、最後にその視線がクルトで止まる。

 そこで、ラビリがにこっと笑いかけたのにイユは気がついた。どんな意味があったのだろう。満足したように、ラビリは背を向ける。

「妹よ、達者でな!」

 クルトに向けて、どこかお茶らけた言い方をして、あっさりと船を下りていく。

 あっという間に、霧がラビリを包んでいく。その茶色の髪も、桃色のメッシュも、小麦色の肌も、あんなに目立っていたのに、霧は全て隠してしまった。

「姉さんこそ!」

 叫び返したクルトの声が、どこか悲しみを含んでいる。

 本当は離れ離れになりたくないのだろうと、イユは解釈した。あんな明るい姉がいたらその存在感が心の中で大きく占めてしまう。イユだったら、寂しいと思うだろうと。

「そのうち、また会えるわよ」

 イユの声に、クルトは振り返った。その瞳が僅かに揺れている。

「そうだね」

 そう言って、彼女ははにかんだ。どこか切ない、今にも崩れてしまいそうな笑みだった。


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