その177 『束の間の休息』
イユたちがセーレに帰ると、何やら賑やかな気配が漂ってきた。
「戻ったかい。どうだった」
ミンドールの出迎えに、気になったものの、ひとまずイユは報告をする。
「ばっちりよ。水もあったし、水場には兎もいたわ」
イユが話している間にロープを外し終わったリュイスも、入手した水を見せた。
「この水です。あとは安全かどうか調査するだけですね」
「さすがの手際だね」
ミンドールは水を受け取りながら、誉める。それから、何気なく続けた。
「折角だから君たちも休憩にするといい。お客さんが来ているよ」
「お客さん?」
聞きなれない言葉に、イユは疑問を呈する。
その言葉の答えは、突然背後から振りかかった。
「可愛い!こんにちは、あなたがイユちゃんだね!」
敵意のある攻撃だったら気づいただろうが、そうではなかったため完全な不意打ちを食らった。イユは背後からやってきた衝撃に思いっきり前のめりになる。崩れ落ちそうになったところを、後ろからやってきた衝撃の源に、ぎゅっと抱きしめられた。そのまま頭越しに頬をすりすりされる。髪がイユの顔を撫でるのでこすぐったい。
「ちょ、ちょっと、何?!」
「ラビリ、イユが驚いてます」
リュイスの注意で、誰がとびかかってきたのかを知る。ラビリ。確か、クルトの姉の名前だったはずだ。
「あ、ごめんごめん」
ラビリと呼ばれた女が、イユから離れる。
おかげで、ようやくイユはぶつかってきた女がどんな人物か観察することができた。初めに目についたのは、桃色の大きな瞳。次に目を引くのは、小麦色の肌に茶色の髪だ。桃色のメッシュが一房垂れているが、それが向きによっては長い耳のようにも見えて、兎を連想させた。先ほど白兎をみたが、ここにいる兎は茶色の毛をした桃色の目の兎だ。だが、兎にしてはすらりと長い四肢が目を引く。
「あー、やっぱり姉さん、まっさきに突っ込んでいったよ……」
ラビリの後方から歩いてきたのはクルトとリーサだった。更にその奥には刹那にレパードもいる。
「なんだよぉ。いいでしょ?可愛いは正義なんだから」
甘えた口調でクルトに返すのを見て、あまり似ていない姉弟だと感想を抱く。髪色も瞳も肌の色も全て一致していない。そのうえ、性格もだいぶ違うようだ。クルトはこんな風に甘える人間ではない。
「あなたがラビリね?クルトの姉の」
確認するイユに、ラビリは満面の笑みを浮かべてみせた。
「そう、私がラビリ。うちのクルトがお世話になっています」
さっきまで急に飛びついたにもかかわらず、挨拶の内容は至極全うでおまけに敬語になっていたものだから、イユは面食らった。それでも何とか言葉だけはと、名乗り返す。
「私は、イユよ」
「うん、クルトから聞いてるよ。まさかこんなに可愛い子だったなんて」
再び、ラビリの目が爛々と光るのを見て、思わず身構えた。また飛びつかれたらたまったものではない。
「姉さん」
そこをクルトが止めに入る。
「う、仕方がないなぁ。でも、レパードに頼んで君たち全員休憩時間にしてもらったから」
唐突なラビリの宣言に、イユは目を剥いた。後ろで、レパードがそっと顔をそむけたのが目に入る。きっとラビリに押し負けたのだ。そうに違いない。
「一緒に、こいつで遊ぼう!」
ラビリがそう言ってどこからともなく取り出したのは、不思議な容器とストローだった。
「姉さん、さすがにしゃぼん玉は子供っぽくない?」
不満な声をあげたクルトに、しかし姉は取り合わない。
「いいのいいの。他に大した道具なかったし、刹那ちゃんにぴったりじゃん」
「刹那でも、しゃぼん玉する年じゃないでしょ。ね?」
クルトが刹那を振り返って、同意を求める。
しかし、刹那が首を傾げた。
「しゃぼん玉って、何?」
刹那の反応と同じ意見なのは、イユだけだ。
唖然としたクルトの隙をついて、ラビリが手すりへと駆けだした。
「じゃあ、決まり!しゃぼん玉を知らないのなら余計にやらないとね!」
有無を言わせず、矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。
「ほらほら、まずは見本を見せるよ」
そう言って、容器の中にストローを浸した。
今、急遽休暇をもらったイユたちーー、イユ、リュイス、刹那、クルト、それにリーサまで呼ばれたーー、はラビリに言われるがままに甲板のヘリに並んでいる。そしてラビリにこれからすることについて指導を受けている、という絵面だ。最もリュイス、クルト、リーサは指導を受けるまでもなく、ラビリがやりたいことを知っているらしい。
「ここには石鹸水が入っているの。だからこうしてストローをつけて……」
それからラビリが、ストローを咥えてふぅと息を吐く。先端から透明な膜が張ったかと思うと、まるで風船のようにたちまち膨らんでいく。
イユはその光景に目を見張った。ラビリが何をしているのか、全くよくわからなかったからだ。
膨らんだそれは、ストローから離れると、空へと飛んで行く。
「はい、しゃぼん玉一号完成」
「これが、しゃぼん玉?」
聞きなれない言葉に返しながら、イユはまだ空を飛び続けるしゃぼん玉をじっと見ていた。摩訶不思議すぎて、目が離せなかったのだ。
「綺麗よね」
隣にやってきたリーサの感想に、はっとする。そう言われてみれば確かに、しゃぼん玉は霧の合間を縫って入ってきた光に当たって、きらきらと光っている。花火とは違う美しさがそこにあるのだと言われると納得できた。
「あ!」
本当に、一瞬のことだった。目で追っていたしゃぼん玉が、はじけたのだ。
「しゃぼん玉は長持ちしないんだよ。だから綺麗なのかもだけれど」
クルトが驚くイユに説明する。不思議な話だとイユは思う。花火といい、永遠に咲かないものを人は生み出し続けようとする。そこに惹かれるものがあるからなのだろうが、何故人は儚いものに美しさを感じるのだろう。
「鑑賞用?」
刹那が首を傾げて聞いている。
「遊びだから、一概にそれだけじゃないけどね」
クルトはそう言って、ラビリがやったようにそれぞれに渡された容器に自分のストローを入れるとふぅっと吹いた。先ほどより小さいが、複数のしゃぼん玉が空へと舞い上がっていく。
「こうやって、一気にいくつのしゃぼん玉を出せるか競ったり」
ラビリが負けじと大きなしゃぼん玉を作る。
「大きさで勝負したり、あと一番天高く飛んだしゃぼん玉が勝ちっていうのもあるかな」
「まぁ、結構自由だよ。ルールは特にない」
ラビリとクルトの説明で、概要が分かる。
イユもまずは試してみたくなった。自分の容器にストローを入れて液体をつける。
「間違えて飲んではいけませんよ」
リュイスがすかさず言うので、むせそうになった。
「ちょっと、リュイス。私は子供じゃないわよ」
「でも、イユって結構食い意地張っているから……。心配になる気持ちはわかるわ」
しみじみとリーサにまで言われ、むくれたくなる。




