その176 『ばったりと』
手掛かりが見つかったのか見つからなかったのか判断に困る状態に陥ったレパードたちは、他の店も廻ってみた。しかし、女のことを知っている者はおらず、空振りに終わってしまった。
諦めたレパードたちは、次なる目的地として薬屋に赴いていた。
風切り峡谷には、ここにしかない薬が置いてある。それはあらゆる傷に効くと言われる万能の傷薬、命の妙薬だ。飛竜の卵の殻を煎じて作ったと言われる非常に苦みのある薬だが、噂通りの効果で以前レパードもそれに助けられた経験があった。最も薬は非常に高価で通常では手に入らない。
しかし幸いにも、峡谷に自ら赴いた一部の例外については、破格の値段にしてもらえるのだ。
そもそも、集落の人間は余所の人間と頻繁な交流を行っていない。それはこの霧の深さが容易に他の船を近づかせないからだが、その霧の危険を振り切ってまでして外からやってくる僅かな人の中に密猟者などが存在するせいもある。
彼らにとって余所の人間の印象は最悪なのだ。だからこそ峡谷の入り口には見張りが立っているし、人の行き交いは少ない。しかし峡谷の者から信用を得た僅かな人間は飛竜を売ってもらうことができるし、薬を仕入れて売りさばくことができる。
ラビリが仕える『魔術師』を選ぶ際、敢えて風切り峡谷を選択したのには、その信用を買う意味もあった。おかげで今でも時折ラビリから命の妙薬が届く。
とはいえ、これからのことを考えると、もう少し数が欲しかった。さすがにラビリ一人で何包も用意できるものでもない為、レパード自身もこうして乗り込んできたわけだ。ラビリの名前さえ出せば、どうにか売ってもらえると踏んでいる。最悪、ラビリと合流してからでもよかったが、できれば先に買っておきたかった。
ちなみに、薬屋も先ほどの店と同じように峡谷の壁を切り抜いて作られた、かまくらのような場所にある。レパードが扉を開けると、カランカランと鈴の音が鳴り、「いらっしゃいませ」という女の声が聞こえてきた。
まず視界に入ったのは左右の壁に薬棚だ。そこに隙間なく薬が並べられている。その奥にも、棚が置かれていた。棚の向こう側から、店主らしき恰幅のよい女が歩いてくる。
刹那が早速前へと進み出る。
「薬、欲しい」
「ふふ、可愛らしいお客さんだね。どの薬が欲しいんだい」
先ほどまでの店主たちは中々に強い態度だったが、こちらの女からは物腰が柔らかい印象を受ける。見知らぬ人物だからといって差別するような人ではないようだ。
女の言葉に、刹那が次から次へと指をさす。
それを受けて、女が慌てたように薬を取っていく。
レパードは、目当てのものはあったようだなと感想を抱く。命の妙薬以外にも不足している薬はあった。在庫を把握している刹那を連れてくるのが一番早いと思ったが、正解だ。しかしこれだけの量だと包んでもらうにも時間がかかるだろう。暫く暇だなと思った時、先ほど開けたばかりの扉から人が入ってきた。
「こんにちは!お薬もらいにきました!……って、えぇ?!」
レパードはその反応に、聞き覚えのある声に、振り返る。
見覚えのある腰まである茶髪に、桃色のメッシュ。そのメッシュと同じ色の瞳。それらを確認して、懐かしさがこみ上げる。しかし、その白い服が、レパードの記憶にはない肌の色を強調させている。
「ラビリ、まさかここで会うとはな!焼けたか?」
レパードの記憶では、クルトの姉であるラビリの肌色はクルトに似てもう少し白かった。それが今見る限り、どこもかしこも小麦色をしている。いや、よくみると首のところだけが僅かに白い。
「本当に!久しぶりだし、驚いたよ!焼けたのは、こないだシェイレスタに行ってきたせいかな」
レパードにとって、不吉な単語を拾って思わず繰り返した。
「シェイレスタ?」
「うん。フェンドリック様の付き添いで、シェイレスタの端っこの島に行ってきたの」
フェンドリックというのは、ラビリが見習いとして入っている『魔術師』の一家の主の名前だ。とはいえ、主というのは忙しいらしく殆ど顔を見たことがないと聞いたことがある。
「珍しいこともあるものだな」
偶然だろうかと、レパードは首を捻る。そのフェンドリックがシェイレスタに向かったことと、ブライトがシェイレスタ出身であることが、妙に気にかかった。イクシウスにいる『魔術師』がシェイレスタに行くことなど稀だ。繋がりがないともいえない。
「確かに、珍しいかもね。でもそれをいうならこの状況こそ珍しいと思うけれど。手紙なしに来るなんて」
「ちょっと事情があってな。……急で悪いが話せないか?」
ラビリはそれを受けて少し考える仕草をした。レパードが見る限り、それらの様子は以前の彼女と何ら変わりない。
「大婆様に薬を届けてからでよければ、そっちに行くよ」
大婆様というのがラビリに魔術を教えている老婆のことだ。フェンドリックはその孫にあたる。そして、『そっち』というのはセーレのことを指している。この集落でもどこに誰の耳があるか分かったものではない。そのためいつもラビリと会う時はセーレに来てもらうことにしていた。
「悪いが今回は泊りがけになるかもだぞ?」
「いいよ。今日やることは薬をもらってくることだけだから」
あっさりと許可が出て、レパードは内心胸をなでおろす。
「ん、レパード。知り合い?」
薬をしこたま手に持った刹那が、こちらにやってくる。それを見たラビリが飛び上がった。
「か、可愛い!何この子、白い、白いよ!雪の子みたいだよ!あなたがイユちゃん?」
薬を持っていなかったら、刹那に飛びついて頬をすりすりしていただろう。それぐらいラビリは小さい子供が好きなのだ。
「違う。私は、刹那」
「刹那ちゃんの方か!クルトから手紙で聞いてるよ。よろしくね!」
「……よろしく」
大抵の子供は、ラビリのその勢いに気圧されるのだが、刹那はよくわかっていないのかいつもの調子で答えている。
それが、逆にラビリの琴線に触れたらしく、「可愛い、可愛い」と連呼する。
「相変わらずだねぇ、ラビリ様は」
呆れた様子で薬屋の女性が声を掛けた。いつの間にか袋を持ってこちらに歩いてくる。
「ほら、いつものお薬だよ。よろしくね」
「私は見習いですから、様付けはいりませんって」
そう言いながらも、ラビリはお礼を言って薬を受け取る。
大婆が持病を患っていることはクルト経由でレパードも聞いていた。定期的に、こうしてラビリが受け取りに行っているらしい。改めて会えて幸運だったなとレパードは考える。おかげで女から命の妙薬を購入できたからだ。それにこれから、こちらから『魔術師』の屋敷まで行ってラビリに会おうと考えていた。だから、その手間が省けたのは助かるというものだ。
「じゃあ、ちゃちゃっと薬届けてくるから、待っていてね。あ!何か欲しいものとかある?ついでに持っていくけれど」
気を利かせるラビリにレパードは首を横に振った。
「幸い、困っているものは特にない。薬もここで手に入ったしな」
「本当?レパードってすぐに一人で抱え込むから心配だな?」
何故か全く信用されていないらしく、ラビリが上目遣いで訝しむ視線を向けてくる。
「本当だ、本当」
「そう?じゃあ、分かった!久しぶりだし遊び道具持っていくね。刹那ちゃんたちと遊べるように」
遊び道具と聞いて、刹那が首を傾げる。
「遊び?別に要らない」
「そう遠慮しないで。付き合うのも大事だよ。あ、二人は入り口で待っていてね!」
ラビリはそう押し付けると、善は急げと言わんばかりに出ていく。
レパードは内心感心した。刹那に息抜きさせようにもレパードでは休暇を与えることしかできない。こういうところはラビリでないと解決しない部分だ。




