その175 『飛竜を売る男』
レパードたちは堂々と集落に入ることに成功する。
入り口を通り抜けると、峡谷がその姿をはっきりと現す。下から上へと吹き付ける風がレパードたちの髪を乱す。谷を覗くと、遥か下方に川が流れているのが見えた。しかしとてもでないが、生身の人間がそこに落ちたらまず命はないだろう。
「レパード、まず、どこに?」
「こっちだ」
風に煽られながら、レパードはすぐに右の道を進んだ。岩壁から突き出すようにして組まれた、木の道だ。
二人分の重みに耐えかねて、木が軋む音がする。
歩き始めれば、風に煽られた橋がたわむように揺れた。
空を飛ぶ魔物が襲ってきたら、あっという間に壊されてしまいそうだった。しかし、この集落の住民たちはここでしぶとく生きている。たとえ壊されてしまっても、自分たちの力でまた組み立てるのだ。
そして、その木組みの反対側、岩壁の部分にはいくつかの扉と窓が埋め込まれている。扉の先には岩をくりぬくようにして住居が存在する。
まるで蟻の巣の断面のようだとレパードは想い耽る。実際はあそこまで複雑ではないそうだが、扉の先は別の扉に繋がっているという話も聞く。
「ここだ」
レパードは一つの扉の前に立つと、ノックをした。返事はなかったが、それは元より承知のことだ。向かい側に人がいないことだけを確認すると、その扉を押し開ける。
扉の先は、かまくらに入ったかのようだった。雪ではなく土色の岩壁が周囲を覆っている。その上から垂れている明かりは、ぼんやりと黄色に光っていた。そのせいで岩壁が本来の色以上に土色に見える。そして、そのかまくらの先には柵がされていた。そこから、時折鳴き声が聞こえてくる。何かがつながれているのだとわかる鎖の音もしてくる。
刹那が近づいて、あっと声をあげた。そこにいるものに気がついたらしい。
レパードも遅れて近づいていく。
暗がりから、金の瞳が僅かな光を反射して光った。その縦に長く細い目は、猫のようだ。しかし続けて見えてくるのは鱗だ。蜥蜴を思わせる顔が、刹那の方を向いている。長い首には鎖がつながれていて、それが不満なのか、その鎖に爪を引っ掻けて、ガチャガチャと揺らしてみせる。刹那に外してくれと訴えているようにも見えた。確かにこの狭い空間では自由に飛ぶこともできない。それを悟っているのか、鱗に覆われた翼は折りたたまれていた。
今目の前にいるのが飛竜だ。風切り峡谷にとって、大切な存在である。
「いらっしゃい」
その飛竜のいる場所のすぐ隣から、男が姿を現した。年は五十を過ぎたところだろう。細身だが無駄のない鍛えられた体は、旅暮らしが当たり前になっているレパードにも遅れをとらない。
「聞きたいことがある」
男の眼光がぎろりと光った。
「冷やかしなら、帰んな」
元々、余所者には辛く当たる峡谷の者の特徴もあるのだろう。買わない客の話など聞かないと言わんばかりだ。
レパードは、それでも口を開いた。ダメで元々だ。
「この店に、紫の髪の女は来ていないか。年は十七、八で、シェパングの装いをしている。桜色の装いの場合が多い。髪の長さは腰ぐらいまであって、瞳の色は髪と同じ紫だ」
男の回答は至極はっきりとしていた。
「知らん」
まぁ、そうだろうなとレパードも思う。客の情報をぺらぺらと話す店主など信用できまい。
「密猟者の可能性がある。だから確認したいんだ」
その言葉に、店主の眦が片方だけ上がった。
「お前、ギルドの者か」
本来、インセートを除けばイクシウスにギルドは介入していない。だが、それは公での話だ。日々の暮らしに困った者や困りごとを抱えた人々は、非公式にギルドを頼って依頼してくる。そういった事情は、たとえ峡谷の者であっても同じようだ。
「そんなところだ」
密猟者がいるという話は、手紙経由でクルトの姉、ラビリから聞いている。風切り峡谷の者は、飛竜を雛に孵して一通りの調教を施し、それを他の島へと輸出することを主な生業としている。しかし、あの卵を雛から孵し育て上げるにはそれなりの年月がかかる。おまけに、一度人に育てられた飛竜は決して卵を産むことはない。だから、峡谷の者たちは卵を産む野生の飛竜を大事にする。ところが、最近になって飛竜の数が減ってきた。その原因が、密猟者の存在だ。
男は、レパードの様子を一瞥すると、恐らく本人または峡谷の誰かがギルドに依頼したのだと解釈したらしい、語りだした。
「密猟者には手を煩わされている。このところ、特に活発でな。あいつらは飛竜を狩ると、その爪や牙を素材にして裏に流しているらしい」
レパードはやれやれと肩を竦めた。信じてくれたのはいいが、これは長話に付き合わされそうだと感じたからだ。
「裏?」
気になったらしい、刹那が首を突っ込む。
刹那の腰に短剣がぶら下がっているのを見てだろう、店主は話を続けた。刀身を見せれば子供相応に見られたそれも、引き抜かない限りはわからない。
「あぁ、ここはフランドリック家の領土だろう?だが、あの密猟者どもはそれ以外の『魔術師』に売りさばこうとしているんじゃねぇかって話だ。飛竜の爪や牙からはいい武器ができるからな」
店主の話では、集落の者たちは生きた飛竜を狩って、爪や牙を商品として売りに出すことは絶対にしない。飛竜は貴重だ。そして絶対数が少ない。飛竜を狩り尽くしてしまえば、あっという間に絶滅してしまうと、分かっている。だから、一時の利益に流されず長い時間をかけて卵から、或いは雛から飛竜を育てる。しかし、密猟者はその手の事情に配慮しない。
「なるほどな」
相槌をうつレパードに、店主は手を広げてみせることで、参ったと言わんばかりの様子をみせた。
「だが、あんたのいう紫の髪の女っていうのは、恐らくシロだ」
そこまではっきりと言い切られると、逆に気にかかるというものだ。
「根拠は?」
「女っ子一人にどうこうできるようなものじゃねぇ。野生化した飛竜はそもそも狂暴なんだ。俺たちもおいそれとは近づかねぇ」
決めつける言い方に、レパードは反論する。
「女でも、戦のプロなら飛竜ぐらい片づけるだろ」
何せ、あの女は人を殺めてすらいる。それに、いくら魔法の使えない人間でも、毒や魔法石があれば、飛竜相手でも負けやしないだろうという見込みがレパードにはあった。何よりここで大人しく話を聞いている刹那にいたっては、自身の身の丈の何倍もあるロック鳥相手に臆することなく戦い、生還している。それに比べれば飛竜など敵ではないだろう。
「戦い慣れていても、おいそれと狩ることのできるものじゃねぇよ、飛竜は。知らねぇだろうが、複数人の男が囲んでようやく一体仕留められるレベルだ」
淀みなく答える店主に、レパードは逆に違和感を持った。ここはいっそのこと、つついてみるべきかと思案する。
「その女が戦い慣れしていることに否定はしないのだな」
レパードの言葉に、店主ははっとした顔をした。
「おい、あんた」
「それに、俺は何もあの女が単独で密漁したなどと言った覚えはない」
「それは……」
店主のその表情がおかしい。畳み掛けたレパードは、最後に鎌をかけることにした。
「あんた、あの女を知っているな?」
店主の目がすっと鋭くなった。
その反応を見て、レパードは確信する。つまり、リュイスを狙ったあの女とこの店主は知り合いなのだ。ビンゴだったなとレパードは心の中で笑う。神様とやらは信じていないが、このときだけは礼の一つぐらい言ってやってもよいと思った。
「お前はギルドの使いっ走りってわけじゃねぇな。目的はあの嬢ちゃんか。嬢ちゃんに何の用だ」
声に警戒が混じっている。どうもちょっと知り合っただけの客との付き合いでもなさそうだ。
レパードは宥めることにした。こんなに警戒されてしまっては、得られる情報も得られまい。
「まぁそんな固くなるなよ。何、ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
しかし、レパードの言い草に警戒心を解いた様子はない。レパードはちらっと、刹那を見やった。他でもない、刹那にしかできない役。この為に連れてきたのだ。
刹那が、それを受けておずおずと前へ出る。
「お姉ちゃんのこと、教えて」
「お姉ちゃん?」
店主がぽかんとした顔をする。
レパードは内心顔をひきつらせた。刹那の棒読み(普段から感情の起伏がないので素なのだろう)に、目を瞑っても、今頃の問題に思い当たったのだ。設定どおりに読み上げる刹那を見て、せめてB案を用意しておくべきだったと、ひやりとさえした。
つまり、ここまでの店主の様子から、女とはただの知り合いでは済まない可能性があった。あの女の家族関係のことまで把握していたら、刹那のこの発言は大嘘だとばれるに決まっていた。
レパードはいくら何でもいきなり、あの女と親しい人物と出くわすのは雲をつかむような話だと考えていた。だから、刹那に妹のふりをさせて、あの女の情報を引き出す作戦でいた。あの女が飛竜を連れている以上、風切り峡谷と何らかの関係があることは承知している。だから、知り合いに会うことで情報が引き出せる可能性があると縋ってやってきたのだ。
嘘を続けることにしたらしい刹那が、店主を見てからこくんと頷いた。
「探しているの」
それをどのように受け止めたのか、店主は視線を逸らして頭を掻いた。
「悪いが、場所まではわからねぇな」
レパードは内心息をつく。店主が激昂しないあたり、女の家族関係を知るほどの仲ではないようだ。
「前会ったのはいつなんだ」
「二か月以上前だな……。ビスケの奴を見せに来た」
「ビスケ?」
知らないのかと店主が首を傾げる。
「俺のところで買っていった飛竜だよ」
レパードは一つ、合点がいく。あの厄介な飛竜を売ったのはこの店主だったらしい。
「それにしても、妹がいたとはなぁ。あんな気立てのいい姉さんじゃ、鼻が高いだろう」
店主の何気ない感想に、レパードと刹那が思わず顔を見合わせた。
「気立てが、いい?」
「あぁ、どことなく気品があるというのか。その割に偉そうな態度は全くなくて、気さくで美人で……」
レパードは再度刹那と顔を見合わせる。ばれるのも承知で、聞いてみることにした。
「気が強い、とかではなく?」
「気が強い?まぁ、どっちかっていうと気は強そうか」
唯一肯定されたものの、レパードは自信がなくなってきた。そもそも、レパードは女の特徴しか知らない。しかし世界は広い。特徴だけであれば、一致する人物は何人もいるであろう。店主が指している人物と、レパードが知りたがっている人物が同一人物である保証はない。
「名前、聞いてもいい?」
レパードたちの態度に店主も思うところがあったのか、刹那の質問に答える。
「ああ、シズリナっていうんだが……、お嬢ちゃんが探している人物の名前であっているかい」
残念ながら、答えてもらっても探している人物かどうか見当はつかなかった。
「いや、残念ながら人違いらしい。悪かったな、邪魔をした」
他に何を言えばよいというのか、レパードにはもう思いつかなかった。




