表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
167/990

その167 『手放せない』

「ったく、あいつといると疲れるな」

 部屋の扉を閉めて、ため息をつく。それから、ふとドアノブをみた。

「念のため、やっておくか」

 イユの部屋と同じように、ドアノブにも魔法をかけておく。こうすれば暗殺者とやらも簡単には入ってこられないだろう。最も、いっそのこと暗殺者がきて片をつけてくれた方が楽なのではないかと考えたくもなる。

(次の問題に取り掛かるか)

 考えていても埒があかないと悟って、レパードは気持ちを切り替えた。何より、やらなくてはいけないことは山ほど残っている。目を覚ましたのは、果たしてどちらが先だろう。

 できれば医務室に足を向けたかった。だが、ブライトの魔術にかかったのだとしたら、目を覚ますのが遅いような気もしたのだ。仕方なく、レパードの足はもう一人の元へと向かった。


 ノックをしても返事は返ってこなかった。だが眠っている気もしない。ドアをあければ、僅かな隙間から凝視する二つの瞳が垣間見えた。危険だと判断されたのだろう。体はブライトと同じように紐で縛られている。床に倒されながらも、その女、ラヴェンナはレパードへと冷たい声を発した。

「ようやく来たの」

 久しぶりの再会だった。だが、その再会ほど望まないものはなかった。案の定だった。憎しみのこもった顔は想像の中のラヴェンナと変わりなかった。変わったのは互いに少し老けたことと、髪の長さぐらいか。

「髪、切ったんだな」

 思わず呟いたその言葉に、ラヴェンナは、より表情を険しく変える。馴れ馴れしい態度と感じて、苛立ったのだろう。

「よくそんな呑気な感想が抱けるわね」

 全くだ。レパードは猛省した。他に言わなければならないことはたくさんあったはずだ。だが、どの言葉も今となっては無意味だ。

「……こうして会うだけで十二年も掛かった。その私の気持ち、わかる?」

 私の気持ち、わかる?

 十二年ぶりに訊く、ラヴェンナの口癖だった。彼女はよく怒らせるとそう言って、レパードを睨みつけた。

 待ち合わせに遅れた時、魔物に襲われて服が汚れた時、彼女の気に入る贈り物を渡せなかった時。どの思い出よりも、今回の言葉は重く突き刺さる。

「ねぇ、十二年前のあの日、何が起こったのよ?どうしてあんなことに……」

 彼女の声音に哀しみが混じった。言葉を紡ぐならば今からでも遅くはなかった。それでもレパードはただ、黙っていた。話せるわけがない。その記憶は、あまりにも惨く、救いがなかった。今更、十二年も会ってこなかった相手に、あの日の出来事を語るのはあまりにも卑怯だ。逃げることは許されない。どんな事情があろうが、憎まれて当然のことをしたのだから。

「何とか言いなさいよ!」

 叩きつけられても、レパードは沈黙を守った。無意識に帽子を腕で抑えて、表情を隠す。それが、ラヴェンナの気に障っていることはよくよくわかっていた。

「あんたは、私の家族も、友人も、皆奪ったのよ……!」

 怨嗟の声に、レパードはただ背を向けた。それが何よりも肯定になった。

 ラヴェンナは憎しみだけを言葉にはしなかった。哀しみを織り交ぜたその声が続く。それが逆にレパードの心をずたずたにした。

「はじめは、そんなはずないって思っていたのに!なんで!嘘だって言いなさいよ!」

 認めるしかなかったのだろう。推察はできた。後から残った証拠は、ラヴェンナから全てを奪った人物がレパードであることを示していたのだろうと。それが両者にとって、哀しい事実であることはわかっていた。だからこそ、レパードは逃げたのだ。もう会えないと、そう思った。

「この船は、もうすぐ目的地に着く」

 背中にラヴェンナの声を浴びながら、レパードはぽつりと事務的に呟いた。

「銃は返す。お前はここを離れてどこかへ行け」

「私はあんたを殺すまで、去らない」

 その言葉が返ってくるのは十分に想像できたはずだ。

「あんたは、この船を逃がしたら殺されてくれるんでしょう?」

 タイムリミットはとうにきたとそういいたいらしい。

「この船は逃げきっていない。『魔術師』の問題を解決しても、まだ狙われるだろう」

 それどころか、以前より狙われるようになった。その問題を解決しない限り、セーレは、リュイスたちは逃げ続けるはめになる。逃げ切ったと言えるまで逃がす。それが、レパードが自分に課した使命だ。

 悪いな。心の中でレパードは呟いた。レパードにはできてしまったのだ、助けなければならない者たちが。それがなければ、いつだって会いに行ったことだろう。命で贖えと言われたら、幾らでも差し出したところだ。しかしそんなことを告げても、ラヴェンナには言い訳にしかとらえられないだろうことは容易に察せられる。

「……ふざけないでよ」

 生憎、ふざけてはいないのだ。

「俺はあいつらに、大丈夫だ、もう危険はないんだと胸を張って言えるようになるまで、逃がしたい。それまで待ってくれ」

 十二年だ。十二年逃げ続けても、まだセーレは『安全』ではない。だから、あと何年かかるかわからないことは、レパードも至極承知だった。

「今更、偽善者面?なんなの?!」

 ラヴェンナの叫び声に、もうレパードは答えなかった。

 殺してやる!絶対に、仇を取ってやる!

 背中に降り注ぐ怨嗟の声は、現実か、それともレパードの恐れを具現化した何かか。たまらず、扉を閉めきる。その重たい扉が、この声を消してくれることを祈りながら。

「あー、立ち聞きするつもりはなかったんだけどな」

 ところがそこで、きまり悪そうな顔で廊下に佇む少年の姿が目に入った。

 ぽりぽりと鼻の上を掻いてみせる。

「ジェイクか」

 察するに、会話が聞こえていたのだろう。

 悪い場面に出くわしたと思ったのか、目が左右に泳いでいる。

「……なんつうか、その悪ぃな」

 構わないという合図に、レパードは首を横に振った。

「いや、あれだけの怒鳴り声、聞くなという方が無理だろうしな」

 気配でまだ扉の先にレパードがいることを察しているのだろう。残念ながら、セーレの扉程度ではラヴェンナの声は消せなかった。耳を済ませれば「いるんでしょ!逃げるつもり?!」などと聞こえてくる。

 思わずついたため息に、ジェイクはご愁傷様といわんばかりの顔を向けた。

「まさか船長が、あんな美女に恨まれているなんてな」

 まるで立場を代わりたいと言わんばかりの言い草に、さらにため息をつきたくなった。とはいえ、ジェイクの軽口には意味がある。本題に入るための、先駆けの言葉なのだ。

「……何があって、いや、その」

 ところがまだ話しにくかったのか、歯切れの悪い言い方で次の言葉が満足に紡げていない。

 こういうところは妙に遠慮深いよなとレパードは思う。気づけば二十歳もとうに過ぎた少年、いやもう立派な青年だが、が時折のぞかせる当時から変わらない性格に、ほっとさせられる。

 あの時の小憎らしさは鳴りを潜めたが、お調子者っぷりは変わらず残ったままだ。相変わらず相手の挑発に乗ってカジノでぼろ負けしてくるし、酒場で気になった女を口説いてはこっぴどく振られて帰ってくる。そして次の日には痛い目をみたことをころっと忘れて、また同じことを繰り返す。いい加減学習しろよとも思うが、ジェイク自身はそれを楽しみにしているような節すら見受けられる。全くどうしようもない奴なのだ。

 だが、そんなジェイクは、十二年前の惨事の最中も明るい調子を崩さず、いつも周りに声を掛けていた。ジェイク自身、家族も友人も喪っている。それなのに、皆の話し相手となるよう、動き続けた。頑な人間の前では、馬鹿をやり、ふざけ続けたこともあった。その人間はそんなジェイクを叱っている間、十二年前のことを忘れていられた。ジェイクは直接ではなく、自らを貶めることで、人の心の痛みを癒そうとする、そういう人間だった。

 だからこそ、レパードは言葉を紡ぎやすかった。さらっと流すつもりで、口にする。

「ラヴェに……、あいつに恨まれて当然のことをした。それだけだ」

 しかし性格か気分を切り替え切れていなかったのか、レパードの言葉は再び重たい空気を纏って、その場に漂った。

「……そうか」

 ジェイクも返しにくかったのだろう、ただそう呟いた。

 間が入る。その隙をついて、「この殺人鬼め!殺してやる!」という声が耳に入った。

 それを聞いたレパードの顔が歪んだのを、ジェイクは見逃さなかったのだろう。ふいにレパードへと近づく。

 レパードは、反射的にその場を譲ったが、一体何をするつもりなのか想像もつかなかった。だからこそ、次の瞬間ジェイクが扉を勢いよく開けたのには、唖然とした。しかも、その場で怒鳴ったのだ。

「うるせぇよ!美人相手に怒鳴りたくはないが、ちょっとは静かにしていてくれ!」

 意外な人物の登場に驚いたのか、ラヴェンナの声が止んだ。

「いいか?あんたにとっては仇でも、俺様たちにとって、船長は命の恩人だ!絶対に、殺させねぇからな!」

 ジェイクの宣言が、レパードの心にじんわりとしみた。

 ジェイクは扉を盛大に閉める。

 それで、とうとう扉の先からは何も聞こえてこなくなった。

 ジェイクは、再びレパードに向き直る。その目は真っ直ぐにレパードを見据えた。

「俺様たちに会う前のあんたがどうだったかは知らないが、船長、あの時のあんたは、俺様たちにとっちゃ英雄だ」

 随分血生臭い英雄もいたものだと嘲笑してみようとしたが、できなかった。一体どんな顔をしてジェイクを見ればよいかわからず、いつもの癖で、帽子で顔を隠した。

「だから、進んで殺されようなんてしてくれるなよ」

 ジェイク自身、気恥ずかしくなったのだろうか。それだけ言い捨てて、そのまま去ろうとした。

 そこで、思い立ったようにふとレパードを振り返る。

「ラダの奴、目を覚ましたってよ」

 元々は言伝のために来たらしい。「そうか」とかろうじて返すレパードに、ジェイクはもう何も言わなかった。そして、怒鳴られたラヴェンナも、気配に気づいていないわけはないだろうに嘘のように静かなままだった。

 今度こそ、沈黙が廊下を支配する。

 レパードは軽く首を横に振った。ここまで言われて、投げ出すことなんてできようか。いつしか抱えてしまった『これ』は、どうにもレパードには手放せそうにない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ