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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
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その159 『雲の原を抜けろ』

 仲間のものではない誰かの悲鳴だけが耳に届く。この時のイユには知る由もなかったが、それは魔物を撃退し上空からセーレに飛びこもうとした哀れな兵士たちのものだった。彼らは想像を超える速度で降下したセーレにあと一歩に届かず、霧の中へと呑まれてしまったのだ。新たな魔物の餌食となったのは言うまでもないだろう。

 兵士に対する危機が去っても、セーレは降下をやめない。セーレが突然降下する必要があったのは、兵士から逃げるためだけではなかったのだ。

 兵士を乗せた戦艦自体がセーレを追って真下へと降下した場合、速度では戦艦には勝てない。落下に近い速度でセーレが降下したところで、イクシウス戦艦の船は機械でできている。木造船より重いことは察せられる。

 だから爪が外れた今が、唯一戦艦から逃げる機会だ。それも兵士が魔物に混乱しているこの時がまさしく絶好だ。とはいえ、頭では理解できても、落下の勢いには文句の一つでもいってやりたくなった。ベッタの嬉しそうな声が伝声管越しに聞こえるから余計にだ。

 おまけに、イユは肌に感じるしっとりとした冷たい空気に、セーレに霧がかかったのを感じてしまう。リュイスの魔法が切れているのだと悟ってぞっとした。急にこの速度を出したのだ。風の魔法で霧を追い払う時間がなかったのかもしれない。或いは落下速度に魔法が追いついていないという可能性もある。

 あの兵士たちの二の舞になるのだけはごめんだ。イユたちなど、鎧もないのだから魔物からしたらより柔らかいご馳走にしか見えないだろう。だが目を開ける余裕もないイユたちに、魔物から逃げる態勢を整えろという方が無理だ。

「うわわわっ?!」

 近くで声が挙がって、はっとした。

「シェル?!」

 音と気配だけでイユはシェルらしき腕を掴む。その腕が上へ上へとイユを引っ張ろうとするので、わかった。急降下のせいで、シェルの体が上へと飛ばされかけているのだと。

 冗談ではない。今ここで飛ばされたら魔物の餌食か、運が良くても奈落の海へと落ちるしかない。

 だが、シェルの体が上へと投げ出される力は想像以上だった。イユの体も吸い上げられそうになって、手すりを掴む反対の手に力を込める。

(シェル!)

 祈るように、心の中でその名を呼んだ。手を離すつもりは、さらさらなかった。シェルがハナリア孤児院の子供たちに愛されていること、院長のシュレイアに無事に帰ってこられるようにと祈られていることを、イユは知ってしまっている。あの優しそうなシュレイアが悲しむ顔を見たくはない。また他でもないイユ自身も、シェルが目の前で魔物のいる霧の中に消えていくのを見るのは、絶対にお断りだ。

 それでも、シェルを握る手が少しずつ滑っていく。歯を食いしばって、手に力を入れる。恐らく握られているシェルの手はかなり痛いだろうが、そこは死ぬよりましと腹を括ってもらうしかない。しかしそうこうするうちに、イユの足自身も浮きそうになる。これ以上はまずい。そう思ったところで、イユは意を決した。

(壊すわよ!)

 そう心の中で宣言すると、地面へと足に力を入れる。持てる限りの力を振り絞った。

 鈍い音とともに木片がイユの足へと突き刺さる。見張り台の木組みの中へと体が沈んでいっているのだ。舞い上がった木片がすぐに風を受けて、霧の中へと吸い込まれていく。

 イユはそのまま足を、壊した板の中へと更に突き出した。皮膚の裂ける衝撃を全て無視して、コの字に折り曲げる。思いつけたのは、イクシウスの戦艦が散々投げてきた鉄の爪のお陰だ。返しの代わりに、足を壊れていない板にあてた。足場を壊したわけなので、賢い選択だったかどうかはわからない。だが幸いなことに、そのまま見張り台ごと霧の中に吸い込まれることもなかったし、イユの体は先ほどより安定した。

 しかし、降下の勢いは防げても魔物の脅威は防げない。ふわりふわりと浮くシェルの体は、空を飛ぶ魔物には恰好の餌だった。真っ先に狙われたのは、降下するセーレの中で一番真上に位置する見張り台にいたせいだ。魚たちが一斉に雲の中に入ったセーレへと駆け込む。

 恐ろしいことに、魔物の速度は船に負けていなかった。追いつく追いつかないの瀬戸際で、魔物のうちの一体が見張り台へと近づく。シェルにもイユにもその様子を見る余裕はなかったが、魔物が開けた大きな口には、まるでナイフのように鋭い歯が何本も不揃いに並んでいる。口は風に煽られ続けるシェルを捉え、そして閉じようとした。

 だが、魚に取って残念なことに、その瞬間大きくシェルの体が動いた。風の動きが変わったのだ。あと少しというところで、何も食べられなかった魚が悔しそうに歯を鳴らす。その魚を押しのけてやってきたのは、別の魚だった。次は自分の番だと、その口を開けて、そのまま食らいつこうとした。1回目は大きく空を切ったが、魚はよほど飢えていたのだろう。性懲りもせずその勢いを殺さないまま再度口を開けた。今度こそはと狙いを定める。そして、魚の口がとうとうシェルを捉えた。一瞬の間に、シェルの腰まで口の中に入っていく。そして、そのまま呑み込むべく、口を閉じようとした。

 その瞬間、強風の中で銃声が鳴り響いた。

 それは風の中にあったにも関わらず、的確に魔物の上顎を抉った。だが、鎧も噛み切れる魚だ。ただの銃弾が被弾しただけであれば、びくともしないはずだった。しかし、その弾は被弾と同時に光を放つ。衝撃のあまり、シェルから飛ばされる形で魚が大きく後退する。態勢を立て直した時にはセーレは既に魚の手の届かないところへと飛んで行った。


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