その151 『ブライトの独り言』
「うーん、でも、その組み合わせはよくないなぁ」
ブライトは記憶の中の人物に文句を言った。それから、もう一人、胸から血を流して倒れている男、の方へと歩み寄る。
「やっぱり、ダメっぽいか」
僅かだがその男の皮膚がただれているのを見つけて、ブライトは距離を置いた。恐らく毒の類が塗り付けてあるのだろう。
ラダは余裕がないといっていたが、その意味が改めて分かった。死因は胸を刺したことではない。暗殺者のタイムリミットが先にきてしまったか、故意に仮面の裏に塗りつけていた毒を舐めたのか。詳細はわからないが、もともと生きるつもりがなかったのであろう。ラダが来た時点で任務の失敗を悟ったのかもしれない。
「ちょっとのんびりしすぎたかなぁ」
これらの情報から、頭の中でこれからのことを整理する。ほんの少し前までは、次から次へと幸運が舞い込んできていた。それが今になって途絶え始めている。最も昔から輝かしい未来が待っていた記憶はない。こないだの幸運が異常なだけで、本来の自分に戻ったのだろうと、悟ってみる。とはいえ、手をこまねいて待っていられる状況ではない。どうにも雲行きが怪しいのだ。知らず、組んでいた腕を解いて、唸った。
「せめて『手』が使えればなぁ」
そう、ぶつぶつ呟きながら、ブライトは自身の手の甲から流れる血で文字を綴り始めた。
『予定を変更する代わりに、お土産を持参します』
続けて必要なことを記載していく。
「やばい、そろそろ手の痛みをどうにかしたい……」
書きながらも、ブライトの思考は移る。意外と深く切られてしまったらしく、手の甲の血は止まる気配がなかった。おまけに今頃になって、じくじくと痛み出す。
このときばかりは、傷を癒す魔術が使えないことを恨むほかない。ブライトが得意とするのは変換の魔術であり、治療の類いではない。だから仕方がないと思うことにする。
「届く、かなぁ……。相手の血に反応するとはいえ、現在位置がよくわからないのが相当厳しいんだけど」
手の甲の話題よりも大事だと、手紙の話に戻った。必要な法陣を描き加えていく。
「もぅ、セラがいてくれたらなぁ」
自分の『手』のうちの一人の名をぽつりと出す。
残念ながら彼女は、イニシアに置いてけぼりにしてしまった。記憶を覗かれる恐れがあった。だから、彼女は飛行石を燃やしたときに死を選んだはずだ。恐らくこの世にはもういない。今あの世にいる彼女に会いに行けば、自分の努力は何だったのかと怒られるだろうからまだ会わない方がいいかもしれない。そう、自身を納得させて我慢する。
そうこう考えているうちに、必要な法陣が構成された。
「届け」
法陣を発動させきる。途端に目の前に書いた血文字が光り、消えた。届いたかどうか怪しいが確認する術はなかった。返事ぐらいこれば安心できるのだが、そもそもそれを返せるほどの技量のある『魔術師』に覚えがない。上手くいったことを祈るしかないのだ。
「あとは」
同じように文字を綴る作業を始める。これは使いたくない手だが、必要になるかもしれない。続けて書いた文は短い。すぐに魔術で送り終えた。
「あとはタオル」
ようやく止血をしようとタオルを探す。洗面所を漁れば、すぐにでてきた。白地のタオルは瞬く間に真っ赤に染まっていく。
それを見ながらブライトは唸る。これからどうするかを考えていたのだ。
間に合わないかもしれない。ラダの先ほどの記憶がいつのものかブライトには推測するしかできないのだから。だが間に合わなかったら、暗殺者どころではすまないだろう。逆に取り越し苦労なら、その時はその時だ。
「助けに行くかな?」
たどり着いた結論を口に出す。どんな顔をされることやらと、ブライトは急にうきうきしだした。今から皆の驚き顔が拝めるかと思うと、楽しくて仕方がないのだ。最も、場合によっては拝む以前に自身の命がないかもしれない。だが、ここまできたら何とでもなればいいと開き直ってもいる。これまで何度も命の危機に瀕してきたのだ。一度タカを外してしまった以上、今更これきしの不安では動じない。
「まぁ、あんまり自分のことを軽視すると怒られるからしないけどさ」
そう心の中に浮かんだ人物に断りながら、洗面所の床に落ちているナイフを手に取る。軽く床に突き立てて、感触を試す。杖もペンもない以上、これがブライトの相棒だ。
それから、ブライトはガッツポーズをしてみせた。
「ではでは、人助けの旅に出掛けよーう!」
勿論自分の周りには誰もいないのだから、ブライトの声に応じた者は誰もいなかった。




