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カルタータ  作者: 希矢
第六章 『捕まえた日常』
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その149 『暗がりの中で』

 時は遡り、数刻前。ブライトの耳に、微かな足音が届いた。続いて、床の僅かに軋む音が聞こえてくる。

 ブライトは、目は閉じたまま、指だけは動くか再確認する。初めて縛られたときは体を動かさなかったせいで大変苦労したものだ。だが、こうやって指だけでも小刻みに動かしておくだけで、大分楽になる。ここ十日間以上縛られ続ければ、さすがにその手の要領はわかってきた。

(さて、ここは一つ賭けようかな)

 ブライトには超人的な聴力はないし、優れた直感も持ち合わせてはいない。だからこの足音の持ち主が誰か特定はできない。しかし、今は食事の時間ではないことは薄々わかっていた。それに、それ以外の用でもやってくるレパードは静かに歩く男でないことも学んでいた。そして、仮にレパード以外の人物のものだとしても、この音はあまりにも慎重且つ静かすぎた。

 とはいえこの相手が何も考えずにブライトの前を通過するだけなら、ただの取り越し苦労だ。そのためにわざわざ折角の手段を潰す羽目にもなる。

 だが、ブライトはここで賭けることにした。負けた時の代償はブライト自身の命になるかもしれない。けれども、どのみち何もしなくても殺られるだけだ。

 幸いにも、足音はブライトの部屋の前で止まった。レパードが気の利く男ならば、イユの部屋のようにドアノブに魔法をかけてくれたことだろう。それであれば大変よかったのだが、残念ながら、期待薄だ。

 案の定、ドアノブがくるりと回る。そして静かに扉が開かれた。

「こんにちは。セーレへようこそ」

 察しはついていたが、挨拶をしてやる。

 一筋の光とともに入ってきたのは、やはりセーレの船員ではなかった。手に持っている刃物に血糊がついていないところをみると、運のよいことに船員たちとは遭遇しなかったのだろう。ターゲットだけを狙ってきたというところか。

 そう考えている間にも、その人物は歩を進める。どうもブライトの挨拶に答える気はない様だ。最も、念には念を入れて話せない人物を送ってきた可能性もある。魔術の使えるブライトには本来無意味だ。だが、限られた時間しかない今の彼女に、それは堪える。

 その人物は、ナイフをすっと構えてみせた。

 ここからの距離が遠いこともあって、細かな動きは確認できない。それに、近かったとしても、仮面をつけているせいでその表情は読めないだろう。

 それでも、その人物がブライトに向かって飛びかかり、そのまま突き刺すつもりであろうことは、分かった。

 しかし、ブライトはそれらをみてもただぼんやりと、黒フードに仮面なんて随分はまった格好をしている暗殺者だなと、呑気に感想を抱いている。

 そうこうするうちに、暗殺者が動いた。ナイフを振りかぶった勢いで、僅かな光を浴びたその凶器がきらりと光る。

 そしてそれが振り下ろされる瞬間、ブライトの姿が掻き消えた。

 暗殺者が突き刺していたのは、誰も座っていない木の椅子だ。

「驚いた?」

 ブライトの声は浴室から聞こえてきた。

「陽炎っぽい魔術でしょ。シェパングの忍びたちが好きそうな感じの」

 暗殺者も目を凝らせば気づいただろう、椅子に描かれた血の法陣に。

 ブライトは血で濡れた指先を背後に隠しながら、暗殺者を観察すべく洗面所まで乗り出した。

 暗殺者はブライトが突然消えたことに驚いたようだが、すぐに椅子からナイフを抜き取ってみせる。その滑らかな動作に、時間がないと分かった。

 ばれない程度に指を懸命に動かす。さっさと描き上げなくては、次こそ本当にブライトにナイフが突き刺さる。

「一回暗殺に失敗したんだから、大人しく帰ってくれてもいいんだよ」

 声にわざと怯えを込めつつ、ブライトは提案した。

 何かそれらしい反応がこればよかったのだが、その仕草に何も変化がない。仮面で表情を隠されているのも厄介だ。少しでも感情が分かれば、そこから相手の境遇を推察できるというのに。今確実にわかることは、相手が入念にブライトを殺しにきているということだ。

 暗殺者が一歩ブライトへと近づく。

 てっきり、ナイフを持って突っ込んでくるものだとブライトは予想していた。その方が確実に殺せるからだ。

 ところが暗殺者はここでナイフを真っ直ぐに投げてみせたのだ。あまりの早さに目で追う余裕もなかった。

 ほぼ反射的にブライトはその場に座り込んだ。指が法陣から離れてしまったが、執着していては他の大事なものを失うことになる。

 間髪入れず、ブライトのすぐ頭上をナイフが通り過ぎ、鏡にぶつかって跳ね返る音が響いた。

 ブライトはほっとするどころか慌てた。ナイフは暗殺者が隙を作るために用意したものだと分かっていたからだ。だがそれでも、ブライトの力では避ける以外の手立てがなかった。

 ところが、暗殺者は襲ってはこなかった。否、襲う余裕がなかったのだ。

 ブライトが再び暗殺者を捉えた時、そこには見たことのない男が暗殺者と戦っていた。

 紫の髪を下の方で束ねた細身の人物だ。

 いつの間にと思う余裕もなかった。暗殺者が持っていたらしい予備のナイフと、男のナイフがぶつかり合う音が響く。立て続けに暗殺者と男のナイフが交差する。次から次へと繰り出される剣技に、息を呑むことしかできない。体術を苦手とする彼女にとって、彼らが常人とは思えなかった。

(顔は晒しているし、セーレの船員だとは思うけれど)

 今この場でみれば、味方は紫の髪の男だろう。そして幸いなことに、分は男にあった。暗殺者が振りかざしたナイフを反らせて、踏み込み、突き出してみせたのだ。

 暗殺者の胸にナイフが刺さるのをみて、ブライトは「あっ」と声を挙げる。

「待って、殺さないで」

 リュイスは不殺主義のようだが、船員までそうとは限らない。そのことに気が付くのが遅れた。

 鮮血が飛び散るのを見て、ブライトは頭を抱える。こうなっては魔術も無意味だ。

「そんな余裕、あるように思えるのかい?」

 崩れ落ちる暗殺者からナイフを引き抜きながら、男が呆れ口調で答えた。

「いや、素人だからそのあたりはさっぱりだけど、できれば情報を知りたくって」

 ブライトの言葉に「情報ね」となぞる。

 その目に警戒心が浮かんでいるのを見て、ブライトの指は再び弧を描きだした。

「そう。明らかにあたしがいる場所を知って乗り込んできているでしょ」

 その言葉は男の関心を引いたらしい。

「つまり、セーレに暗殺ギルドとの内通者がいると?」

「いるね」

 ブライトは言い切った。

「絶対にいる」

(あと少し)

 描き終われば、この男ともおさらばだ。

「ところで」

 ふいに男の口調が変わった。それに気が付くのが遅れたのは描ききることに夢中になっていたせいだ。

 お陰で予備動作を捉え切れなかった。気が付いたときには、本日二本目のナイフがブライトへと迫ってきていた。

「痛っ!」

 反射的に手で身を守ったせいで、ずばっと肉の割ける嫌な音が響いた。叫びながらブライトは、法陣から手を離した自分の失態に気づく。

「お絵描きなんてしているからだよ」

 手の甲にあたってはじかれたナイフが、少し離れたところに転がった。

 その先で、男の影が伸びてくる。

「お絵描きは、趣味だからね」

 見上げれば、男の冷たい瞳と目があった。

「随分危険なお絵描きのようだ。大方、縛られていたはずの君がこうしているのもその類かな」

 男の手へと視線が落ちれば、そこにナイフが握られているのが目に映る。

 慌てて、ブライトは自身の手を傷つけたそのナイフを手に取った。

「絵の次はナイフ遊びか」

「いやいや、どう考えても正当防衛」

 腑に落ちなくてブライトは問いただす。

「というよりも、いいの?明らかにあたしを殺しそうな近寄り方だけど」

 男がきょとんとしてみせた。

「何を言っているんだい?」

 その言葉の続きが、安心できる発言だったらどんなに良かっただろう。ところが男はその表情を変えることなく、言ってのけるのだ。

「君を殺すのはそこの暗殺者だろう?」

 狂気すら孕んだ響きに、ブライトは察する。

「まぁ、普通に考えて『魔術師』が狙われないわけがないか」

 セーレの過去を知るのならば、憎しみをぶつけたい対象に今まで刃物を向けなかったこと自体が驚きだ。ブライトは思いっきりナイフを投げつけた。分かっていたのだろう。男がナイフでそれをはじいてみせる。

 その隙にブライトは後方に落ちていたもう一本のナイフを拾った。そして、それをそのまま地面に突き刺す。

 刺した先は、先ほどまで描いていた法陣の中心だ。赤い法陣が僅かに光を浴びた。男がナイフを投げた気配を感じる。

 ブライトは間髪入れず法陣の力を放った。かちゃんと、ナイフが現れた光の壁にはじかれる音が響く。だが光の壁は一瞬しか持たない。さきほどの法陣は即席なので効果が薄いのだ。

「これが魔術……」

 驚いた男の声を呑気に訊いている暇はない。

 すかさずブライトはナイフを引き抜き、はじめに暗殺者に使う予定で描いていた法陣へと振りかざした。

「させるか!」

 男の声とナイフの気配を感じながらも描き切れていなかった最後の一閃を刻み込む。

「大したお絵描きでしょ」

 発動させた魔術はその法陣の光に触れている人物の動きを止めるものだ。しかし、男からの距離は到底離れている。法陣に近づくことはおろか、光に触れてもらうことなど万が一にもできない。

 そう、裏技を使わなければ。

 ブライトはにやりと笑う。

 ナイフの刀身はある位置で固定されていた。

 そして、ナイフに映った法陣がそのまま洗面所の鏡に映る。その光は男のいる地面へと僅かに届いていた。完璧に計算された位置。殆ど勘で発動させたものだが、人間の勘は当てずっぽうという言葉では当てはまらないほど、時に正確になる。例えばヴェレーナの職人技。あれと同列に魔術を語っていいかはわからない。だが、魔術の専門家たるブライトには、殆どが偶然の産物ではあるが、実現することができた。

「鏡に反射させた法陣。これぐらいの距離でないと発動しないけれど、いい絵的センスだとは思わない?」

 予備のナイフを持っていたのだろう、ブライトへと伸ばされた男の手の先でそれは落ちていた。そして、男の動きがそこで確実に止まっている。屈辱に見開いた目だけが、変わらずブライトを睨みつけていた。


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