その147 『パティオでの会話』
「お久しぶりです、サロウ殿」
マーレイアはドレスの先をつまんで礼をしてみせた。
彼女のパティオに通されたサロウもまた、紳士の礼を返してみせる。その仕草には『魔術師』として何もおかしなところはないはずなのだが、サロウの体つきが問題なのだろう、『魔術師』というより屈強なボディーガードに挨拶を返された気分になる。
そのサロウが庭を見渡して、ぽつりと口を開いた。
「今年はご無沙汰しておりましたが、もうこの花が咲く時期でございましたか」
白に、淡い水色、そして青といった落ち着いた色合いの花が咲き乱れている。シェパングには有名な『桜』という木があると聞くが、花の姿かたちはまさにそれにそっくりだった。だが、この花は木にはならない。冬の寒さが和らぐころに、雪の中から顔を出す。そして雪解けに合わせて、少しずつ少しずつ根を張り、実をつけ、花を咲かせていく。再び寒さが厳しくなると雪の中に埋もれていくが、枯れた姿を見られることはなかった。不思議なことに、春が訪れ、夏が近づくとまたこの花は変わらぬ姿を見せるのだ。
「えぇ。『オリニティウス』も、随分この庭に馴染みました」
雪という厳しい環境にも屈しないこの花だが、どういうわけかよい環境を整えてやってもなかなか思うように育たない。遠方から一輪運ばせたが、庭中に咲き乱れるほど増やすために庭師には多大な苦労を掛けた。
「そうですね」
感慨深いものを感じたのか、サロウは目を閉じた。
「どうぞお掛けになって」
構わず、マーレイアはメイドに椅子を引かせる。サロウは「すみません」と甘えたが、その言葉には複数の意味が込められていたに違いない。
お茶が運び込まれてくると、再びサロウが口を開いた。
「マーレイア様におかれましては、この度のことは……」
マーレイアは首を横に振ってその言葉を止める。
「構いません。覚悟はしておりました」
棺桶に入れられた父の顔が浮かぶ。
「けれど、今回はようやくあなたの苦しさが分かったような気もしました」
当時のサロウはある意味有名だった。同じ人なのにまるで別の人を見ているようで幼いながらに怖くなったものだ。
「友を失うのも辛いですが、肉親もまた辛いものですね」
正確には肉親を失うのは二度目になるはずだが、母の記憶はマーレイアにはなかった。マーレイアが生まれると同時に命を落としたとだけ訊いている。寂しくなかったといえば嘘だ。そのために友を与えられたのだから。だがそれでも実際にこうして人の死を見るのと見ないのとではまた違った衝撃があるとマーレイアには感じられた。
サロウはふっと顔を伏せた。
「えぇ、本当に」
こみ上げるものがあったのだろう、それ以上言葉にするのも辛そうに見える。十二年。それほどの年月が経っても傷が癒えることはないのだろう。
同感だった。この心の痛みばかりは癒える気がしない。ましてやサロウの場合、二人同時に、しかも自分より若いというのに。
紅茶に口づけて、ほぅっと息をつく。慰みにきた者の心の傷を抉るのは人が悪いというものだろう。
「……今もまだ『異能者施設』の施設長を?」
切り替えれば、サロウも話を合わせる。
「えぇ。もう六年になりますが」
異能者施設自体についてマーレイアはよく知らない。ただ、彼の考え方はよく知っていた。
「やはり『異能者』の撲滅を掲げて?」
急変したと言われたサロウの一つがこの信念だった。
「はい。彼らの存在は悪質です。普通に家族として暮らしている者の中で、ある日突然暴発が起き、悲劇が引き起こされる。国民が『異能者』という脅威に曝されてはなりません。……マーレイア様に至りましては、ただの復讐とお思いになるかもしれませんが」
国王は異能者の撲滅には頑固反対の姿勢をとっていた。国王曰く、彼らも「同じ国民である」と。異能者施設設立そのものに対しては危険だとの声を聞き渋々受け入れていたが、本来であればそのような施設は不要にしたいと端々に告げていたという。
娘とはいえ父と直接話す機会の多くないマーレイアだったが、メイドたちのそのような噂話からも信念が強かったことは伺えた。そして、サロウもあの日まではそれに従っていたのだ。それを知っているだけに安易な回答は憚られた。
「私にはよくわかりません。彼女が『異能者』に殺されたとしてもそれが正しいことなのかどうか」
庭を見やる。よく『彼女』と遊んだ場所。あの大切な時間を奪った彼らにマーレイア自身も憤りを感じないわけではない。それでも、サロウの急変が怖く感じた彼女には、言い切ることができなかった。先祖が今のマーレイアをみたのならば、優柔不断な次期女王だと謗られることだろう。
「仮に……」
口にしてから躊躇う。サロウの不思議そうな表情が、その思いを後押しした。
「仮にあなたが私の右腕となってくれたなら……」
ところがサロウは最後まで言わせなかった。
「いいえ、私には重すぎる役目にございます」
これがフェンドリックあたりなら喜んで飛びついてきただろうに。
「そう、ですか……」
「私などよりオスマーン殿を推薦しては?彼であれば貴族としての位も『魔術師』としての力も何も問題はないかと」
オスマーンならばマーレイアも知っている。マーレイアに幾度も訪問の申し出をしてくる人物の一人だ。確かに父には従順だったと聞いてはいるが、気は進まなかった。マーレイアの様子を見てか、サロウは別の人物を推薦する。
「それでは、ジャスティス殿はいかがでしょう。まだお若いですが、貴族たちの支持を集めている」
これまたマーレイアへの訪問数が多い男の名前が出た。頼んでもいないのにいつも一番豪華な手土産を持ってくる人物だ。メイドにも毎回ヴェレーナの職人に作らせた端正な砂糖菓子を配るようなので彼女たちからの評判は高い。だが、彼は――、
「父が最も厭う戦を推進する者ですよ」
「何も父君の言うことをあなたが真似る必要はありません」
サロウの言い分も一理あった。だがジャスティスの言う通り、シェイレスタに攻め入ったら何が起こるのか。知識ではわかっていても、マーレイアには想像もつかなかった。ただぼんやりと、恐ろしいとだけ意識する。自分が一言それを認めてしまったら、一つの国が滅びるかもしれない。いや、正確には違う。マーレイアには実際何の力もない。『魔術師』たちの思い通り、言われるがままの人形だ。気が付いたら、一つの国を滅ぼした責任を取らされている。その事実に、改めて身震いする。
「……私も、戦などしたくはありません」
かろうじて返せば、サロウも頷いた。
「それは同感です。無意味に人が死ぬのはこりごりですから」
それを聞いて、胸が痛んだ。叶うならば、夢でいい。今は亡き旧友に会いたい。政とは無縁の、にこやかに友と語らっていた頃の自分に戻りたい。大勢の人が死ぬ責任だけを取らされる立場から逃げ出したい。
だがマーレイアは悟っている。右腕となる人物を用意したところで、何も変わらない。そもそもこうやっていろいろな人物を推薦してもらうことすら、本当は無意味なのだ。マーレイアは傀儡なのだから。それならば、聞くだけ無駄だ。
「サロウ殿。ご助言をありがとうございます」
マーレイアの口調に何かを感じたのだろう、サロウは押し黙る。その隙にと、紅茶を口に運んだ。唇を湿らせなければ、この絶望という名の渇きは誤魔化せそうになかった。
「お役に立てずに申し訳ございません」
察したのか、サロウは謝罪さえしてみせた。
ここで否定してしまうのも逆に失礼にあたると考えて、マーレイアは認めることにする。
「いいえ、力不足な私が悪いのです」
「月並みでしょうが、かつて面倒をみていただいた娘の親として、あなたのことを応援しております」
言葉は丁寧なものの頑張ってくださいという言葉に突き放された気がして、マーレイアはきつく唇を結んだ。サロウは権力も名声も欲していない。貴族たちのようにマーレイアに接することがない、数少ない知り合いだ。だからこそ、手放したくないのに。
焦ったマーレイアの次に浮かんだ表情は、笑顔だった。
「あなたこそ、施設長の任、頑張ってください。私でよければいつでも相談に乗りましょう。便宜も図らせますわ」
完璧な笑みだったが逆に彼女の心は冷え切っていた。手放したくないがために、マーレイアはサロウに言われたことを叶えてやるいう餌を用意してみせたのだ。これではあの『魔術師』たちと何も変わらない。その思いが、彼女を蝕み始めていた。
「心強いことです。それでは困ったときには相談に乗らせていただくとしましょう」
そして、サロウもそれには乗っかったのだった。




