その142 『執念』
喫茶店での仕事は瞬く間に終わった。慣れないメニューに接客で、珍しく疲れを感じたが、最初の不安はどこにいったのやら、意外と楽しい。客の中には不満そうな者もいたが、むしろイユの接客を楽しんでいる客もいて、感じ方は人それぞれという奴らしいと思った。
幸い、懸念材料であったあの女は一度も店に来なかった。まさか簡単に諦めたとも思えないが、女の考えが読めないので、今はよかったと思うことにした。
「ご苦労さま。ほら、お給金だよ」
店長からその場でお金をもらって、イユは早速作ったばかりの財布に入れた。自分の作った財布に自分で稼いだお金が収まるのだ。充実感と嬉しさと、様々な気持ちがこみあげてきて、にんまりしてしまった。おまけに、ラヴェンナはギルドの依頼がどうとか言っていた。つまりこれは、ハナリア孤児院の仕事を除けば、イユにとって正式なギルドの初仕事にあたるのだ。
「しかも、2500ゴールド!」
なんとこの一回で、ミンドールからもらったお金の五倍の金額が手に入ったのだ。今ならば店の外に出ていたバザーの品も買えてしまう。
「さすが遊園地」
刹那も心なしか満足そうだ。
「けれど、かなり時間が経ちましたね。もう、さすがにいないといいのですが……」
ラヴェンナが念のため周囲に女がいないか確認しに行っている。これでいないなら安心して帰れるというものだ。
「それにしても、夜も開いているのですよね?抜けてしまってもいいのでしょうか」
リュイスの心配は店の営業についてだ。
それに対し、店長は問題ないよと答えた。
「夜は客足が減るし、代わりの子がくることになっているからね」
元々その子と二人きりの仕事だからと言う。
確かにこの分なら二人でもまわせそうだとイユは思う。バザーが開いている時間は混雑していて忙しくなったが、バザーが終わった今は客足がぴたりと途絶えて閑散としている。
「帰ったわよ」
声に見やれば、ラヴェンナがお化け喫茶の入り口の垂れ布をめくりあげて入ってきたところだった。
イユは「どうだった」と聞こうとしたところで、彼女が親指を上に突き立てているのに気が付く。
「問題なし。一通り回ったけど、この付近にはいないわ」
それを聞いて、ようやく安心できた。
「よかった。これで帰れますね」
「それなら私も一緒に帰るわ。お仕事は完了よね?」
確かめるように、ラヴェンナが店長に確認をとる。
「あぁ。いい人選だった。ギルドを通しておくよ」
ラヴェンナの報酬は、どうもギルドから出るらしい。後でイユがリュイスに確認したところでは、ギルドの正式依頼の場合は一度ギルドの受付に連絡がいき、そこからギルド員にお金が支給される。そうすることで、当事者間の報酬を巡る問題が起きないようにしているのだという。代わりにギルドもしっかり手数料代をいただくと聞けば、マドンナの強かさに脱帽だ。
「ふふ、せっかくだから、今度ここにきたときは、ひいきにしてもらえる?」
ラヴェンナは棚に並んだ酒を見ながら、にんまりと笑った。察するに、酒好きなのだろう。店長の承諾の頷きに更に笑みが深まる。
「それでは失礼します」
リュイスが挨拶をしてイユたちも店長に手を振った。
店を出れば、バザーは畳まれて、閑散とした雰囲気が出迎える。僅かに残っている商人たちが売れ残りをしまい、遊園地を堪能したらしい家族連れがその間を縫うように歩いている。疲れて眠っている子供を背中に負ぶって歩いている若い男もいれば、まだ元気が有り余っているのか駆けっこをしながら走っていく子供たちもいる。それでも一同から漂ってくる充実感や満足感のようなものを感じ取って、イユは彼らに笑いかけたくなった。
それから、またこんな日があるといいなとぼんやりと考える。セーレ内の家事や手伝いも楽しいが、それらとは違う世界に飛び込む今回のような経験も新鮮でわくわくさせられたのだ。
「そうそう」
遊園地の出入り口へ向かいがてら、ラヴェンナが言った。
「知っている?今、イクシウスが何やら慌ただしいのよ」
恐らく、ラヴェンナとしては、今回のお礼も兼ねて情報を提供しているつもりなのだろう。しかしイユにとってその国の名前は出来れば耳に入れたくない部類のものだ。今の気持ちに水を差された気がした。
「慌ただしい?」
イユの気持ちに気づかず、刹那が訊く。
「そう。あなたたちも警戒したほうがいいわよ。いちゃもんを付けられて捕まるともしれないから」
随分な言い草だがラヴェンナには他意がないようで、リュイスの次の質問にも何気ない口調で答える。
「ラヴェンナさんは、ずっとインセートに居続ける予定なのですか」
「ラヴェンナでいいわ」
そう断ってから、ラヴェンナが続ける。
「そうねぇ。気が向くまではいるつもりだけど」
当てがないのだと、ラヴェンナはぽつりと呟いた。
以前の、探しているという人物の話を振ろうかと悩んで、イユはやめた。結局レパードははぐらかしたままだし、下手に口出しをしていいものか判断しかねたのだ。
悩んでいるうちに、出入口の噴水に差し掛かる。椅子に何人かが座っているのが見える。何気なく近寄ろうとしたところで、イユは思わず足を止めた。
「待って」
一行に警告する。まさかとは思った。あれから何時間もたっているのだ。だが、椅子に座っているうちの一人に、明らかに見覚えがある。
「いるわ」
イユの視力が調整できるのが幸いした。イユ以外にはあの女を捉えることができない。逆に言えば、あの女もこちらのことが見えていないはずだ。
「……出入口で見張っていれば、確かにいつかは通るわけか」
周囲だけで遊園地の出入口までは確認しなかったと、ラヴェンナは呆れ口調だ。
この遊園地の出入口は一つしかないらしい。人混みに紛れて退場すればばれないかとも思ったが、残念なことに客足は減ってきている。夜は遊園地よりサーカスや他の場所に人が赴くのかもしれない。どのみち、あの執念だ。人混みに紛れていても探しだしてきそうなのが怖い。実際、バザーにいた時はあの人混みの中で見つかったのだ。
「どうする」
刹那の疑問に、暫く誰も答えなかった。
「抜け道とかないの?」
これはイユ。
「少なくとも私は知らないわね。知っているとしたら……」
お化け喫茶の店長ならこの遊園地の経営側の一人だ。知っているのではないのだろうか。
全員同じことを考えたらしいと、その顔をみてわかった。縋れるものには縋るしかない。
「おいおい、あれって」
「ちょっとまさか」
一行のものではない。遠くからそう騒ぐ人々の声を拾って、イユは慌てて周囲を見回した。何か悪い予感がする。
「イクシウスの兵士……!なんで」
イユの目に、遊園地の出入り口から数人のイクシウスの兵士が颯爽と入ってくる光景が映った。その兵士たちは真っ直ぐに噴水を目指して歩いてくる。
それに気づいたあの女が、慌てたように椅子から立った。兵士に見つかるとまずいのは、あの女も同じなのだろう。向きを変えたところで、イユと目と目が合った。
距離は離れていたはずだ。だから気づかれないと思っていた。しかし、確かに目と目が合ったと感じた。途端に女の焦った顔が一変、怒りに満ちたことからもその事実は変えようがない。
救いは、兵士が女に近寄り声を掛けようとしたことだ。そのまま捕えてくれればいいと願った。
ところが、その兵士たちの邪魔をしたのは遊園地のスタッフたちだ。
「ここに、兵士は入ってこないという約束ですが」
スタッフの声を拾う。
「観光だ。仕事ではない」
無理な言い草だと思いながら、イユは体を方向転換した。のんびりと見ている時間はない。足止めを食らわなかった女が、走ってくる。
「逃げるわよ!」
事態に気づいた他のメンバーと一緒に遊園地の奥へと走る。
もはや目的地を決める暇もなかった。とにかく、相手を撒かねばならない。
「ちょっと、私も……?!」
自分だけ止まっているわけにはいかないと思ったのだろう、ラヴェンナもそう言いながら追いかけてくる。
だが、さすがに若手三人の速度についていくのはきついらしい。既に息を切らせているのが背後の気配でわかった。
「さすがに年かしら?」
「口の利き方に気をつけなさい!」
からかえば、怒る元気は残っていたらしい。頑張って追いついてくる気配がする。




