その134 『彼女は弱くない』
その夜、イユはリーサとリュイスとで夕食をとっていた。備品を手に入れるのが遅れたクルトは今の時間も作業に没頭しているようで、この時間には来ていなかった。いつも食事を一緒にするもう一人、刹那とは何故か会わなかった。
「今日は、ヴァーナーとヴェレーナの街に行ったのよね」
イユはなるべく何気ない顔をしようと気を配った。聡いリーサのことだ。気を付けないとすぐにばれてしまう。
「イユ、ヴァーナーに意地悪されなかった?あいつすぐにちょっかいかけるんだから、何かされたら直ぐいうのよ」
心配そうにいうリーサ。それをする相手はリーサにだけだということに気づいていないらしい。
意外と鈍感よねと思いながらも、イユは答える。
「大丈夫よ」
「本当に?」
「えぇ、静かなものだったわ」
静かすぎて空気が重くなったとは言わないでおいた。リュイスもイユに話を合わせるつもりらしい。隣で相槌を打っている。
「そう?なんだかイユ、少しぎこちない感じがして」
ぎこちないのだとしたら、それはヴァーナー自身ではなく、リーサの過去話のせいだ。どうしても、イユは先ほどのレッサの話を想起してしまう。それはイユにはあまりにも重い話で、少しずつ咀嚼していかないと消化できそうになかった。だから簡単に振り払えない。そして気を付けてはいるものの、当人との付き合いにまで全くの影響をださずにいられるほど自分は器用ではないらしいと、自覚する。普段通り過ごしているつもりでも、こういうところはやはりリーサに筒抜けだった。
「イユ、無理に隠そうとしているでしょう。やっぱり何かあったのね」
黙っていたイユに、リーサが鋭くつついてくる。その視線が、取り繕うものなら見抜いてやるとばかりに、真っ直ぐだ。
「大丈夫ですよ、僕も見てましたけれど、何もありませんでした」
「嘘」
リュイスの助け船はリーサに即座に両断される。
リーサは何かを核心したように、イユを見つめてくる。それがイユを案じるあまりに、鋭い。
これ以上は耐えられそうにない。半ばあきらめながらも、鈍感なのか敏感なのかよくわからないリーサに白状する。
「まぁ、それはちょっとね」
ほら、やっぱり何かあった。そんな表情で乗り出すリーサに、イユは逡巡した。そんなイユに、リーサは何か言ってみろと言わんばかりにのぞき込んでくる。たまりかねて、イユは恐る恐る口を開いた。
「……ねぇ、リーサ。聞いてもいいかしら」
「イユ」「あら、何を?」
イユが聞こうとした内容を予期してリュイスが制止の声を挙げるのと、改まったイユの言い方にリーサが少し構えながらも疑問を口にする声が重なった。
すぐにリーサはリュイスを見やる。
「イユが中々話さないのは、リュイス、あなたが口止めをしていたからなのね」
「え。いえ、それは」
リーサの詰問に、憔悴した様子でリュイスが慌てる。
「違うのよ、リーサ。私がそれだけあなたにひどいことを聞こうとしているの」
庇うイユに、リーサはきょとんとした顔をした。
「イユが私に?」
イユは、伝わるようにと神妙に頷く。
「でも、それはイユが必要だと判断したからでしょう」
あっさりとした回答に、イユの方が面食らってしまう。リーサはイユが何の考えもなしに傷つけるようなことは言わないと、そう思っているのだと分かって、胸に込み上げるものがあった。
「ねぇ、話して。むしろ黙られた方が気になってしまうもの」
リーサに促され、イユは頷くしかなくなった。リュイスもそこまで言われてしまっては止めることができないようだ、諦めた顔をしている。
せめて覚悟がいることなので伝わってよかったと最後にリーサを慮る。
「十二年前、リーサの身に何が起こったの」
一瞬にして、リーサから血の気がひいた。
やはり聞くべきではなかったのだと後悔した。リーサに不審がられても隠し通すべきだったのだ。
「ごめんなさい、話したくないわよね」
すぐに、イユは取り消しにかかる。イユだって、自分の過去を話せと言われたら、いやなのだ。それをあえて聞いてしまった。
リーサはどこか呆然とした様子で、首を横に振った。
「どうして急に?ヴァーナーに何か言われたの」
「違うわ。個人的に気になったの」
ヴァーナーを話題に出すつもりはなかった。彼はリーサが傷つくことを恐れている。それなのに、ヴァーナーがイユに話をしたから、リーサが傷ついたとは思われたくなかった。
「……リーサ?」
冷たい手の感触に、イユは戸惑う。突然、リーサに手を握られたのだ。
「ごめんなさい、こうしていれば話せそうで」
イユはリーサに手を握ってもらったことを思い出す。あの時と同じ気持ちだとしたら、イユはやはり聞くべきではなかったのだ。
「そんな無理して聞き出そうとはしていないわ。言いたくなければいいのよ」
ところが、リーサは首を横に振ってみせた。
「いいえ。私はイユが異能者施設にいたことを一方的に知っている。それならば、イユだって、私のことを聞く権利はあるのだと思うの」
「リーサ……」
むしろ、イユの過去のことなど、詳しく話したことはない。ただ異能者施設から逃げたことを船員に、リーサに知られているが、その程度のことだ。それを言うならばイユの方がリーサがカルタータにいたことを知っていて、人形のように何も反応をしなかった期間があったことも聞いている。すでに平等、いやそれ以上なのだといいたくなった。けれど――、
「お願い、話させて」
そう懇願するリーサの勇気をくじいてはいけない気もしたのだ。
リーサがとうとう、口を開く。
「……私、私はね」
リュイスも隣で大人しく聞いていた。表情に驚きが表れているのが見て取れる。
「街が襲われたとき何もできなかったの」
それは、リーサの独白にも聞こえた。
「お母さんも、お父さんも、まだ乳母車の妹も、皆目の前にいた。それなのに、助けられなかったわ」
その言葉を理解するのに時間がかかった。リーサは目の前で家族を失ったのだ。それを『助けられなかった』といっている。街を襲った相手は『龍族』だったはずだ。そして、その事件が起きたのは十二年前だったはずだ。
(リーサはその時まだ幼い子供だったのでしょう?)
イユはリーサを見くびっていたのかもしれない。心のどこかで侮っていたかもしれない。そんな言葉が出てくる彼女に、弱さなど微塵も感じられなかった。
「私を助けてくれたのは、船長だったの」
リーサの話は続く。
「殺される寸前で、ぎりぎり私だけは間に合ったって。家族を守れなくてすまなかったって」
レパードは助けられなかったと言っていたが、リーサの言葉からは全く別の側面が窺える。
「でも私、その時どうしようもないことにお礼のひとつも言えなかった。助けてもらったのに、喉がからからになってしまって、涙が止まらなくてどうにもならなかった。あの時からよ。私はあの時から、私の手に負えないものがあると思うと怖くて、震えてしまって何もできなくなってしまうの」
情けないわよね。というリーサが、イユには眩しくすら見えた。
「リーサは強すぎよ」
その感想が、リーサの中で突拍子もないものだったらしく、きょとんとした顔をした。
「私は、異能者施設にいたとき、助けようとすら考えなかったわ」
それどころか。そう言って、思いつく限りのことをあげる。
「鞭に打たれている人たちを助けなければ、その分自分が鞭で打たれなくてすむわ。飢えている人に食料を恵まなければ、その食べ物が余分に手に入れられる。誰かを見殺しにすれば、代わりに私は生き残ることができる。そんなことばかり、いつも考えていたわ」
我ながら最悪だなと思った。
「そんな、『助けられなかった』なんて思えるほどの強さは私にはなかったわ」
だからリーサが羨ましいとさえ思った。優しさを貫ける強さは、イユには到底届かないものだったのだ。
「でも、話してくれてありがとう。なんだかすっきりした気がするわ」
イユはヴァーナーに言ってやりたくなった。ヴァーナーは、目の前で家族を失ったリーサにこれ以上悲しんでほしくないのだろう。だが、それはとんでもない勘違いだと。リーサは大事なものを失ったことで人形のようになったわけではないのだ。大事なものをこの手で守れなかったことが、原因なのだ。
ヴァーナーが思うほど、リーサは弱くない。




