その131 『二人の関係』
マカロンを入手した一行は、駅までたどり着いた。行きとは打って変わり、その駅は立派な宿舎のようだった。三メートルは優にある入り口をくぐると、途端に喧騒に包まれる。そこでも幾つか店が出ているのだ。
さすがにお金も減っていたイユは名残惜しみながらもその間を歩く。五、六分歩けば、切符売り場にでた。行きと同じように、リュイスが購入し、ホームまで通じる道を進んでいく。
人の数が多く、気を許すとはぐれそうだった。キャンディを売っている店の横を歩いていると、イユのすぐ頭上を木箱が飛んでいくのが視界の端に入った。その木箱に視線をやると、ちょうど先の道を右に折れていく。リュイスに合図され、イユたちもそれを追いかけるように進んだ。
木箱が向かった先にはホームがあった。既にトロッコが到着している。木箱はそのトロッコの一番後ろの貨車に一人でに乗り込む。
そして、木箱を切り離した部品はその場でくるりと回転し、元来た道を戻っていった。
「ほら」
リュイスに声を掛けられ、イユもトロッコに乗り込む。三人だけでほぼいっぱいになる車両の先頭には、木を削ってできた人形が動いていた。行きにはいなかったから、どうもトロッコにも種類があるようだと推測する。
人と荷物ですぐにいっぱいになったからか、トロッコは汽笛を鳴らして早速動き出した。ゆったりと奇怪な街を進んでいくトロッコは、行きと同じく町全体をめぐるつもりらしい。
はじめは見ているだけでも楽しかったが、最終的には手元にあるお菓子の誘惑に負けた。イユは袋を開け、マカロンを頬張る。
「甘いわ!」
ハンバーガーのような見た目をしているので、すっかり油断した。予想外の甘さに思わず顔をしかめる。
「甘いものは苦手ですか」
そういうリュイスは、おいしそうにマカロンを口に入れた。この甘さに驚かないところをみると、結構な甘党かもしれない。
「苦手じゃないけど、不意打ちだったわ」
「お菓子なんだから甘いに決まっているだろ」
呆れた様子でヴァ―ナーもマカロンを口に放り込む。
「こんなものばっか食べていたら、虫歯になりそうだ」
と感想を一言。どうも甘いものは好きではなさそうだ。
「知っていたら買わなきゃいいのに」
「お前らが買う前提でごちゃごちゃ話しているからだろ」
どうやら引くに引けなくなったらしい。意外とこの少年は空気に飲まれやすいところがあるようだ。
「ヴァーナーは甘いものが苦手だったんですね。すみません」
リュイスの謝罪に、ヴァーナーはむしろ顔をしかめてみせた。
「お前、一体何年一緒にいると思っているんだ。知っていろよ」
その言葉に、ふと疑問が生まれる。
「何?ヴァーナーってセーレは長いの」
リュイスが代わりに答えた。
「十二年の付き合いですよ」
初期からいるんですとイユにわかる声の大きさで付け加えた。イユは頭の中でセーレの情報を整理する。セーレにいる船員には大きく分けて二つの区分がある。一つはギルドを通して雇ったギルド員で、もう一つがカルタータからやってきた初期員だ。前者は、雇った時期が異なるため、人によってセーレにいる長さが違う。だが初期員は全員同じ時期から一緒にいる。それがよく耳にする『十二年前』。リーサとヴァーナーは仲が良いとクルトが言っていたが、十二年もいればそうなるのもわかるような気がした。
「ずっと疑問に思っていたのだけど」
念のため周囲を警戒して、声のトーンを落とす。
「なんで『龍族』の魔法に見慣れているはずなのに、異能を怖がるの?」
「大体のことは話しているんだな」
ヴァーナーがリュイスに確認する。
「はい。僕らの故郷のことも伝えています」
「でも、肝心なことは話してねぇ」
どこか不満そうな様子だが、イユには何故か分からない。
「暴発って知っているか」
その言葉に、イユはびくっとなった。ついこないだ、嫌な体験をしたばかりだ。
イユの様子で確信したらしい。ヴァーナーは話を進める。
「あいつらに襲われたとき、街は余計に混乱したんだ」
急に襲われて心の準備ができていなかったということだろうかと、イユは推測する。それで暴発が起きて、犠牲者が増えたと。だから、異能に、恐らく魔法にも、恐怖を抱くのだと言いたいのかもしれない。
「それに……」
ここで初めて、ヴァーナーは説明したくなさそうな顔をみせた。思い出すのも辛そうな表情だった。
「街を襲ったのは『龍族』だった」
耳を疑う言葉に、イユはリュイスを確認する。彼も神妙に頷いていた。
「今ならわかります。恐らくは、暗示を使われたんです」
訊きなれた言葉が出てきて、何とも言えない気持ちになった。だからなのかと気づく。彼らが暗示にあれほど警戒する理由だ。過去にリアという『異能者』が裏切った。だからイユを警戒する。それも事実だろう。だが、それだけではなかったのだ。彼らは信頼のおける存在が、暗示という魔術一つで簡単に覆るということを知っていたのだ。
「だから、あなたは私が怖いのね」
信頼していた魔法という力が、ある日突然襲ってきたらどうだろう。むしろ『龍族』に関わったことのない人に比べて、不信感は強くなるかもしれない。それでもリュイスやレパードがここまで慕われているのは十二年という月日があるからということだろうか。
「別に怖いわけじゃねぇよ!」
ヴァーナーは首を横に振った。
「じゃあ何よ」
嘘だと思う。少なくともイユに対して全く恐怖を感じていないわけではないだろう。
「俺はお前が信用できねぇだけだ」
セーレの食堂で、ヴァーナーが叫んだときも確かに言っていた。
しかし、このままこの関係が続いていくことをよしとしてよいのだろうか。イユは心の中で首を横に振る。機関室に行く度、嫌な顔をされ続けるのは本意ではない。今回の休暇は逆に考えれば、ヴァ―ナーとの関係を変える機会だ。だから、切り出すことにした。
「じゃあ、どうしたら信用してもらえるわけ」
「は?」
その言葉は、ヴァーナーには意外だったらしく、素っ頓狂な声を出した。
イユはじっと見つめることで、ヴァーナーの答えを待った。
イユの視線に窮したのか、ヴァーナーは視線を反らす。
「そんなものはねぇよ」
ここまで問い詰めても逃げるのか。イユは内心痺れを切らした。しかし、ここで退いては一生歩み寄ることはできない。
「何よそれ」
更に睨みつけてやれば、ヴァーナーはもう殆どイユを見ていない。それでも、この距離だ。耳まで塞ぐこともできまいと、イユは詰問を続けた。
「そんなものはないってどういうことよ」
本当のところ、イユは知っている。信用できないというのは、ただの言い訳なのだ。きっと、ヴァーナーは異能者であるイユのことが嫌いなのだ。命を脅かされる危険を避けたいだけなのだ。元々ヴァーナーには歩み寄るつもりなんて、鼻からないのだ。
実際、問い詰められたヴァーナーは遂に言い放った。
「ねぇものはねぇよ!お前が異能者である限り、この世にバカみたいな暗示の仕組みがある限りな!」
「ヴァーナー、そんな言い方は……」
さすがに言いすぎだと判断したのかリュイスが窘めるように言うが、一度声を張り上げたヴァーナーにはもう止まらなかった。
「この際だから、言うがな!これ以上、リーサに、あいつに近づくんじゃねぇ!」
思わぬ言葉に、今度はイユが叫ぶ番だった。
「なんで、リーサが出てくるのよ!」
「お前はダチのつもりか、あいつとずっと一緒にいるだろ!それが心配だっていうんだよ!」
席から腰をあげてまで叫んでいたヴァーナーは、そこで初めて気づいたように腰を下ろした。トロッコの乗客が驚いたようにこちらを見ている。聞かれていい内容ではないのについ叫んでしまったことに、ヴァーナーは後悔したようだった。
一方でイユは、ヴァーナーの発言を吟味していた。ヴァーナーがリーサのことを気にしていることは知っていた。だが、イユとリーサの関係に口出しまでしてくるとは思っていなかったのだ。
「リーサとは友達のつもりじゃなくて、本当に友達よ」
まず、イユはそう訂正を入れた。
「それに、ヴァーナーはリーサの何なの?口出しされるいわれはないと思うのだけれど」
ヴァーナーの顔がたちまち怒りで赤くなった。それでも何とか自分を抑えることに成功したようで、押し殺した声で答えてみせる。
「ただの幼馴染だ」
だがそれだけでは、口出しされる理由にはならない。ヴァーナー自身もわかっているのかむすっとした顔だ。
イユとしても、あまりにも不器用なこの男をからかう気になれなかった。ヴァーナーがリーサのことを好いているのは、クルトから聞いて分かっている。むしろ意地悪な質問をしたのはイユだろう。
「でも、リーサは以前よりだいぶ明るくなりましたよ」
リュイスがその間を割って入った。
「サーカス会場では正直驚かされましたし。イユがいることで、ずっと良い方向に進んでいると思います」
リュイスのフォローに、イユは誇らしくなった。もし、イユがリーサに影響を受けているように、イユもリーサをいい方向に変えているのだとしたら、それはいい関係が築けているということだろう。
「それはわかっている」
驚いたことに、ヴァーナーはそれを否定しなかった。
「わかっているなら、なんで」
余計に、ヴァーナーがイユたちの関係に口出しするのはおかしいだろう。
「……だから余計に心配なんだって話だよ」
「どういうこと」
イユは尋ねながらも、徐々に理解が及ぶ。ヴァーナーの心配は、イユには本当にどうしようもないものであるということを。
「あなたが一番心配しているのは、私とリーサが仲良くなること?そうすると、私が暗示でリーサを傷つけた場合、もっとリーサが苦しむから」
一理あった。だが認めたくはなかった。
「そんなこと言いだしたら、何もできないわ」
リーサと距離を置いたら、リーサは傷つかないかもしれないが、同時に変わることもない。だからこれはヴァ―ナーの身勝手な意見だと言ってしまいたかった。自身にとって大事なことしか考えていないではないかと。
「わかっているさ、んなことは」
ヴァーナーの顔は険しいままだ。しかし否定をしないことが、イユの発言を認めていた。
「ねぇ、折角だから聞かせて」
この機会にと、イユは口を挟む。
「リーサとヴァーナーのこと」
何か話してとせがめば、怪訝な顔をされた。
「うるさいな!なんでお前にそんな話をしないといけないんだよ!」
最もな疑問にイユは答えた。
「あなたが言ったのよ。肝心なことは何も話していないって」
イユはセーレにいたいと言った。だが、肝心のセーレについて熟知しているとはいいがたい。
「セーレにいると言った以上、私は知る必要があるわ。セーレがどういう船なのか。船に乗っているあなたやリーサはどんな思いでいるのか」
今回の話で、ヴァーナーの気持ちは知ることができた。それでようやく、イユは彼が何に対してイユを危険視しているのかがわかったのだ。
「でも、それ以外のことはよく知らない。私にはよくわからないけれどリーサは以前暗かったの?それは一体どうして?」
質問攻めのイユに、ヴァーナーはついに口を閉ざした。
暫く沈黙が続く。がたんがたんとトロッコが揺れた。
リュイスがちらっと彼に視線を送る。話さないのかという合図だろう。
しかし、ヴァーナーはそこまでの催促があっても口を開こうとしなかった。
「お前にあいつのことを話すつもりはねぇ」
ただ、とヴァーナーは続けた。それはヴァーナーがイユに歩み寄った初めての一歩だったのかもしれない。そして、正直に言うとイユはそれまで、この問題をもっと簡単に考えていたのだ。
「これは俺のエゴだ」
そう、これはヴァーナーのエゴの問題だ。ヴァーナーがリーサのことが好きだから、単に危険な『異能者』のことを嫌っているのだと、イユはそう考えていた。中々解決策のないような前途多難な問題ではあるが、本人以外がみたらどこか微笑ましさすら覚える恋路の問題にイユは巻き込まれてしまっただけだと。そうではないと気づいたのは、次の一言だった。
「だが俺はもう二度と、あいつの……、あの時の人形にでもなっちまったような姿を見たくねぇんだ」
だから暗示がかかっているお前とは関わってほしくないんだ。言外にそう言われて、イユは言葉を失った。




