その126 『憂鬱な列車旅』
そしてもちろん、最悪な想像はいつでも当たるわけだ。
隣町に行くことが決まった日、イユはすでにげんなりしていた。マレイユの時も話はしなかったのだが、あの時とはうってかわって空気が重いのだ。そもそも何も言わずにいきなりセーレを下りるあたり、ヴァーナーは相当イラついている。
「ヴェレーナの街に行くためには、この汽車……正確にはトロッコ列車ですね、それを使うんです」
リュイスの説明に、イユはようやくほっとした。空気に飲まれたのか、リュイスすら沈黙を守っていたのだ。
「トロッコなんて、普通に使って平気なの?」
ちなみに今一行の前には小さな駅がある。駅といっても扉もなければ天井もない開放的な場所だ。何もない場所に床を敷き、念のため仕切りとして壁を立てかけたこの場所は、建物と呼んでいいかどうかも定かではない。とはいえ、その壁の間から僅かに見えるのがトロッコだろう。一部しか見えないというのに、イクシウスの汽車をどうしても想起する。本物のチケットを入手していたにも関わらず正体がばれたあのときの苦い記憶が、警戒心を呼び起こす。当時は右も左もわかっていなかった。だがそのときですら、堂々と駅に乗り込むという愚を犯さなかった。
「ええ。大丈夫です」
言い切って、リュイスはイユを駅の中、壁の反対側へと案内する。
すぐにチケット売り場が控えていた。そこにいた駅員がにっこりと笑いかけてくる。
そうか、正しくはこういうところで購入するものなのだと、イユは心の中で納得した。
「3人分お願いします」
駅員が金額を告げるのを聞いて、リュイスの後ろにいた二人、イユとヴァーナーが、慌ててお金を出そうとした。
そこをリュイスが止める。
「今回はセーレから出します。代わりにヴェレーナの街で買い物をしたいのでお付き合い願います」
どうもリュイスのお金というわけではないらしい。チケットが届いてから、イユはリュイスに訊いてみた。
「何を買いたいの」
「機関室で使用する部品です。ヴェレーナは職人の街ですから、インセートより質の良いものが手に入るんですよ」
ギルドで必要なものを買いに行くのだ。やはりこれは休暇でないと言いたくなったが、口には出さなかった。変なことを口走ればヴァーナーに突っかかられる可能性がある。
切符を買っている間にトロッコは行ってしまったが、ホームで少し待てば、すぐに別のトロッコがやってくる。
改めてみれば、レイヴィートで見た汽車に比べて随分小さいのだとわかる。ただ、白にピンクといったパステルカラーの色合いの外観には親しみを持つことができた。一言でいえば、可愛いのだ。レイヴィートの汽車は黒かったので余計にそう感じるのだろう。
プップーと子供じみた音が鳴る。
僅かに白い煙が立ちのぼるが、後方の座席に屋根がないからだろう、それはすぐに掻き消えた。イユには理屈はわからないが、煙を出さない工夫が施されているらしい。
停車したトロッコの前に並ぶと、ぱかんと音を立てて扉が勝手に開いた。
驚きながらも、リュイスの先導に合わせて、乗り込む。外から見たときから感じていたが、部屋どころか天井もないこの空間は汽車とは大違いだった。乗り出してまたいでしまえば、すぐに地面へと下り立つことができるようだ。
だがそんなトロッコにもかろうじて通路の脇に用意されていたのは、椅子だった。風を感じながら、そこで出発を待つ。
暫くして、トロッコが動き出した。
進む度、振動が伝わってくる。とろとろとした動きなのでイユの異能を使ったほうが早いだろうが、ここでこうして大人しく座っているのもそれはそれでいいような気がした。
「レイヴィートの汽車とはずいぶん違うのね」
「これはトロッコ列車ですからね。観光用に工夫はしていますが元々は貨車ですし」
貨車ときいて察した。よく見ればこの椅子も後から取り付けられたような違和感がある。可愛らしい塗装も、上からペンキで塗ったのかもしれない。
「とはいえ、こういうトロッコに乗るのにも本当ならすごくお金がかかるんです。ギルドが僕らの代わりにお金を負担してくれているんですよ」
どれぐらいか聞いてみて驚いた。
「往復でリンゴが1000個買えるぐらいでしょうか」と言うのだ。
「1000個なんて、持って帰れないわよ……」
この小さなトロッコにぎゅうぎゅうに詰め込めば、3分の1ぐらいはいくかもしれないがそれでも到底元は取れない。
「そのお金って、イクシウスに払うの」
マドンナの話を思い出して訊けば、その通りだとリュイスは答える。
「このトロッコはイクシウスからのプレゼントですから」
どうにも納得がいかなかった。イユがリュイスからもらったペンダントだが、リュイスにお金をせっつかれたことはない。イクシウスのプレゼントなのに、何故お金の支払いが必要なのだろうと思うのだ。
「それがイクシウスのやり方なんだよ」
気にくわないという様子でぽつりとヴァ―ナーが言う。不満そうな口調がその場の空気を重くした。
「最もそのお金は殆どヴェレーナの活動資金になっています」
リュイスが取り直すように言った。
「活動資金?」
「職人たちが新しいものを作るのに必要なお金です」
リュイスの話を聞いて、気づいたことがある。
「ヴェレーナは、ギルドの管轄地ではないの?」
恐ろしいことにリュイスが首を縦に振った。
「ヴェレーナはあくまでイクシウスの持ち物です。それも『魔術師』ではなく国王直々の領土ですね」
「ちょっと!そんなところに、のこのこ出歩いて行っても大丈夫なの」
イユの不安をよそに、リュイスが大丈夫だと頷く。
「あそこは職人とその職人の商品を買う客ばかりがいる街ですから、数時間ぐらいの滞在ならその客に紛れることは十分可能です」
そこまで言われて、イユは椅子に座り直した。いつの間にか、逃げるように体を浮かしていた自身に気付いたからだ。
「それなら、いいけれど……」
客と言われて、イユはイニシアの人混みを思い出す。確かにあれだけ人がいれば、兵士たちも一人一人をチェックする余裕はないだろうと自身を納得させた。
「昔は、ギルドが貯めたお金を兵士たちが戦艦に持ち込んで、イクシウスの国庫まで運んでいたそうです。でも、イクシウス国王の発案でヴェレーナの街が興ってからはそのままヴェレーナに運ばれるようになりました」
リュイスの説明で、イユはイクシウスの意図に気付く。
「分かったわ、その戦艦が途中でやたらと襲われたんじゃない?」
マドンナの強かさならば、ギルドが貯めたお金を運ぶ戦艦を襲わせることぐらいやってのけそうだと思ったのだ。過去にリーサが空賊ギルドなんてものもあると言っていたから、思いつけた。
「察しがいいですね。その通りです」
リュイスの肯定に、イユは推測が当たっていたことが嬉しくなる。
「大金ですからね。空賊も耳聡いでしょうし、魔物もいる。それに事実かはともかくギルドに戦艦が襲われているとの噂もありました。そこで、街を興したわけです。そうすれば」
「陸続きじゃ戦艦を使うまでもないものね」
イユはリュイスの言葉を引き取って、答えを紡いだ。
リュイスがそれに付け加える。
「それに、街が興ったことで、ギルド内部で起きていた、お金を徴収されることへの不満の声もなくなったんです」
そこまで言われてギルドも一枚岩ではないことをイユは悟る。確かに、マドンナはイクシウスの要求を表面上受け入れているようだが、ただその土地に住んでいるだけでお金ばかり搾取されていたら内部で不満が起きてもおかしくない。マドンナの策でなくとも、空賊ギルドが自主的にお金を盗むことは想定できるわけだ。
「ヴェレーナの街に活動資金が渡ると、ヴェレーナはその資金で新しいものを生み出します。それはギルドにとってもイクシウスにとっても美味しいわけです」
「めでたし、めでたしってことね」
トロッコで行き来できる距離なのだ。当然ギルドの人々はお金の使い道を目にすることになる。役に立つものがどんどん生み出されていけば、結果としてインセートにも物を入手できるという形で還元されていく。しかもヴェレーナはヴェレーナで作ったものを買ってくれる相手がいるわけだから、損はないだろう。イクシウスにしても直轄のヴェレーナから国に役立つものを回収すればよい。それで丸く収まってしまう。街を興すという一手であらゆる問題が解決してしまうわけだ。
リュイスがさらに付け加える。
「それから、ヴェレーナの街が興ったことでイクシウスはこの地を今まで以上に重要視することになりました。それがシェイレスタに伝わると、シェイレスタは更にインセートに手が出しにくくなります。つまり、戦争への抑止にも繋がっているんです」
そんなことも考えているのかと、イユは舌を巻いた。
「悔しいけれど、賢いわね」
「その知恵が、異能者施設も生んだんだ」
唐突に告げたヴァーナーの言葉に、イユは自然と顔が強張るのを感じた。
「クソくらえだ」
その言葉以降、彼は全く口を利かなかった。
中途半端に口を開かれたおかげで話せる空気ではなくなり、一行の間に重い沈黙が流れる。
イユ自身、どこか他人事で聞いていたその会話に、冷や水を浴びせられた気持ちになって、会話どころではなくなった。




