その124 『いってらっしゃい』
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気づけばあっという間に時間が過ぎていた。予定していた時間よりも、一時間余分に経過している。
いつの間にか集まってきた子供たちの何人かが眠りについていた。勉強に夢中になっていたイユに飽きて寝たとみるべきだろうが、一様に幸せそうな顔をしているから不思議なものだ。
イユは起きていた年長者の子供たちとともに、そえした子供たちに毛布を掛けて回った。
「帰るぞ」
声に振り向くと、隣の部屋からレパードがやってきたところだった。あれだけ髪を引っ張られたり上に乗られたりしていた割には、髪型が崩れていない。イユの元に子供たちが大勢集まっていることを踏まえると、こっそり抜け出して休憩していたのだろうと邪推できる。
とはいえ、子供たちの世話を押し付けられていたとしても、十分に満足だ。イユとしても今回は大収穫だったのである。
最後の毛布を掛け終え、読み終わった絵本を閉じてから、年長者の一人に返した。
「知らない間に夢中になっていたわ」
レパードの元に走り寄ると、レパードからは呆れ顔を向けられる。
「子供の方が疲れて寝ているぞ」
これだとどちらが子供か分からない、などと言外に言われた気がした。
「……そのようね。でもさぼっている人に言われたくないわ」
「別にさぼったわけじゃない」
どうだかと、イユこそ呆れる。僅かだが、近づいたレパードから紅茶の匂いが漂ってくるのだ。イユの嗅覚は異能のおかげで非常に鋭い。誤魔化しは通用しないのだと言おうとする。
「ふふ。それでも子供たちと遊んでくださってありがとうございます」
部屋の奥からシェレイアがお礼を述べながら歩いてくるので、機会を失った。それに、レパードへの文句よりもまず、シュレイアに伝えたいことがある。
「また呼んでくれさえすれば、いつでも字の勉強をさせてもらうわ」
「……頼むから、お前は黙っていろ」
レパードに言われて、仕方なく口を閉じる。後から聞いたが、レパードからしてみると、このイユの態度は失礼らしい。イユとしては、また呼んでほしいといっただけのつもりだったので、どうしてそうなるのかよく分からない。
「こちらこそお世話になりました。またよかったら呼んでください」
レパードが代わりに敬語で応答する。これは、イユの言葉を正しく言い換えたものらしい。それにしても、この似合わない敬語にもだいぶ慣れてしまった。
それから、レパードはシュレイアの後ろにいたシェルを見て、
「シェルも喜ぶだろ」
と声を掛ける。
隣まで歩いてきたシェルが、それを受けて照れくさそうな顔をしていた。
「ええ。お願いします」
シェレイアも、そう頭を下げる。
何故かその手にハンカチを持っているのが気になった。だがイユが追及する前に、シュレイアににこりとイユに笑いかけられる。
「イユさんも、またよかったら、いらしてくださいね」
「ええ」
頷きながら、シュレイアに好感を持つ。その笑みから、イユのことを気遣う優しさを感じたからだ。これは、隣にいるレパードからは普段感じられない部分でもある。
孤児院の入り口まで進むと、シュレイアと起きていた年長者の子供たちはそこで一列に並んだ。
「シェル、どうか無事でね」
シュレイアは、シェルをぎゅっと抱きしめる。
「うわわわわ! ちょっとそれは恥ずかしいよ」
恥ずかしがるシェルを、中々離そうとしなかった。
「どうせ手紙もまた殆ど送ってくれないのでしょう?これは送ってくれなかった罰です」
身に覚えがあるのか、シェルが
「うっ」
と声を引き攣らせる。
「悪かったって。今度はちゃんと書くから」
それを聞いて、ようやくシュレイアはシェルから身をはがした。
「分かりました。では、いってらっしゃい」
「じゃあ、いってくる。先生」
シェルが、にかっと笑って手を振る。態度がすぐに反応にでるシェルだ。どこか憑き物が落ちたようにすかっとした様子が、イユにも伝わってきた。連れてきてよかったと嬉しく感じる。
「シェルにぃちゃん、じゃあね!」
子供たちが各々そう声を張り上げる。何度も手を振って、シェルを見送っている。
「必ず、また生きて戻ってきてくださいね」
その子供たちの声の中で、祈るように呟くシュレイアの声を拾った。それは小声だったから、シェルに届くことはないだろう。けれど、叶うことを願わずにはいられないその声から、イユはシェルが愛されていることを感じるのだった。
「ありがとうな」
帰り際、シェルが礼を言った。
「皆の元に戻れて、話せて、すっげー良かった」
素直に自分の気持ちを伝えられると、聞いている側も嬉しくなる。
「私も思わぬところで字の勉強ができてよかったわ」
思ったことを言えば、驚いただろうとシェルは自慢げだ。
「先生、字の勉強はできないとだめだって言って、皆に教えているからな」
なるほどと感心する。子供たちが字を読めるのはシュレイアの教育の賜物のようだ。
「けど、ねぇちゃんって、意外と子供は平気なんだな」
不思議そうな顔をされた。
「そんなに意外?」
毒のない聞き返し方だったからだろう。いつもみたいに慌てた様子はなく、思ったことを口に出される。
「ねぇちゃんの境遇を考えたら、子供と会うことなんてあんまりなかっただろ?」
イユは首を横に振った。異能者施設にはイユと同じぐらいの年の子供はいくらでもいた。
それに――、
「施設を出てから、一度だけ子供の集団に助けられたことがあるのよ」
三人の集まりだった。少女一人、少年二人で冷たい雪の村を生きていた。
「ぼろぼろだった私に、ご飯を恵んでくれたわ」
近くで聞いていたマレイユが口をはさんだ。
「いい子たちだ」
こくんとイユは頷いた。
「それにね。彼らには、イユという名前を貰ったの」
イユの名前の大元は烙印からきている。だが文字の読めないイユには烙印の意味など分からなかった。腕の烙印をみて、彼らがそう呼んでくれたのだ。烙印自体はイユにとって捨てたい過去だが、この名前は変えようとは思わなかった。
「……ねぇちゃんって、意外と悪い奴じゃないよな」
「ちょっと『意外と』ってどういうことよ」
シェルの言葉に、思わず眉が吊り上がった。『意外と』なんて言葉がでるのである。普段シェルがイユのことをどう思っているのか大変気になるところだ。
しまったとばかりにシェルが、自分の口をおさえるが、遅すぎる。
「……まぁ、いい出会いがあったっていう話だろ。良かったな」
もがくシェルを捕まえるイユに向かって、レパードが話をまとめた。
「えぇ、良かったわ」
だが、彼らは皆もういないのだ。子供たちの命は、この世界に在るには厳しく、あまりにもあっけなく散っていく。そのことは、言葉には出せなかった。
改めて、シュレイアの祈りの声が分かる気がした。
イユにはギルドと孤児院の関係はよくわからない。しかし、シェルがただ無謀にセーレに入ったわけではないことはなんとなく察することができた。そうでなければシェルの無事を祈るシュレイアが、止めるはずだからだ。セーレの事情を知らないとしても、魔物のいる空の世界に子供を放り出す人物には到底見えなかった。
そして、それを踏まえて考えると、現実はきっと孤児たちに厳しいものなのだ。その中にあって、それでもどうか無事に生きていてほしいという願いに、叶えば良いのにと祈った。




