その122 『ハナリア孤児院』
ハナリア孤児院との交流機会が持てたのはそれから一日後の昼だった。
「シェルにぃ!」
「シェルにぃだ!」
「わーい」
子供たちに出迎えられて、シェルはあっという間に奥へと連れられていく。やはり待望されているのはシェルだったらしく、イユたちなどどこ吹く風だ。
「……で、何故リュイスでなくて俺なんだ」
レパードが困った様子で子供に遊ばれている。
「リュイスだと、きっとフードを取られるでしょう?」
フードを外した途端、龍族の耳が見えたら不味い。レパードも耳は龍族のそれだが、もじゃもじゃの髪はフードより引っ張られないだろうとの判断だ。
「言いたいことはわかるが……、俺も暇じゃない」
「まぁまぁ」
宥めにはいったのはマレイユだ。彼の三つ編みは子供たちのお気に入りらしく、さっきからぶんぶんと振り回されている。完全に玩具扱いだ。
「今日はシェルのために、ありがとうございます。院長のシュレイアです」
孤児院の奥から出てきたのは、三十代ぐらいの女性だった。クリーム色の髪を後ろで束ねているが、肌の白さと相まって、線の細い、優しそうな雰囲気が一面に出ている。その淡い色合いの中では目立つ深緑の瞳も、落ち着いた印象を与えた。
「いや……、こちらこそどうも」
先ほどまでの文句はどこへやら、レパードが慌てたように頭を下げる。
シュレイアはレパードに優しく微笑むと、イユたちを一通り見渡して感想を述べた。
「ふふ。危険な職場と伺っていたのだから心配していたのだけれど、あなたたちをみて安心したわ」
シュレイアの視線を特に強く受けているのはイユだった。まさか、この院長はイユが異能者だとは夢にも思っていないのだろう。見た目だけなら普通の少女で通るイユに安心するのも頷ける気がした。
「どうか、あの子をよろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそシェルにはお世話になっています」
レパードがらしくもなく丁寧な口調で返すので、イユはつい、むせてしまった。ここまで敬語の似合わない男が他にいるだろうか、いやいない。どう考えても空賊にしか見えない眼帯の男が、真面目を装っている光景には無理があった。
込み上げる笑いを堪えきれないでいるイユを、レパードがぎろっと見やる。笑うなとその目が言っていた。
勿論、イユとしては大人しく聞いてやるつもりは毛頭ない。むしろ、負けずに睨み返す。
「ふふ」
その二人の様子が面白かったのだろうか、シュレイアが笑う。それから、気を取り直すように質問をした。
「あなたも、どこかの孤児院から……?」
シュレイアのその質問に、イユは唐突すぎて理解が及ばなかった。
「いや、こいつはそうではなく……」
レパードの受け答えで、はじめてイユのことを聞かれたのだと気づく。当時は知る由もなかったが、イユぐらいの年齢でギルドに働きに出ているのは孤児院出身者ぐらいらしい。
「あら、ごめんなさい。ひょっとして、娘さん?」
今度はレパードがむせる番だった。イユとしても、これは否定したい。イニシアで家族に間違えられたことといい、一体どうして人々はイユたちを親娘と勘違いするのだろう。
さすがに悪いことを言ったと思ったのか、シュレイアが戸惑いながらも、謝る。
「ご、ごめんなさい」
レパードが手で、気にしていないのだという仕草を返す。
「私は、孤児でもないしレパードの娘でもないわよ」
この手の話題でレパードが落ち込むことを知っていたので、もう少し静観してもよかったのだが、イユもこの勘違いは不本意だ。レパードに精一杯の恩を売るつもりで、そう答えてやった。
「まぁ、そうなのね。……早とちりをしてしまって、失礼しました」
後半は、レパードにもだろう。シュレイアは再度そう謝罪した。
そこでその話は終わったものと思われたが、その後もシュレイアの視線がイユから離れない。レパードが
「気にしていないから大丈夫です」
と話している間にも続くその視線に、イユはとうとう気になって尋ねた。
「私のことが気になるの?」
「い、いえ」
明らかに動揺した様子に、警戒心を抱く。何もぼろはだしていないはずだが、ひょっとして異能者だとばれたのかもしれない。
イユの警戒心に気がついたのか、シュレイアが白状した。
「実はあなたと同じ女の子が、シェルと同じようにギルドへ出稼ぎにでているの。それも二人」
眦を下げながら、話を続ける。優しそうな女性の憂いの表情は、同姓のイユでも慰めたくなるほどだ。
「そのうちの一人から最近手紙がこなくて……、それで少し心配になっていたものだから」
似たようなイユが目の前に現れたことで、意識してしまったのだと語る。
異能者とはばれていないとわかって、内心イユはほっとした。悲しい表情には同情したくなるが、まずは自分の身の安全が何よりも先だ。
「何、私に似ているの?」
そう問うイユに、シュレイアは首を横に振った。
「いえ、どちらかいうと逆ね。あの子は明るくて面倒見のいいお姉さんという感じだし。見た目も違うわね。髪は大体三つ編みだし、髪色もあの子は深緑色だから、あなたとは正反対ね」
思い付くことを挙げながら、あまりにもイユとは似ていない特徴に気付いたのだろう。
「……それでも、親心につい意識してしまうものなの」
そう、付け足した。
そういうものなのだろうかと、イユは内心首を捻る。どこかで聞いたような特徴な気もした。とりあえず、
「そうなのね」
と相槌を打っておく。
「それにしても、それは確かに心配ですね」
不意打ちで入ったレパードの再びの敬語口調が、イユを笑わせにかかった。
必死に堪えるイユと異なり、レパードに対して何とも思っていないらしいシュレイアが、顔を曇らせて答える。
「ええまぁ……。よりによって危ない仕事みたいで、しかも正規のギルド船でない場所で勤めているらしくて」
危険なことに巻き込まれていないかだけが心配なのだと続ける。
「年の割にしっかりしている子だから、忙しいだけだとは思いたいんですけれど……」
「ねぇちゃんたちも遊んでやってよ」
そこに、シェルが割り込んできた。
「遊んでよー」
野次馬のように子供たちが後ろからやってきて、シュレイアは
「まぁまぁ」
と口を押えた。
「私ばかりお話してしまっては悪いわね。すみません、もう少し遊んであげてはくれないかしら」
すみませんとお願いされたイユとしては頷くしかない。
シュレイア、レパード、イユ、マレイユはそれぞれわかれて、子供たちへと向かう。その時、レパードがぼそっとシェルに聞くのが耳に入った。
「お前、ひょっとしてレイファと同じ孤児院だったのか」
と。
レイファとは誰だったかと思い起こす。確か、リーサが憧れていた女の名だ。女暗殺者に襲われて死んだはずだ。イユは逆にそのおかげで、イユの身も危ないと刹那たちに気付いてもらえたわけだ。一度会った記憶では深緑の髪を三つ編みにしていたから、シュレイアの言う特徴にも合致する。
――――その人物が、シェルと同じ孤児院?
レパードは先ほどの会話でそれに思い当たったのだろうか。いや、確証はないのだろう。だから、シェルに確認しようとした。しかし、シェルは何も答えなかった。声ではなく、仕草だけで答えたのかもしれない。
だがイユがその仕草を確認しようと振り返ったところで、
「おねぇちゃん、えほんをよんで」
一人の少女がイユに声をかけてきた。
イユの思考はそこで途切れる。
少女は、絵本にしては分厚い冊子を抱えていた。危なっかしかったので、思わず支える。そうすると、本のタイトルがちらちらと見えた。
それが読み解けず、イユは諦める。
「私、字が読めないの」
まだまだ勉強不足らしい。レパードを再び見れば、既に別の子供に覆いかぶさられているところだった。
「おい、こら! 人の上に乗るな」
どうもこちらを見る余裕は全くないようだ。先ほどの気になる会話はおろか、字を代わりに読んでもらうこともできない。せめてマレイユたちはいないのかと探すものの、既に別の部屋に連れられて行ってしまった後だ。イユは諦めて少女を振り返る。
彼女は、少し悲しそうな顔をしていた。気まずいさがこみ上げる。
こういうとき、どうしてやればよいのだろう。
悩んでいると、子供がぱっと顔を輝かす。
「それなら、わたしがおしえてあげる! いっしょに、よもう!」
少女に引っ張られながら、イユは非常に複雑だ。自分で読めるならそもそも一人で読めばいいと思うのが、そのあたりは子供心に読んでもらいたいものなのだろうか。それにしてもこんな子供に読めて自分に読めないのはやはり癪だった。
――――でも、これは機会だわ。
イユは考え直す。帰ったらリュイスをあっと言わせてやればいいのだと。急に読めるようになったらきっと驚くだろう。
夢中になったイユの右に出る者はいない。少女にせがみながら、イユは知らない文字をどんどん吸収していった。




