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カルタータ  作者: 希矢
第六章 『捕まえた日常』
118/990

その118 『昏い夢から醒めて』

 *****


「うるさいわね」

 暗い暗い牢の中で、女のいらいらとした声が響いた。

 子供の泣き声が聞こえる。それが自分の声だということに、暫くしてイユは気が付いた。


 ――――あぁ、私、泣いているのね。


 自覚すると同時に、その女、シーゼリアの顔を捉えた。遠くから叫んでいた。

「黙らせてって言ったでしょ。集中できやしない」

 すみませんという謝罪の声が聞こえた。その声が籠っているのは、兜をかぶっているからだ。がしゃんがしゃんと鎧の人物が歩く音が響いて、イユは震えた。


 ――――兵士が来る……!


 姿を捉えた途端、

「黙れ」

 という声とともに鞭が振り下ろされた。


 ――――痛い!


 その痛みに、泣き声は止まるどころか増していった。それに比例するように、衝撃が何度も襲った。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 泣きながら、とにかくイユは謝っていた。泣くから打たれるのだとはわかっていた。けれど、涙は止まらなかった。怖くて、痛くて、考えれば考えるほど涙が溢れでた。打たれ続けて、生暖かい血が皮膚の上を垂れた。止まらない痛みに、意識さえも掠れていった。


 苦痛の真っ只中で、シーゼリアの不満そうな声が響いた。

「なんでこんな餓鬼しか与えられなかったのかしら。しかも下手に殺すこともできないし、仕事とはいえやってられないわね」

『殺す』。その言葉が簡単にでてくるのが信じられなかった。訊けば訊くほど怖くなって、涙が頬を伝った。

 不意に、シーゼリアは何を思ったのか近づいてきた。あのときまでずっと遠くでうるさそうにしていただけだったのにだ。

「聞きなさい」

 その声に、あれだけ止まらなかった涙が止まった。見上げればシーゼリアの目と目があった。

 凍るように冷たい瞳だった。その瞳と同じ冷たい声で、イユの心を突き刺した。

「あなたを助けてくれる人はもういないの」

 それは、シーゼリアの勝利宣言だった。

「あなたは、一人なのよ。だからどんなに泣いてもね」

 淡々とシーゼリアは抉るのだ。

「誰も助けてはくれないわ」

 と。

「違う!」

 夢の中とわかりながらも、反射的にイユは叫んでいる。

「私は、一人じゃないわ」

 いくつかの顔を脳裏に浮かべる。ブライトに、リーサに、リュイスに、セーレの皆がそこにいる。いざとなったら彼らが助けてくれるのだと信じることが出来た。だから、目の前の女などには屈しないと断言できる。

 夢の中のシーゼリアは、心底悔しそうな顔をした。それから、その瞳はぎらぎらと憎しみのこもったものに変わっていく。

「あなたは、私の仇よ……!」

 シーゼリアの手にはいつの間にかナイフが握られていた。それを掲げて、イユへと振り下ろす。


 ――――やられてたまるか!


 そのナイフを持つ手を、イユは必死に掴んだ。異能をありったけに使い、その手からナイフをもぎ取ることに成功する。勢いで落ちたナイフの、床に転がる音が響いた。

「私は、あなたには殺されない!」

 イユは宣言した。

 それを受けてシーゼリアが顔を伏せた。

 はじめ、屈してくれたのだと、イユは思った。これでもう、シーゼリアに殺される心配はないと安堵した。

 しかし、再び彼女を凝視して、気づいてしまった。シーゼリアの唇が僅かに吊り上がっていることに。


「それでもね、あなたは逃げられないわ」


 にたりと笑みを深めながら、シーゼリアはぞっとする台詞を吐く。


「あなたは『過去』に襲われる」


 夢はイユに否定の時間を与えなかった。シーゼリアの姿があっという間に闇に溶けていく。

 助かった。そう思ったのは間違いだった。気づけばイユの周囲にあるもの全てが闇に包まれていた。そして、それはイユの足場も例外でなかった。


 ――――落ちる……!


 落下の感覚に、思わず悲鳴をあげる。その時、イユの耳は嘲笑を拾った。

 シーゼリアが笑っている。闇に溶けても尚、彼女の笑いは止まらない。きっと、彼女はイユには届かないどこか高いところから、イユを見下ろしている。小さくなっていくイユを、その気になればいつでも潰せる余裕を持って、見下している。

 抵抗も何もできず落ちていくしかなかった。深い、深い闇の中へと、体が沈んでいく。


 *****


 びくっと体が跳ね上がり、イユは夢から醒めた。

「いやな夢」

 気分の悪い夢を見たのはシーゼリアに会ったせいだろう。堪らず、布団をぎゅっと握りしめた。

「……大丈夫、だから」

 自分に言い聞かせて落ち着かせる。手の震えが止まるように念じて、再度深呼吸をした。

 それから、ゆっくりとベッドから出る。既に外は明るい。

 洗面所に駆け込むと、真っ先に顔を洗った。汗は拭きとってしまい、ぼさぼさになっている髪も梳く。何度か鏡を見、ひどい顔を隠せたことが分かったところでようやくほっとした。他の身支度をすまし終えてしまう。

「いつもと同じ時間だけれど……」

 時計の針を見ながら、逆に落ち着かない気分になった。

 本来ならばレパードが扉を開けにくる頃だ。そのためにせっかく体裁を整えていたのだから、やや拍子抜けだった。試しにドアノブに触れてみたが、やはり電気が走る。ひょっとすると昨晩遅かったことに対するレパードの気遣いかもしれないとは考えた。

 しかし、じっとしていても、思い出すのは先ほどの夢だ。気を紛らわせるために、部屋を掃除してしまう。それでも時間を持て余したので、絵本をぺらぺらとめくった。

 大きな窯を前にして魔女が薬を煮込んでいる絵。そして、蛙にされてしまう王子の絵。絵だけでもストーリーをある程度推測できる。

 そのうちにようやくノック音が聞こえてきた。

「なんだ、もう起きていたのか」

 返事をすれば、レパードがドアを開けて入ってくる。そして、イユの手にある絵本に目を留める。

「『蛙にされた王子と魔法』? お前、読めるのか?」

 イユは首を振った。自然体を装えていることを祈りながら。

「読めないから、買ってもらったのよ」

 勉強するのだと言えば、そうかと返された。レパードの応答の感じでは、イユの様子には気が付いていない。ほっとして、肩の力が抜けた。

「レパード。これはなんて読むの?」

 一ページ目の冒頭部分を開いて、字を見せる。

「『昔、昔あるところに』」

 すらすらと読まれると、レパードが賢くみえてくるから不思議だ。

「レパードはどこで字を覚えたの」

 つい尋ねると、顎を手に当てて考えるような仕草をされる。

「覚えていないな。旅を続けながら、その道中でってところか?」

「てきとうな答えね」

 感想を洩らせば、

「別にいいだろ」

 と言われる。

「字は、俺なんかよりリュイスに訊けよ」

 詳しいからなとの答え。

 噂をすれば、リュイスらしき足音が聞こえてくる。少しして、リュイスが顔を出した。

「リュイス。字を教えて」

「おはようございます」

 と挨拶をするリュイスを遮って言う。熱心な生徒に、リュイスは目を丸くしてみせた。

「いやいや、船の仕事が先だ。字は時間を見つけて覚えろよ」

 覚えることはたくさんあるようだ。レパードの言う船の仕事とやらも、イユにとっては真新しい。

「いいか、仕事をしない奴に食わせる飯はねぇ。『働かざる者食うべからず』、だ」

「それは、働かないといけないわね」

 意気込むイユに、レパードはふっと笑った。その意図がよくわからないまま、リュイスに船の仕事を教えるようにとせがむ。

「リュイス、こうなったらすぐに仕事を教えて」

「分かりました。それでは、早速甲板に出ましょうか」

 イユが先導して部屋を出る。リュイスがレパードに会釈しているのが後方で感じられた。

 この時のイユは知る由もない。イユの家系についてレパードにしっかり伝わっているということも、それについてイユに言及しないよう取り計らわれていることもだ。それは結果として暗示にかかってしまったイユへの、彼らの罪滅ぼしの一つなのかもしれないし、ただの優しさなのかもしれない。しかしその配慮で、イユは今朝の酷い顔は隠せているのだと思い込んだ。そのうえで新しい仕事を渡され、家族について考える暇はなくなることになる。

「何しているの、早くいくわよ」



 ここからインセートを出るまでの数十日間は、ただただ充実しており、ひたすらに楽しかった。


 *****



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