その113 『魔術師だった女』
「どちらにせよイクシウスは、見張っているんだ。以前、団ごとイクシウスから逃げようと試みたことがある。その時は先回りされて……、代わりに要求される人数が増えることになった。今回も一緒のことだ。このやりとりも、きっとどこか、で……」
突然、ジェイムの声が途切れる。
兄妹の表情が苦痛へと一変する。声にならない悲鳴をあげて、二人共がもがきはじめたのだ。まるで首でも絞められたように、地面に転がって首を抑え、息を吸おうと懸命に足掻く。顔色は青く、口から泡を吐き、今にも事切れそうな表情だ。
「何?」
驚いて近づこうとしたラヴェンナに、イユは静止の声をあげた。
「近づいてはだめ! 魔術よ!」
確証はない。ただの直感だ。
けれど、イユは自身の直感が正しいと確信している。すぐに周囲をぐるりと見回した。階段と踊り場。そこに転がる無数の檻。このどこかに自分たち以外の誰かがいるはずだ。そうでなくては、彼らはあらかじめ暗示でもかけられていることになる。そうなると、助けられない。
「リュイス。わかる?」
ほぼ縋るように聞けば、リュイスはもう行動にでていた。
風が周囲を薙ぎ払う。
突風に思わず目を瞑る。からんと何かが転がる音がした。目をあければ、周囲にあった檻にわずかに線が入っていた。
疑問に思うのも束の間、檻が崩れ落ちる。まるでナイフで一刀したみたいに、いともたやすく鉄の塊が崩れていく。その様に唖然とした。風の魔法は強力な凶器としても使うことができるらしい。
そして、リュイスが薙ぎ払った檻の奥で、一人の女がひざまずいていた。
「館にいた占い師……!」
元魔術師のシーゼリアだ。今の魔法で腕を切ったらしく、抑えている。
イユはジェイムとセレーナに視線を向けた。
苦しかったのだろう。何度かむせてはいるが、命に別状はなさそうだ。暗示ではなかったことに、心底ほっとする。
「あなたがこの二人の見張りというところかしら。わざわざ魔術師がこんな辺境に来てまで……、ご苦労様といったところ?」
ラヴェンナが拳銃をシーゼリアに向けながら質問する。声が警戒しているのはジェイムとセレーナの豹変を見たからだろう。恐らくどこかに法陣が描かれていたのだろうが、あの力をみて警戒するなという方が無理だ。
「元魔術師って言っていたよね」
クルトの問いにヴェールの隙間から赤い唇が持ち上がる。笑みだ。
気づいたイユの肌に、鳥肌が立った。
――――たった今、二人の人間を殺そうとしておいて、この女は笑っているのである。
「そうよ。私は魔術師じゃないの。だからこんなことをしてまで、這い上がらないといけないのよ」
そう言って、シーゼリアはきりっと顔をあげる。ヴェールの間から僅かに薄桃色の髪と、髪と同じ色の瞳が覗いた。
その瞳に、イユは反射的に何かを感じた。だが、それが何かが分からない。
「でも、ギルドがこの二人を預かるのは心配ね」
女の瞳は再びヴェールへと隠れる。
「あら。イクシウスがギルドを心配してくれるのかしら」
「そうよ。少なくともインセートをギルドに預けるぐらいには信用している間柄ですもの」
全く気持ちのこもっていない表面上のやり取りが続く。相変わらず魔術師という生き物は拳銃を向けられることに慣れているようだと、イユは憎々しげにそのやりとりを眺める。どれほど観察しても、シーゼリアからは余裕のない様子は全くみられない。むしろこれからが本題だとばかりだ。
「あなたたちも被害にあったでしょう? この子は危険だわ」
何が言いたいか察して、堪らず割って入った。
「愚問ね。私だって異能者よ」
「お互いさまといいたいの? でもそこのお嬢さんたちは? 初めてみたでしょう、暴発」
シーゼリアは、リーサとクルトに質問を向ける。
「知らないかしら、『暴発』という言葉」
クルトから返答があった。
「異能は力をどう使うかあらかじめ指示しないで使うと、さっきみたいなことが起きるでしょ? 知っているか知らないかで言ったら、知っているんだけどさ」
そこにシーゼリアがいらない補足を入れる。
「そうよ。この子の異能が弱かったから、どうにか全員が生きていたけれど。本当だったら、皆死んでいたわね」
残念ながら嘘は何もついていない。イユが過去にみた異能者は、あっという間に周囲を炎の海に包み込んだ。雪の降っている白い世界が一瞬で豹変したのだ。異能の暴発は本人の意思でもどうにもならない。だからあの時は、本人さえも巻き込んで……。
慌てて、過去を振り払った。今のこの場で、感傷に浸る余裕はない。
「意地を張っても無駄よ」
とシーゼリアは口だけは優しく言う。
「だってあなた、さっきからずっと震えているもの」
思わず、リーサを見てしまった。
彼女と目が合う。瞳がふるふると揺れているのをみて、目をそらしたくなった。
だが、そのイユをみて逆にリーサは意を決した表情になった。拳を握りしめて、前に進み出る。
「関係ないわ。異能者だって私たちと同じ。傷つくこともあるし、優しいところもあるもの」
その言葉が、イユの胸に響く。自分に言い聞かせるのと他人の口から聞くのとでは俄然違うものだと感じる。リーサの言葉が、とても頼もしいのだ。
顔を輝かせてイユはシーゼリアを見る。
彼女は変わらず、笑っていた。
「そう。警告は無駄みたいね」
そう言いながら何がおかしいのか、嬉しそうに笑い続ける。ひとしきり笑い終わると、シーゼリアは気を取り直して言った。
「いいわ。あなたたち相手にはどうせ勝てない。 私だって、本当はわかっていたわ。こんなことしても戻れやしないって……」
シーゼリアに戦意はないようだった。龍族に異能者、おまけにギルドの人間に拳銃を向けられてすらいるのだ。諦めるのもわかる気がした。
だがイユには何故か彼女が恐ろしくて仕方がなかった。少し気を緩めれば何かをしでかしそうな狂気がそこにあった。
「私もしょせん捨て駒」
暗い声で、シーゼリアは言う。
「だから言ったのよ。『ハインベルタ家』に睨まれるなって」




