その112 『ギルドの女』
その瞬間、空気がざわめいた。突如、風が一点に集まり始める。
階下では、リュイスが膝をつきながらも魔法を発動していた。
その魔法により、セレーナの白い髪がふわりと舞い上がる。風に支えられ、落下速度がゆっくりになったのはすぐに分かった。
しかし、セレーナの落下そのものまでは止められない。
リュイスがふらつきながらも立ち上がり、走り出す。勢いでフードが外れ、乱れた髪が揺れている。自身のことを気にかけている余裕はないのだろう。
――――よくやるわ。
呆れの混じった感嘆が、吐息として零れる。
イユなど、まだ吐き気をこらえるのに精一杯だというのにだ。無事、セレーナの体を抱きとめてみせるリュイスに、拍手を送ってやりたくなった。
「大丈夫ですか」
「う……、わたし……」
頭を抱えていたセレーナは、来るべき落下が来ないことに気づいたようで、目を開く。
「……お兄ちゃん、龍族?」
その視線は、リュイスの耳に釘付けだ。
「ええと、はい」
まだ頭が働いていないのか、それともセレーナ自身も異能者だからリュイスに対して思うことはないのか、セレーナはきょとんとしたままで、それ以上の反応を示さなかった。
リュイスがどこか安堵した様子でいるのを見ながら、イユはまだふらつく足を無理やりに動かして階段を下りる。平衡感覚が戻ってくるのに時間がかかっている。おまけに、ものすごく気持ち悪かった。気づけば、髪はぼさぼさ、目からも涙がこぼれている有り様だ。どのような表情で先ほどまで倒れていたのだろうと、考えるだけでぞっとする。
だが、イユはまだ異能のおかげで回復を早めることができる。リュイスやリーサ、クルトに至っては恐らく最悪の気分だろう。
――――故に、これはイユがはっきりさせるべきことだ。
階段を下り、そちらに向かって歩くと、
「どうにかなったみたいね」
と声を掛けられる。部屋の入口には、見知らぬ女が立っていた。
「ありがとうでいいのかしら」
言いながらも、イユは口元を抑える。ましになっているとはいえ、無理に動くべきではない。それは分かっていた。
「それで合っていると思うわよ」
こうしてみると、金髪の美しい女だった。カールのかかった髪をなびかせ、イユの元へと歩いてくる。その歩き姿が様になっていた。
ところが、女の青い目はイユを見ていない。女はイユを通り過ぎ、そのまま階段を上がっていくのだ。
女を止める余裕は、気持ち悪さを堪えるのに精一杯のイユにはない。まんまと行かせてしまいながら、階段を見上げるので精々だ。
「こっちは気絶しているわね」
女は、頭を抱えたまま倒れているジェイムの元にたどり着くと、そう告げた。近くにあった拳銃を拾うと、念を入れてだろうか、弾丸を全て抜き取る。
「お兄ちゃん……!」
気づいたセレーナが慌てて階段へと駆け寄ろうとして、倒れこむのが視界の端に映る。
リュイスがセレーナを起こそうとしているが、リュイス自身の限界が来たらしい。気持ち悪そうに口をおさえている。よく見れば、顔が蒼白だ。
「ほぼ全員動けそうにないわね。大丈夫そうなのは、あなたぐらい?」
女の声に見回せば、リーサとクルトは体を起こすのもやっとのようで、とてもでないが会話できる状態ではないのが見て取れた。声をかけられたイユは
「そうね」
と頷いて返す。確かに、状況を観察している間に僅かだが、気持ち悪さも引いてきている。
「そういう異能なのかしら? 丈夫なのね」
異能という言葉に、警戒心を強くした。思考が鈍っていて、気づけなかったのだ。何気なく現れたこの女は、イユもフードの取れたリュイスのことも目撃してしまっている。つまり、異能者に龍族がいると知ったうえで、女は自然な様子で話しかけてきているのである。これは、普通の人間の反応ではない。せめて、セレーナのように驚くぐらいの反応があって然るべきだ。
イユの警戒に気づいたのか、女はさわやかに笑ってみせる。
「申し遅れたわ。私はラヴェンナ。ギルドの一員よ」
ギルドと聞いて、正直なところ少し安心感があった。ギルドが異能者を擁護しているわけはないが、少なくともその創設者のマドンナとは一度話をした仲だ。
「イユよ。察しのとおり、異能者よ」
まずは名乗り、
「それで?」
と早く女の事情を確認したく促す。素性がばれたのだから、場合によってはラヴェンナとやり合うこともありうる。完全な味方と言い切るには材料が足りないからだ。ましてや、今の状況は、イユにとって確実に不利だ。
女の武器はその細い腰におさまっている拳銃だというのはすぐに見て取れた。銃を前にして、リーサにクルトも守らないといけない。近くで嘔吐と闘っているリュイスをあてにしてもいいのなら話は別だが、そうもいかないだろう。
「一体ギルドが何の用でここに?」
「依頼があったのよ」
特に隠すこともなくラヴェンナは事情を説明しだした。
「サーカスに行って行方不明になった人が何人もいる。その被害者の親族たちからね」
「……さすがに、ことを大きくしすぎたみたいだね」
いつの間にかジェイムが意識を取り戻し、そう告げた。頭を抑えながらも、かろうじて体を起こす。
「お兄ちゃん……!」
セレーナがよたつきながらも、階段を登っていく。だいぶ回復したようだ。
「調査の結果、行方不明者は全員が異能者だったわ。ここは、異能者には隠れやすい地だから結構な人数になったのね」
ラヴェンナはジェイムを見下ろして言う。
ジェイムにはもう武器もなければ抵抗する力もないようであった。
「ごめんなさい」
ジェイムの隣へと収まり謝る妹に、
「いいんだよ」
とジェイムが返す。その声が弱々しい。
「その子も異能者よね? どういうことなの?」
ラヴェンナの疑問に、イユは一つの可能性を提示した。
「脅されていたんじゃないの? イクシウスに」
飛行船で出くわした鎌使いの女のことを思いだしたのだ。イクシウスは異能者を異能者に狩らせている。ましてや、セレーナは異能者に呼びかけることのできる異能の持ち主だ。イクシウスが利用しないはずがないだろう。
「察しがいいね。そうだよ」
ジェイムは認めた。
「妹を異能者施設に入れたくなくてね。代わりに提示された条件がこれだ」
体を僅かに起こして、彼は牢を指さした。
「ひどい……」
リーサの声だ。彼女を見れば、まだ目を赤く腫らしていたものの普段の顔に戻っていた。クルトもだ。
「ギルドがあるのに随分な横暴と言いたいところだけど、イクシウスはさすがに強気ということかな」
イクシウスは、ジェイムたちをいつでも切ることができる。彼らがいくらイクシウスに脅されてやっていたといっても、シラを切ればいいだけのことだ。
小さなギルドがイクシウスに潰されないのは旨味を与えているからと言ったマドンナの言葉を思い出す。その旨味は停戦や金銭の話だけではないということに、イユは気が付いた。異能者がイクシウスから逃がれようと思ったら、インセートに向かう。ほかならぬイユがそうだった。
だが一方でイクシウスは異能者を集められる絶好の狩場としてインセートを見ているわけだ。そしてマドンナがそれに気づいていないわけがない。
思わぬ落とし穴に身震いがする。
「二人とも限界だったから、いずれはこうなると思っていた」
そう、ジェイムは続ける。
「セレーナを施設に行かせないために何人代わりに送ったと思う? 自分たちが助かるためだけに出した犠牲が多すぎたんだ」
その言葉はイユを抉った。
思わず口に出そうになった反論の言葉を、代わりに口にしたのはリュイスだった。
「でもそれは、ジェイムさんたちのせいでは……」
彼も顔色が戻ってきたようだ。
「いいや、これも私の選択だからさ」
「お兄ちゃんはわるくない。わたしが、わたしが、異能者だから……」
泣きそうな声で言い張る少女に、一行はいたたまれず目を背けた。
イユは何度目かになる疑問を呟く。何故、異能者だというだけでこんな目に合わないといけないのかと。
「……話は分かったわ。ギルドはあなたたちを保護する」
ラヴェンナは言い切った。
その言葉に、兄妹は救われた顔をしたように見えた。
「そんなことできるの?」
疑問を呈せば、ラヴェンナは強く頷いた。
「初めてのケースじゃないのよ」
ただここにはいられなくなる。とラヴェンナは続ける。
「イクシウスを出て、シェイレスタかシェパングに亡命する。今までの名前も生活も全て捨てる。ただし、亡命後の生活はギルドでサポートするわ」
当然とラヴェンナは続ける。
「このサーカスも畳まないといけないわね」
その言葉にジェイムの顔が曇った。確か団長だと言っていた。簡単に決意できることではないだろうが、他に選択肢はないだろうともイユは思う。
ラヴェンナの話から、クルトが首をひねった。
「そんなことができるならもっと早くギルドを頼れたらよかったのにね」
最もな言い分だ。ギルドも大っぴらに異能者を助けると公言はしていないだろうから知らなかったということだろうか。そう思ったところで、ジェイムは首を横に振る。
「無理さ」
その声は沈んでいた。まるで現実に引き戻されたかのように。




