その110 『白い少女』
次の部屋も同じような無人の観客席だった。垂れ幕で空間を分け部屋として区別することで、各観客席の数を把握しているのだろう。
そのなかで明らかにおかしいのは、やはり檻が転がっていることだ。しかも三つに増えている。
「ここまでくると、わざとだよね?」
檻の全てが空いているのをみてのクルトの発言だ。その手に護身用のナイフが握られていることから、警戒しているのが見て取れる。
「ここのは、大丈夫みたいですよ」
獣の気配を辿りながら、リュイスはそう結論づける。
「すでに片づけられています」
近くでのびているライオンを見つけて、示す。毛皮越しにもかかわらず殴打された跡があれば誰の仕業かは想像がつく。
「こいつら、目を覚ましたら観客のほうに行かないかな?」
不安そうなクルトに、リュイスは首を横に振る。
「そういう心配はなさそうです」
ライオンにはよく見ると首輪が掛かっている。そして垂れ幕の仕切りには、小さな機械が置かれている。恐らく何らかの仕掛けでライオンはそこから外へ出られなくなっているのだろう。
「行きましょう」
二人を促しながら、リュイスはさらに奥へと進む。次の垂れ幕を捲った。
次は空の観客席ではなかった。何もない空間の先、垂れ幕が僅かに開けられた次の部屋が覗いている。その部屋は真っ暗のようで、代わりにもくもくと白い煙が溢れている。
「煙……?」
あり得ないものを見つけたとばかりに、リーサの呟きが溢れる。
「念のため、息を殺して入ってみましょう」
ライオンが放たれているのだ。有毒なガスでないとは言い切れない。正体がばれる可能性を考えると魔法は使いたくなかったが、いざとなったら行使することも視野にいれる。
部屋の中は、煙に満ちていた。周囲が非常に見えにくいなかにも関わらず、イユを見つけたのだろう。リーサの叫び声を聞いた。
「イユ!」
リーサが駆け出そうとして、足がもつれたのか前方へと倒れかける。慌てて支えたものの、リーサはお礼を言う余裕もなく、ずっと咳込んでいる。恐らく声をあげたときに、煙を吸ったのだろう。
事態が事態だと、リュイスは魔法を放つ。
風はすぐに煙をからみとり、遮っていた視界を広げていく。
部屋の中心で、琥珀色の髪が風に揺れた。イユだ。
地面へと突っ伏すように倒れている。
「イユ!」
リーサが真っ先に駆け寄る。イユの体は見たところ怪我を負っている様子はなかった。煙を吸って倒れたとみるべきだろう。
リーサが何度か体を揺すれば、イユの閉じられていた瞼がわずかに揺れた。
「うっ……」
うめき声に安心したのか、リーサがさらに名前を呼ぶ。
その声に、イユの目が開いた。黄緑の鮮やかな瞳が戸惑うように相手を探し、リーサを見つける。
「リーサ……?」
「ごめんなさい。こんなところに連れてきてしまって」
リーサの謝罪は、占い師の館のことを指しているようだ。
まだイユの目はどこか虚ろだ。意識が覚醒していないのかもしれない。しかし、イユの口は動いていた。
「……構わないわ。リーサは、私を助けようとしてくれていたのでしょう?」
話しながら、意識がしっかりしてきたのだろう。イユは体を僅かに起こす。
「私の方こそ、ごめんなさい。……単独行動、禁止だったのに」
表面上では強がっていても、イユの根っこの部分はとても素直だ。顔が緩んだのか、クルトがにやにやしているのが視界に映った。リュイスの表情が変わったのを見て、肩をすくめられる。
「でも、なんだってこんなところに?」
リーサたちのところに歩み寄りながらのクルトの疑問に、
「呼ばれたの」
とイユは答える。
「呼ばれたって誰に」
イユは即答をせず、ゆっくりと体を起こす。少し体をふらつかせていたが、動けないほどではないらしい。不安そうなリーサを宥めつつ、ある一点を見つめた。
「どうして私を呼んだの? あなたは、誰?」
イユの視線の先で、うさぎのぬいぐるみを抱えた少女が立っていた。白いドレスに白い髪、そして白い肌。まるで気を抜けば消えてしまいそうなほど淡い印象を漂わせている。
まさかこのようなところに子供がいるとは思わなかった。同時に不安が湧き上がる。リュイスは今までの出来事からあり得ない現実をいくつか取り上げる。
イユが倒れ、リーサもふらついていた煙の中を、普通の少女が立っていられるはずがないこと。そもそも、この煙は誰が何のために用意したものなのかわからないこと。揃って檻が開かれ、ライオンが出て来られる状況ができていたこと。そして、イユは『呼ばれた』ということ。
「あなたは、異能者なんでしょうか?」
確信はなかった。普通ではない状況から、一番納得のいく可能性をはじき出しただけだ。
そのリュイスの質問に、少女は頷いてみせた。隠そうとしない様子に、逆に危機感を抱く。加えて問いただそうとした。
ところが、少女はそれ以上の会話を続けるつもりはなかったらしい。
「待って……! まだ、話は終わっていないわ」
イユの静止の声は届かなかったのだろうか。少女は踵を返して走っていく。
奥に部屋があったのだろう。垂れ幕を捲る僅かな音が聞こえたと思ったら、一筋の光が部屋に射した。光へと、すぐにその姿が吸い込まれていく。
「気になるわ。追いかけたいの」
リュイスも気にならないかと言えば嘘になる。少女が自分のことを異能者だと認めたことでさらに謎は深まった。
だから、リュイスはイユに頷いて返す。
「罠の可能性もあります。慎重に行きましょう」




