その109 『サーカスの舞台裏』
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「最低っ!」
占い師の女の薄ら笑いが目に留まった。リーサの非難など、まるで意に介していないのだと伝わる、余裕のある表情である。
「私は事実しか話しませんよ。それが占いの力」
女は続ける。
「ですが、追いかけたほうがよいのでは? あの子、随分いろいろな人に好かれやすいみたいですね」
不安を仰ぐ意味深な言葉に、三人は顔を見合わせる。できることならば、怪しいこの女を問い詰めたいところだ。だが、三人の直感が揃って警鐘を鳴らしている。
――――何か取り返しがつかないことが起きる前に、急いでイユを追いかけたほうがよい。
リーサが誰よりも早く館を飛び出し、サーカスの喧噪の中へと駆け込んでいく。リュイスとクルトがそれを追った。
「イユ、どこ!」
リーサの声はすぐに人のざわめきに溶け込んでいく。歯噛みするリーサの様子から、悔しさが伝わってくる。
自身のすすめで元魔術師の元に連れて行ったイユが余計に傷ついたのだ。責任感の強いリーサには堪えるのだろうと、リュイスは胸を痛める。
「リーサ、単独行動は控えましょう」
嗜めると、リーサは小さく頷いて返した。確かに三人もいるのだから手分けして探すのがよいという気持ちもあるが、内二人は非戦闘員だ。何かあってからでは遅い。そう自身に言い聞かせる様子である。
追いついてきたクルトを待ってから、三人は固まって探し始める。
「ポップコーンはいかが? はーい、ポップコーンは」
近くを通り過ぎる子どもの売り子に声を掛けた。
「あの! 女の子を見ませんでしたか。琥珀色の髪の」
幼い売り子は物売り以外についてよく分からないようで、首を横に振られてしまう。
リュイスが声を掛けたのを見て、リーサも負けじと声を張る。
「すみません。人を探しているんです!」
人の波が会場内へと引いていく。それと同時に聞こえてくる歓声。
サーカスが始まったのだと気づく一行は、いよいよ焦りを感じ始めた。今までに何人にも声を掛けているのだが、手ごたえがまるでない。人の数が多いせいでイユ一人の顔を覚えている人がいないのだ。
開幕に出遅れた親子が、飲み物片手に一行の横を通り過ぎていくのが目に入る。
「あの、すみません……!」
すかさずリーサが声を掛けたのだが、親子はサーカスのことで頭がいっぱいなのだろうか、振り返る様子もない。
「お客様、どうかされましたか」
人の波が引いたせいで目立ったのだろう。スタッフに声を掛けられた。
「実は一緒にサーカスを見に来た友達とはぐれちゃったんだ」
クルトの言葉に、そのスタッフの女が
「まぁ」
と声を合わせた。
「それは心配ですね。観客席は確認されましたか。もう始まっていますし、お友達は先にサーカスを観ていらっしゃるかもしれませんよ」
一行は顔を見合わせる。あの状態のイユが一人で楽しくサーカスを観ているとは、考えにくい。
「あ、ううん。でも観客席は暗いから見てもよくわからないし、まずはこっちからかなって」
「それに、少し体調が悪そうだったのでサーカスを観るよりはまだこの付近で休んでいるかもしれないと思いまして」
クルトの発言に、リュイスが補足を入れる。
スタッフの女はあまり追及するつもりはないらしく、
「そうですか」
とリュイスたちの言葉に大人しく頷く。
「それでしたら、せめてそのお友達の特徴を教えていただけませんか。スタッフ間でも探してみましょう」
リュイスは少し躊躇った。子どもの売り子にイユの特徴を伝えるのとこれとでは訳が違う。このスタッフは、言うならば先ほどの占い師と同じサーカス側の人間なのだ。素直に答えてよいものか判断がつかない。
「琥珀色の髪をした女の子です。瞳はもえぎ色をしていて、身長は私より少し小さいです」
すらすらと答えていくリーサに、リュイスは思わず止めかけた。それから、リーサならばそれぐらいわかっているだろうと思い直す。そのうえでの判断なのだ。
「あぁ、その子ならさっき、あっちに……」
偶然だった。リーサの言葉を聞いていた男が、足を止めてそう言った。その手に大量のポップコーンと飲み物があるのを見ると、既に観客席にいる家族の為に運んでいるのだと察することができた。
その男の指し示された先に、一行は光が差したような思いを味わう。ようやく手がかりを見つけた。
「ありがと、おじさん!」
クルトのお礼の声が、歓声にかき消される。スタッフにも口早にお礼を言って、足早に示された場所へと向かった。
走っていると、観客席の様子がちらりと見てとれる。会場は暗かったがその中心で、赤い光が漏れていた。それが炎だとわかると同時に、その炎をくぐり抜けるライオンが、光を反射してリュイスの目に映った。再びの歓声が聞こえる頃には、観客席の一つ目のゲートは後ろに遠ざかる。
このサーカスには、中央の舞台を中心に波紋のように四つのゲートが存在する。テントに入って正面に二つのゲートが、そして暫く歩いたその先にそれぞれ一つずつゲートがある。最初のゲートには、飲食物やお土産、占い師のコーナーがある。そして、二つ目には休憩室があり、一部観客席に収まらない客が隙間から中央の舞台を覗いている。リュイスたちは今、その二つ目のゲートの先を駆けていた。
「では、みなさん! この勇敢な我らのライオンに、もう一度大きな拍手を!」
声から判断するに、いつの間にかサーカスは進行しているようだ。
横目に見えたのは、舞台の中心でシルクハットの男が立って、大きく腕をあげている様子だった。先ほどの声の持ち主だろうことが分かった。会場中が拍手の嵐に包まれている。その音に圧倒されそうになる。
「ここ……、舞台裏ですよね」
走った先に見えてきたのは、ゲートではなくて「関係者以外立ち入り禁止」と掲げられた看板だ。
その前に布が垂れ下がっていて、舞台裏なのだということが分かった。先ほどの客が指示したのは、紛れもなくここだ。
念のためスタッフが追ってきていないことを確認してから僅かに布を捲る。
隠された入り口から薄暗い広々とした空間が一行を出迎えた。
人の気配はしなかったが、
「失礼します」
とリュイスが小声で呟く。
その声が僅かに木霊した。
リュイスが先に中に入り、クルト、リーサと続く。一行が入り込んだ途端、拍手の音が遠くなった。ひんやりとした空気に、明かり一つない暗い通路。サーカス団員は会場の方に集中しているのかと、一行は首をひねる。
「こんなところに、どうして……」
本当にイユはいるのだろうかとリーサの呟きが皆の気持ちを言葉にする。
しかし、イユは文字が読めない。先ほどの看板の注意書きにも気付けなければ、人に声を掛けられる心配もない場所だ。あり得なくはないのかもしれない。そう頭の中で結論付け、急ぎつつも、警戒は怠らずに奥へと進む。
舞台裏は想像以上の広さだった。否、正しくはここは舞台裏ではなく、解放されていない観客席というべきだ。無数の椅子が理路整然と並んでいる。恐らくは入ってくる客の数に合わせて会場の大きさを変えているのだろう。客がまばらでは盛り上がりに欠ける。常に満席に見せるための工夫がここに施されている。
そして、サーカスは切り取られた一部の空間の中で、確かに盛り上がっているらしい。時折聞こえる拍手の音が、逆にこの場の物静かさを語っている。
「ねぇ、見て……」
リーサが震えた声を出す。
リュイスはそれで気が付いた。椅子の奥の方に、いくつかの檻がある。先ほど、炎の輪をくぐったライオンを思い出した。なるほど、彼らはこの中に入れられているとみるべきだ。
「あ、イユ……!」
檻に目がいっていたせいで発見が遅れた。
クルトの声に探せば、僅かに琥珀色の髪が視界に入る。
だが、当の本人はクルトの声に気づかなかったらしい。すぐに視界から消えていく。さらに奥の部屋に入ったようだ。
慌てて、追いかけようとしたところで――、
「待って!」
リーサが金切り声にも似た悲鳴をあげた。
「この檻、開いているわ……!」
好意的に解釈すれば、きっと中の動物は今サーカスの舞台で炎の輪をくぐっているはずだった。
だが、残念ながらそうではない。リュイスは本能的に剣を抜いた。
次の瞬間、鈍い音と獣のうめき声が交差する。
一歩遅れて、悲鳴をあげたリーサが地面に座り込む。そのすぐ後ろで何が起こったか分かっていないクルトが呆然と突っ立っていた。
「つっ……!」
リーサの前で椅子の上に飛び乗ったリュイスとライオンが剣と爪を合わせている。リーサのいる場所へ飛びかかろうとしていたライオンがその態勢のまま、リュイスの二刀に抑えられている形だ。ライオンが驚愕に目を見開いているようにも見て取れた。
そして、両者は一瞬とも永遠ともとれる時間の末、動き出した。力で押し切れないとみたライオンは一度距離を取ろうと後方へと飛び退き、椅子の間を身を潜めて移動する。
一方のリュイスは、リーサとクルトを守る立ち位置を維持しながら、椅子の上を次から次へと飛び乗っていく。
しかし、観客席の椅子は延々と続いているわけではない。時折通路を確保すべく、椅子と椅子の間が大きく開いている空間がある。
そこへ飛び乗ろうとしたリュイスのもとに、本能か知性があるのか機会と思ったライオンが再びリュイスへと飛び掛かる。その爪を振り上げ、牙をむき出し、リュイスの喉笛を噛み切ろうと――、
しかしリュイスのそれは隙ではなかった。むしろ誘うようにわざと大きな動作をしただけだ。十分に反応する余裕のあるリュイスは、迎え撃つように前へと体を預けた。
暗闇の中で、赤黒い滴が椅子の表面を覆う。
「リュイス……!」
たまらず声をあげたのはリーサだ。その声をかき消すかのように、ライオンの巨躯が椅子と椅子の間に崩れ落ちる音が響いた。
リュイスは血糊を薙ぎ払いながら二人の方を向く。
「一応、怪我で済ましておきましたけど……」
まさかサーカスのライオンにまで気遣うとはと、この場にイユがいたらそう呆れられてしまうかもしれない。とはいえ、崩れ落ちたライオンを見てそう感想を抱けるのはリュイスぐらいだ。
リーサは暗闇でも察せられるほど真っ青な顔で座り込んでいた。
「リーサ、大丈夫?」
クルトに尋ねられ、かろうじてリーサが頷く。
その様子をみてか、クルトがリュイスに言う。
「なんで、檻が空いているわけ」
下手をすれば、サーカス会場全体がパニックになるところだ。しかしその答えをリュイスは持っていない。
「わかりません。けれど、先ほどはリーサの声で助かりました」
リーサが悲鳴をあげたのは、恐らくライオンに気づいたからだ。けれど、それを誉めたところでリーサの顔色が良くなるはずもなく、考えた末にリュイスは可能性を述べることにした。
「まだ、この奥にもいるかもしれません」
リュイスの言葉は案の定、二人をぞっとさせた。
怯えた顔は変わらなかったものの、リーサは恐る恐る立ち上がってみせる。
足が震えているのは、十分に見て取れる。戦いに慣れていないのだ。命の危機に瀕せばこうもなる。ましてやリーサなら猶更だ。
「イユが危ないかもしれないのよね。……私なら、大丈夫だから」
彼女の返事は思った以上に、しっかりしていた。
まだいけるとリュイスも判断する。まずはイユに追いつかなくてはならない。




