その107 『飛竜と風船』
「イユ、こっちこっち!」
イユは、クルトとリーサに案内されて、サーカス会場へと急いでいる。夜の帳もすっかり落ちたにもかかわらず、人だかりは増える一方だった。群衆の間を縫うようにして進む。警戒しろと言われたばかりなのではぐれないように注意する。そうしながらも、つい空にまで飾られた色とりどりの明かりに気を取られる。夕暮れ時以上にまぶしい夜の光は、空に浮かぶ星に負けず劣らず美しかった。
「ここよ!」
リーサの声と同時に人の群れを抜ける。
「凄い……」
光景に目を奪われた。賑やかな音楽とともに出迎えたのは、あまりにも大きなテントだったのだ。
その周囲にはいくつもの小さなテントがあり、何人かの列ができていた。さらにその周りを、鼻を赤くした白い顔の男が笛を吹きながら徘徊している。テントとテントの間にかけられた旗には、きらきらと光る黒縁の花が彩られていた。そして、その隣に……。
見つけた生き物に、イユの心臓は飛び出そうになった。慌ててリュイスの服の袖を引っ張ってしまう。
「どうしました?」
呑気な声が返ってくる。
「あれって、飛竜でしょう……!」
裏返りそうになった声を寸前のところで抑えた。飛竜が風船の先を咥えて飛び回っている光景は、異様にしか見えなかったのだ。
「平気ですよ。飛竜はああ見えて怖くないんです。人間を襲うようなことは絶対しません」
その言葉に、声質に、違和感を覚えて、イユはそっと見上げた。
「えっ?」
イユが掴んでいた袖は、リュイスのものではなかった。長身で細身の老人が、そのモノクルをした目を細めてこちらを見下ろしている。
慌てて、手を離した。
リュイスとリーサを探してきょろきょろと見回すが、人が多すぎて見つからない。早速はぐれたようだと、頭を抱えたくなる。
老人には、イユの様子を眺めつつも先ほどと変わらぬ口調で
「ほら」
と首だけで指し示された。
何かを伝えたがっているのだと気づき、イユも諦めて飛竜を見やる。
すると視線に気づいたのか、飛竜が振り返った。口に風船を咥えたままやってくる。驚きで硬直しているイユの前で、降下した。その手前に子供がいたらしく、その口から風船を渡してやっている。
「ありがとう!」
と言って手を振る子供に、飛竜はどこか満足げに飛んでいく。
確かにこの様子だけを見ていれば危険な生き物とも思えないのだと、頭では納得した。
「怖くないでしょう?」
上から声がかかって、反射的に否定する。
「怖がってなんかいないわ」
「ふふ、それなら結構」
老人はイユの言葉を鵜呑みにしていないようだ。口元がゆるやかに持ち上がった様子から笑っているのだと気がついた。完全に子ども扱いされていると気付き、かちんときた。
たまらず何か言ってやろうと、口を開きかける。
「イユ! よかった、見つけた!」
そこで、イユに気づいたリュイスたちが戻ってきた。
「もう、はぐれちゃだめっていったでしょう?」
リーサに痛いところを指摘されて、心苦しくなる。
「それはそうなのだけれど」
イユの視線に気づいたのか、クルトから納得の声が上がる。
「あぁ、珍しいもんね、飛竜。このサーカス、風切り峡谷から来ているのかな」
クルトは平然と、やってきた飛竜に近寄り、頭を撫でる。飛竜は嬉しそうに目を細めてから、次の子供を求めて飛び立った。
一人と一体の自然なやりとりを眺めていたら、ようやく安堵のため息が出た。それから、先ほどの老人を思い出す。
「あら……?」
ちらちらと周りをみるが、そのときにはもう、あの老人は跡形もなく姿を消していた。
「ほら、今度ははぐれないように行きましょう」
よほど心配されたのか、リーサに手を繋がれた。そのまま、人の輪を通り抜けるように進んでいく。
その輪の先で、先ほどの飛竜が籠を咥えて、人々に何かを振りかけている。例外なくイユの頭にも乗ったそれを、そっとつまんでみてみる。それが文字通り花の形をした紙吹雪だと気づいて、もう何も言えなくなってしまった。
一体、この街は何回驚かせれば気が済むというのだろうと、呆れたくなる。別世界といわざるをえない光景に、イユとしては息しか飲めないでいるというのにだ。
「確か、風切り峡谷にしか飛竜は存在しないんでしたよね」
紙吹雪の中を進みながらも会話は続く。イユは異能のおかげで聞き分けができるが、残りの三人は聞き取りづらそうで時折声を張り上げている。
クルトが
「そうだよ!」
とリュイスに返しながら、リーサとともに大きなテントに入り込んだ。
イユもすぐにそれに続く。途端に、騒がしさが少し収まる。
「でも、あそこってラビリさんがいるのよね?」
「そうそう。姉さんも例の件について調査はしてくれているみたいだけど分からないみたい」
例の件とは何のことかと思いきや、女暗殺者のことだった。飛竜を見てしまった以上、イユも彼女のことを思い出さざるをえない。あの女のせいで散々な目にあったことを思い返せば、できればもう二度と会いたくないものだと願いたくなる。
リーサがチケットを差し出すのをみて、イユも真似をする。受付の制服を着た女が
「楽しんでね」
と声をかけた。
「あの……、特別にやっているっていう、占い師の館はどちらですか」
リーサが質問する。
場所を聞きながら、イユは不思議に思った。リーサがイユを連れていきたいのは、占い師の館というところらしい。これは、クルトの姉の絡みらしいのだが、一体全体どういうことであろう。
「ねぇ。クルトの姉って何者なの? というより、いたの?」
占い師の館と言っても同じテントの中の話だ。紺色の布でいくつかに仕切ることで、テント内を何箇所かのエリアとして扱っている。占いだけでなくお土産屋や飲食物を購入できる場所もあった。なので、占いの館とは名だけで、所謂占いコーナーというのが最も近い表現になるのだろう。
しかし、案内された地点へと歩けば、その館の前には、コーナーという割には多すぎるほどの人だかりができていた。その最後尾に並びながら、質問する。
「そっか。言ってなかったっけ。ボクの姉さん、ラビリっていうんだけど」
次の言葉に思わず声をあげてしまった。
「魔術師の見習いをやっているんだ」
慌てて周囲を見回すが、人混みの中ではイユの声など響き渡らないようで特に周囲に変化はなかった。
「誰が聞き耳を立てているともしれないから静かにね」
と、リーサにまで注意される。
「何。それじゃああんたたち、魔術師と関係があったということ?」
声を小さくしたものの、責め口調になるのは止められない。どうしたって、イユは魔術師が嫌いなのだ。ブライトが魔術師であっても、そればかりはどうにもならない。
「違うよ。でも、敵を知るのは大事でしょ」
クルトの説明に、リュイスが補足を入れる。
「ラビリは一人で、魔術師を調査しにいくってセーレを出て行ったんです」
手紙のやりとりは頻繁にしているという。
「それで、魔術師たちの近況について教えてくれます。危険な『古代遺物』のこととかですね」
合点がいった。セーレが今まで龍族がいるにもかかわらず捕まらずにいられた理由には、魔術師の内情を知らせる人物がいたからなのだ。そういえばと今頃になって思い出す。クルトはブライトの持っていた魔術書を見たとき、姉さんなら読めるかもと言っていた。
「そうそう。それでね、姉さんは、魔術の中でも珍しい占星術の研究をしているんだよ」
「せんせいじゅつ?」
訊きなれない言葉に疑問で返せば、リーサが答える。
「要するに、占いよ」
「占い?」
そんなものが魔術なのか。誰でもなれそうだと思えば、クルトも肯定する。
「そう。だから魔術師の中では異端だとか言われて、結構嫌われているって。でも、星や太陽の位置から占いするだけじゃなくて、星から未来を読み取って人に伝えるみたいな魔術らしくって」
クルトも説明していてよくわかっていないのか、言葉の端々に疑問形が使われている。そのせいで、ただでさえ理解できないものが更にわからない。
「要するに怪しい魔術ね」
まとめれば、否定しきれないのか複雑そうな顔で返される。
「そうかもだけど。まぁ中には占星術だけじゃない魔術師もいるって」
占い師の館がだいぶ近づいてきた。あと少しで入れそうだ。
「まさかだけど、今会おうとしているのって魔術師?」
「元ね」
「元?」
魔術師に元も何もあるのかと怪訝な顔を浮かべれば、クルトから曖昧な説明がある。
「魔術は使えても、貴族としての地位を剥奪されると魔術師とは言えないみたい?」
「貴族ではないということ?」
「そうそう、悪いことをしたり後ろ盾をなくしたりするとなるんだって」
薄っすらと記憶にある。確か、以前にブライトが言っていた。魔術師が破門されると、彼らの呼び名が変わるのだ。
「なるほど、『準魔術師』ね。ブライトが言っていたわ」
だが、忘れてはいけない。準なんて言葉が付こうとも彼らは変わらず危険な魔術を使えてしまう。
「そうなの? まぁ、じゃあ、その元魔術師……、えっと、準魔術師だけど、占いだけじゃなくて解呪関連の魔術にも精通しているって手紙に書いてあったんだ」
解呪と聞いて、察しがいった。どうも、リーサたちはイユの暗示を解くために独自に動いていたらしい。
「ブライトさんが無事にシェイレスタについたら、暗示は解いてもらえるかもしれない。けれど、縋れる可能性には縋っておきたくて」
レパードがリーサたちを行かせたということは、恐らく同意見なのだろう。彼女たちを見て後悔した。イユは自身の不安を誰にも伝えず抱えていた。リーサでなくても、誰でもよい。セーレの誰かにこの思いを打ち明けることができていたのなら、或いは未来も変わっていたのかもしれない。




