その106 『報酬』
航海室にはクロヒゲも、二人の船員もいた。招集命令は出ていても、船を動かす中枢部分だ。常に人は置いているということだろう。
「差し入れを持ってきたわ」
クロヒゲは礼を事欠かない。
「助かりやすぜ。お前らも、礼だ」
「あと名前聞いていなかったわよね。クロヒゲはわかるのだけれど」
記憶の中にあったのと同じ、黒髪の男が名乗った。彫りの深い好青年という顔立ちをしているが、声は非常に渋かった。
「ベッタだ。操縦士をしている。差し入れ、助かるぜ」
見た目だけであれば二十代にも思えたが、この落ち着きぶりをみるに三十歳は超えているかもしれないと結論づける。
もう一人、殆ど記憶に残っていなかった少年は、どこにでもいそうな人物だった。茶髪だけが唯一記憶に合致する。
「キドです。差し入れ、ありがとうございます」
よくよくみれば、右頬にほくろがある。しかしそれ以外は、はっきりしない顔立ちだ。どうりで思い出せないわけだと、イユは納得する。セーレはどこか個性のある人物が多かったから、余計に目立たないのだ。
しかしと、ふと疑問に思う。
「ライムたちは納得だけど、あなたたちも食事を忘れるほど作業に没頭するのね」
煤で汚れるような仕事ではないからかもしれないが、三人とも身なりはしっかりとしている。
イユが異能者だと聞いてもピンとこない或いは逆に語りだすような変わり者、それが機関部員ーー、主に二名の、特徴だ。その機関部員のもう一つの特徴が食事も忘れるほど仕事に没頭してしまうことである。しかし、航海室にいる船員はそうしたおかしな部類には見えないので、不思議になったのだ。
ライムで通じたのか、キドが悟った顔をした。
「違いますよ。航海室の仕事は中々代わりがいないので単に離れられないだけです」
キドの言葉にクロヒゲがからかう。
「おい、キド。それだと、まるで仕事を嫌々やっているみたいだぜ」
この中ではやはりクロヒゲが一番偉いらしく、キドは大慌てで首を横に振ってみせた。
「いえいえ、そうではなくて。あそこまでは熱心になれないというか」
イユにも言いたいことは伝わる。あの機関部員たちに会った衝撃は、航海室まで歩いてきた今でもまだ鮮明に残っている。
「本当かぁ?」
「本当ですよ。僕はあなたと違ってさぼりませんから」
ベッタの茶々に、キドが鋭く発言する。
舵を取っているベッタがさぼっているのだと聞いて、イユは内心ぎょっとした。
「いやいやいや、俺はスリルを求める男というだけだ。舵から手を離した時の、船の動きを見るのも中々に興味深いものだぜ」
「おい、スリルとさぼりを履き違えるなよ」
呆れたようなクロヒゲの言葉に、「そりゃないぜ」とベッタが嘆く。
「誰もさぼるなんて言ってませんでしょ。趣味の範疇ですぜ。わざと機体を旋回させるのと一緒です」
「ちょっと! こんな操縦士で問題ないわけ?!」
思わぬ発言にイユはつい、叫んでしまった。
「何、こんな奴でも腕は確かなもんでやす」
クロヒゲが取り直そうとするも、ベッタは嬉しそうに歯を見せて笑う。
「何事もスリルだよ、お嬢さん」
イユは頭を抱えたくなった。まさか、機関部員とは航海室の船員も合わせて問題児の集まりだったのだろうか。ひょっとするとイユはとんでもない船に乗せてくれとせがんだのかもしれないと、この時ばかりは後悔がよぎる。
「……とりあえず、これで、全員に声をかけましたけれど」
そうしたイユの気持ちを知ってか知らでか、リュイスが、こめかみを揉んでいるイユにそう振った。
動揺中のイユに代わってリーサがそれに返す。
「時間もそろそろといったところかしら。一度甲板に戻りましょう」
船員たちのおかしさを知ったのはともかくとして、依頼はこれで完了したのだ。イユはそう自身を宥めて大人しく頷いた。
「お、依頼はこなしてきたみたいだね」
クロヒゲたちと別れ甲板までいけば、ミンドールとクルトが待っていた。
「さて、報告をきこうか」
「ほうこく?」
聞き慣れない言葉を反芻するイユに、仕事の基本だとミンドールが答える。ちゃんと仕事を終わらせることができたのか、どうやって終わらせたのか依頼主にきちんと話して初めて完了するものらしい。
それだけ聞けば、イユの説明も自然と丁寧になる。
「うん、これなら大丈夫そうだね」
ミンドールは一通り聞いてから、納得した顔をする。
「依頼の練習はこれで完了かしら」
彼は頷いてから、
「手を出してごらん」
と言う。
言われるままイユが両手を差し出せば、その上に五枚のコインが置かれた。
「今回の報酬、500ゴールドだよ」
置かれたコインの重さに、胸が高鳴る。
「ミンドール、ちょっと甘すぎない?」
クルトの突っ込みが入るが、そこをーー、
「報酬をもらうまでが仕事だからね」
とミンドールは流しにかかる。
「どっちかっていうと、お手伝いした子供へのおこづ……」
ミンドールは、クルトの言葉を遮った。
「折角だ。自分の好きなものを買うといい」
「そうさせてもらうわ」
手の中の重みが無償に嬉しかった。とりあえずと、鞄に入れる。
絵本に、お金に、すかすかだった鞄の中がだんだん埋まっていく。一人だったら絶対に埋まらなかっただろうこの重みを忘れたくないと思った。




