その105 『機関部員たち』
機関室に行くためには、階段を下りなければならなかった。セーレはこれほどに広かったのだと驚くとともに、徐々に漂ってきた、油と鉄のにおいに目を細める。
下り続けた先には、白い光が零れていた。
「飛行石! ここにあるのね」
目の前に眩い光を放つ飛行石がある。籠の中に入れられて、それぞれが各々の明るさで自己主張していた。その周りに散らばって作業しているのが機関部員だろう。
一人が振り返って、ぎょっとした顔をした。
「げっ! なんで!」
ヴァーナーだ。
「あいつも機関部員なの?」
リーサに訊くと、彼女からはすました顔で答えがあった。
「そうよ。けれど、ヴァーナーにはハンバーガーはいらないから」
すたすたとヴァーナーの横を通り過ぎてみせる。
むっとする彼の横を通りすぎるのは、さしものイユでも少し気まずさがあった。リュイスなど明らかに表情にでている。
けれど、今はリーサに従うのが一番だと感じている。大人しくついていくと、
「ライム。今よかったかしら?」
とリーサが声を掛ける。しかし、誰もリーサの返事には答えない。その様子に分かり切った顔で、彼女は奥へと入っていく。
イユも続いて、気が付いた。
部屋の奥に、一人でずっと作業に没頭し続けている女がいる。金髪を二つにわけているのが後姿から見てとれた。腰まで届く髪をみるに、手入れに気を配っている感じはまるでなく、どちらかというと一々切るのが面倒で無造作に伸ばしている様子が見受けられる。髪をしばっているのは、あくまで作業の邪魔だからなのだろう。
「……ライムはまた聞いていないのね?」
一行がライムの近くまで到達すれば、ぶつぶつと呟きが聞こえてくる。
どうやらライムは、じっと飛行石とにらめっこした状態になりながら、夢中になって何かを考えているらしい。その思考の一端が呟きとして漏れているのだ。
「うーん、これじゃあ出力がダメ。効率をあげるには……もう少し。あぁ、違う」
リーサが肩をとんと叩くと、びくっと彼女の肩があがる。
「はう! びっくりした。えっと、リーサちゃん?」
歌っているかのようなソプラノの声がどこか耳に心地よい。振り返った顔も煤さえなければ、美人の類のものだった。すっと高い鼻に、日を浴びたことがないかのような白い肌。青い目は特に印象的で、まるで白磁に青水晶が埋め込まれているかのようだ。
「お仕事中悪いけれど、差し入れね」
慣れているらしく、リーサは要件を先に言う。
「それと、自己紹介」
腕を突かれて、イユは慌てて名乗った。
それを見て、ライムは両手を合わせて喜んでみせる。仕草が相まって、普通の可愛らしい女性に映った。しかし、改めて全身をみると、どうしても衣服が埃と汚れまみれなのに目が行ってしまう。汚れやすい職場だからかと思うが、ヴァーナーはそうでもなかったからライムが異常なのだろうと結論づける。素材がいいだけに、もったいない女性だった。
「うわぁ、可愛い! あ、ライムだよ。よろしくね」
しかも彼女はそう挨拶した途端、向き直って何やら飛行石を眺めだした。
「あ、待って。思いついたかも。これは、日の当て方を変えてあげればいいんだ。えっと、確か……」
「……珍しいわ。ここまで会話ができるなんて」
リーサの感想に、イユは呆然とした。どうも相当な変わり者らしい。
「本当は、レッサもいるのだけれど、今はいないみたいね」
それを耳聡くきいていたヴァーナーが声を掛けた。
「レッサの居場所、教えてやろうか」
もったいぶった言い方に、リーサがむっとする。
「結構よ」
そう答えられても、ヴァーナーは変わらず、にやにやしている。
その脇でひょっこりと姿を現したのが金髪の少年だった。ヴァーナーより頭一つ分低いことが、並んでいるせいで、よく分かった。
リーサがその少年を見て嬉しそうに手を合わせる。
「レッサ、いいところに!」
横をみたヴァーナーが、げっという顔をする。
「なんでもう戻ってきたんだよ」
随分な八つ当たりだと思ったが、レッサと言われた少年は気弱なのか慌てて謝ってみせた。
「ご、ごめん。部屋にねじを取りに行っていただけだったから……」
証明するように、両手を広げてみせる。その手の中に、数個のねじがあるのが見て取れた。
それをひょいっと取ったヴァーナーが、そのまま作業場へと逃げ去る。
「うわっ、ずるいよ。僕のねじ……」
リーサもその様子をみかねてか、ヴァーナーを叱ってやろうと口を開く。
しかし、ヴァーナーの言葉が先だった。
「お前は、ハンバーガーでも貰っていろよ」
意外な言葉だったのだろう、レッサが首をかしげる。
リーサもまた思い出したように袋を手に取った。
「そうよ。レッサもまたご飯食べずに作業しているのでしょう?」
ハンバーガーを差し出せば、ぽかんとした顔のままだったものの、レッサは受け取った。
「あ、ありがとう」
「ちゃんと食べないとだめよ。それに、船長から招集命令も出ているのだし」
リーサの言葉に、確かにと思う。招集命令が出ているという割には各々作業の手をやめようとはしていない。
「う、うん。でも、外の人が戻ってくるには結構かかるし、その間にもう少し作業してから……」
全く反省の色が見られない答えに、リーサは深く追求するつもりはないようだ。話を切り替えた。
「あと自己紹介をしたいのよ」
そういわれて初めてレッサが、イユに気が付いた顔をした。今まで全く眼中になかったらしい。
今頃ではあったが、その瞳が大きく見開くのをみて、イユは少し警戒する。はじめてレンドやアグルに会った時と、似たような表情だと感じたのだ。
「イユよ」
先手必勝とばかりに名乗れば、大人しく返事が返ってくる。
「あ、うん。僕はレッサ」
気弱にみえた少年だ。それ以上の言及はないと思っていた。
「あ、あの……」
ところが、少年は続けたのだ。
「君は、異能者なんだよね?」
「……だったら?」
声が自然と固くなる。わざわざ確認を取ってくるぐらいなのだ。相手は警戒しているのだろうと思った。
なので、次の展開には仰天してしまった。
「凄い……! どんな異能が使えるの?」
「……は?」
イユだけでなくヴァーナーも含めた周囲の人間が一斉にレッサを見た。見ていないのは、既に会話に参加していないライムだけだ。
「異能は人によって使える種類が異なるんだろ?」
「力を制御する能力だけど……」
戸惑いながら返すイユに、レッサは目を輝かせる。
「制御? 飛行船みたいなのを動かせるのかな」
「傷を治したり、聴力を上げたりするぐらいよ」
ほおっておくとあらぬ方向に力を解釈されそうだったので、イユは素直に答えた。
すると、レッサは大袈裟に
「凄い!」
を連呼し始める。
「……お前、未知のものなら異能でも何でもいいのな」
呆れた様子のヴァーナーに、リーサはよくわからないという顔をしている。
「龍族も魔法を使うでしょう? 未知ではないと思うのだけれど」
至極全うな言い分に、レッサは全否定しだす。
「全く違うよ。龍族は遺伝的には龍の血をひいているだろ? でも、異能者は人間の進化した姿ではないかと言われていて……」
「龍?」
イユは止まりそうもない話に割り込んだ。聞き慣れない言葉がイユの興味を掻き立てたのだ。
「実在するの?」
レッサは飛びつくように答えた。
「もちろん。ううん、今はもう絶滅したけれどね。ただ飛竜とは大きく違うんだ。もっとこの船ぐらいに巨大で、首が八つに分かれた生き物だよ。いや、八つに分かれた竜の集合体が『龍』と呼ばれているのかな」
すらすらとレッサが紡いでいく言葉を、イユは耳にいれるだけで精一杯になる。
「あ、それで元の話に戻るんだけれど、異能者はそんな龍族とは全く違うんだ。それなのに、根本的なところでは魔法と異能はよく似ている。だから、人の進化論が推されていて……」
「全く何を言っているのか訳が分からないわ」
呪文のような言葉が矢継ぎ早に飛んでいくので、イユは早々に投げることにした。
当事者のイユが投げたにも気づかず、レッサは尚も語り続けている。
「リアの時もこうだったのかしら……」
呆れ口調のリーサの感想にも、食らいつく。
「そう! リアの変身の異能は特に変わっていて……」
イユでも、余計なスイッチを踏んでしまったのだと分かった。
リーサは、それにてきとうに相槌を打ちながら、イユの袖をこっそりと引っ張り、耳打ちする。
「……行きましょう。こうなったら終わらないわ」
あのヴァーナーですら呆れて作業に戻っていた。これはほおっておいてもいいらしい。振り仰げば、リュイスも頷いていた。
「ミンドールの依頼の中には、航海室の船員も含まれているみたいですし、そちらに行きましょう」
イユも思考を切り替えることにする。
ハンバーガーの数は残り三つ。一つはクロヒゲだったはずだ。残り二つは航海室に固まっているらしい。一度行ったことはあるので残り二人には会ったことはあるはずだ。
あの時いた航海室の船員を思い出す。確か、一人は黒髪の男だったはと記憶している。舵を手に取って、非常に目立つ群青色の服を着ていた。背中に錨の絵のある服だ。もう一人はどうだっただろう。茶髪だった気もするが、どうにも思い出せない。
――――行ってみればわかることね。
深く考えるのはやめた。尚も話し続けるレッサを置いて、一行は航海室へと向かう。




