その104 『船に戻って』
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「全員、警戒。単独行動禁止?」
ミンドールに解読してもらったギルドの言伝は、イユに警鐘を鳴らした。ただ事ではない何かが起こっているのだろうと判断したからだ。同時に、それが何か分からないという不安が膨れ上がっていく。
「まぁ、幸いボクらは団体行動中だけど」
クルトの発言に頷く。それは一つの安心材料だ。更に言えば、リュイスの存在もある。もし何かに襲われても対処できるという安心感に、イユの心の中の不安の風船が萎んでいくのを感じる。
「それで、セーレの場所はわかったのね」
イユは風船をぺらぺらの紙にしてやろうと、ミンドールに確認をとる。セーレにはレパードも戻ってきているはずだ。機関部員に配り終えたら、この件について問い詰めればよいのだと思考する。
「そうだね。機関部員には特に外出の指示はでていないようだ」
「外出の指示?」
警戒しろと言いながら外出指示もでているというのは矛盾しているように見受けられ、思わず問う。そこにリュイスの説明が入った。
「船を運用する以上、食糧や水、燃料の確保はしないといけません。指名の入っている船員は各自の仕事をするように指示が入っているのです」
それで、どうやら言伝の内容はかなり仔細なものなのだと気づかさへる。ギルドの受付にもわからないように暗号で届けているらしいが、セーレにいる以上そういった知識も必要になるのだと感じた。
「サーカス、難しいかもしれないね」
「でも、せめてイユのことだけでも……」
クルトとリーサが話し合っている会話に、イユの名がでたので思わず反応する。
「私がどうしたの?」
リーサが首を横に振りながら答える。
「いいえ。イユとサーカスをみられなくなってしまうかもと思って。でもまずはハンバーガーを届けないとね。戻りましょう?」
その通りだと、イユは頷く。まずはミンドールからの依頼を片付けなければならない。気にはなったが、気持ちを切り替えることにする。
ミンドールへと案内されるまま、セーレへと向かった。
「あったわ……!」
下っていく坂道の先。警戒と言われている手前大きな声は厳禁だと言われていたが、見つけた時にはつい声を挙げてしまった。セーレの変わらぬ姿をみて、どこかほっとしてしまったのだ。
「なるほど。ギルド員が使っている船着き場というところですか」
リュイスが感想を洩らす。
気を抜きすぎだと反省しつつ、イユも周囲を見回した。
イユたちがたどり着いたここはどちらかといえばギルドから近い場所に位置する港だ。船の出入りの激しいギルド員が使っているのだろう。セーレ以外にも複数の船が止まっているが、その乗組員たちの出入りが激しい。
「帰ってきたな」
声に振り仰げば、夜の闇に溶け込むようにしてセーレの甲板にたたずむ影があった。その影のシルエットと大きさから誰か判別できる。レパードだ。
独り言のつもりだろうが、イユの耳には先程の呟きはきちんと聞こえている。
イユたちはそそくさとセーレへと乗り込んだ。船内に入れば、先ほどまで甲板にいたレパードが壁に寄りかかるようにして待っている。
「とりあえず、一番心配していた奴らは無事のようだな」
つい自分のことを言っているのかと思った。それから、レパードの視線の先がリーサとクルトにあることに気づく。戦い向きではない二人を心配しているという事実に、イユの警戒は間違っていなかったのだと感じさせられる。
「船長、何があったの? 警戒なんて……、まぁよくあることだけどさ」
クルトの質問に、レパードは、「ちょっとな」といつもの口調で返す。
「セーレがつけられていてね」
仔細を語らないレパードに代わって答えたのは、知らない男の声だった。
少しして、暗がりからひょっこりとその男が顔を出す。アメジストを思い起こす紫をした長髪を下の方で束ねている男だ。白い肌にほっそりとした体つきをしている。睫毛も男のものにしては長かった。それらの特徴せいか、どこか艶のある雰囲気が醸し出されている。声は男のものだったが、姿だけをみると判別がつかない。シルバーイヤリングなどしているから余計にだろう。
「……誰?」
出会ったことがないことから、恐らくは機関部員の一人だろうと思えばその通りだったらしく、その男は頷いてみせた。
「君とは初めてだったね。ラダという。よろしく頼むよ」
「私は……」
名乗ろうとしたところをラダに止められる。
「いや、知っているから大丈夫だ。船内じゃ有名だからね」
確かにイユのことは船内中に知られているだろう。
「それで……?」
先が気になったのか、ミンドールが促す。
「ああ、無人の偵察船がいてな。どうもつけられているらしい」
「それって、ブライトさんを追って……?」
リーサの疑問に、イユははっとした。もしかすると、彼らは追われるのを恐れてブライトを追い出そうとするのではないかと。その可能性に思い当たると、急に不安が膨らんだ。
「たぶんな。まぁ下手に撃退すると何されるか分かったものじゃないからな。とりあえず放置してある。そして残念なことに、マドンナから追加依頼だ」
イユはまず自分の記憶を疑った。しかしいくら振り返っても、マドンナは静観するばかりで追加の依頼のなどなかったはずである。レパード一人が残ったときに依頼でもされたのだろうかと、首を捻った。更にその先の話を聞いて、とび上がりそうになる。
「ブライトをシェイレスタまで送り届けろだと」
その言葉にラダを除く全員が唖然とした顔をした。
喜びに舞い上がっているのはイユぐらいのものだ。
「どういうこと……。イユの暗示の件は……」
「現地にいって、本人に解いてもらって来いってことだろう」
レパードはそう述べることにしたらしい。まさか本当は諦めろなどと言われているとは思わないイユは、呑気にマドンナに感謝すらしていた。
一方、それを聞いたリーサは、どこか複雑そうな顔をしている。
「つまり、私たちの問題は私たちで解決するようにってこと?」
穿った見方をすれば、マドンナ自身はこの件に一切関与していない。セーレだけがまるでとかげのしっぽ切りのように、言い様に使われてはいないか。そうした疑問が沸いたからこその、リーサの問いかけだった。
それに、「ああ」と肯定するレパード。
「魔術師は貪欲だからせいぜい気をつけろだと」
どこか険のある言い方に、マドンナへの棘を感じた。
クルトもそれに同調する。
「ブライトがしたことは人間的にどうかと思うんだけどさ。さらに気になるのが……、マドンナはそんな奴の肩を持つってこと?」
クルトの意見を補強したのはラダだった。
「船長のいうことが確かなら、ブライトは魔術書を盗んだ凶悪犯だ。その意味、マドンナは本当にわかっているのかな」
凶悪犯という響きにイユは震え上がった。世間を騒がせていたのはマドンナの一件で知っているが、あまりにも邪悪な言葉に思えたからだ。
「まぁ、マドンナにも考えがあるんだろう。今回はギルドの紋章旗までよこすぐらいだからな」
「ギルドの紋章旗……!」
それを聞いたリュイスが驚きの声を挙げた。
「それはすごい」
ミンドールまで驚きを示す。
「何、どういうこと?」
分からないので解説を求める。そこで初めて、セーレが正式にはギルド船ではなかったと聞いてイユは二重に驚いた。確かに以前、リーサから、セーレはギルドに特別に名前を借りていると言われた記憶はある。
「どうもマドンナも本気らしいね。ブライトという人物、よほど何か握っているとみえる」
ミンドールの発言に、皆がそろって複雑な顔をした。リアの件を船員に伝えていないこともあり、彼らに、聖母とすら呼ばれているギルドのマスターとブライトがどうしても結びつかないようだ。
「お、皆集まっているじゃん」
声に振り返れば、甲板からシェルが入ってくるところだった。刹那も一緒にいる。
「……なるべく集まってからこの話はした方がいいな」
話の続きは食堂で。そう続けるレパードを止めたのは、リーサだった。
「待って、サーカスが……」
皆の視線に気づいたからか、言葉が止まる。
「サーカスなんて、それどころではないだろう?」
ラダが不思議そうに返す。
「それはそうなのだけれど……」
リーサの歯切れが悪い。
隣で、クルトが困ったように頭を掻いた。
「イユにどうしても会わせたい人がいるんだよね。サーカス自体はどうでもいいからさ。ちょっと行ってきてもいい?」
「私?」
名前が挙がってイユは思わず自身を指さした。そういえば、さきほどもそのようなことを話していたと思い返す。
「サーカスで会わせたい奴?」
レパードも怪訝そうだ。
「ボクの姉さん絡みで通じる?」
レパードは初めて理解したような顔をした。
イユにはさっぱりわからない。
「あぁ、それなら……リュイス。リーサたちに同伴頼む」
許可がでたことが驚きだった。
「やった! それじゃあ、時間になったら行こう!」
イユは頷き、それから気づいた。
「ラダって機関部員なのよね?」
「あぁ、そうだね」
慌てて紙袋からハンバーガーを取り出す。
「?」
事態の読めていないラダに、ミンドールが説明する。
「差し入れだよ。どうせまだ食べていないだろ?」
ラダは納得した顔をした。
「なるほど。君の入れ知恵か」
「それは人聞き悪い」
その様子を見ていたシェルが反応する。
「ねぇちゃん、ねぇちゃん。オレのは?」
「ないわ」
「えぇっ?!」
と大げさに喚くシェルには構わない。そもそもシェルは外から帰ってきたのだ。食事の時間ぐらいあっただろう。
その様子をみていたレパードが口を挟む。
「まだ全員が集まるまではかかるし、運ぶなら今のうちだぞ」
レパードには珍しいきちんとした忠告だ。
「……なんだよ?」
「レパードはハンバーガーほしいっていわないのね」
「俺はさっき食べたからな」
「いつの間に?!」
知らない間にレパードがしっかりハンバーガーを食していたという事実は、イユとしては何故だか悔しい。
「リーサ、機関部員はどこにいるの」
気を取り直して聞くイユに、リーサが腕まくりをした。
「当然、機関室よ。急ぎましょうか」
リーサに先導してもらい、イユは廊下を進む。その後ろをリュイスもついてくる。
一方で、ミンドールやクルトはついてくるつもりはないらしい。シェルの首根っこを捕まえたクルトが、レパードと話しているのが聞こえてくる。ブライトの件で何か話しているのだろうことはわかったが、会話の仔細までは追えなかった。耳に意識を持っていこうとしたところで、曲がり角を曲がってしまい姿さえも見えなくなる。
まずは配達だ。イユは気持ちを切り替えることにした。




