その103 『抱えるものとこれから』
「随分、楽しそうにはしゃいでいたね」
レパードがブライトを閉じ込めた部屋を出ると、そんな感想で出迎えられた。
「あいつの頭はどうも、ねじが一本飛んでいるみたいでな」
レパードはそれに答えながら、目の前の人物を労う。
「わざわざ休憩中に悪かったな、ラダ」
「構わないよ」
ラダは紫の髪をうっとうしそうにかき分けながら、そう返した。年齢は二十を超えているもののレパードより若く、その繊細な容姿は女と見違うほどだが、ナイフの腕は圧倒的に信用できる。レパード一人で魔術師に会いに行くのは危険と考えての、用心棒だった。
最もナイフの腕だけでいえば、刹那もいる。刹那ほどの腕前ならば、ブライトを相手に容易に魔術は使わせないだろう。
けれど、レパードは刹那に依頼する気にはどうしてもなれなかった。ブライトが初めて刹那を見たときのわざとらしい反応が、頭にこびりついて離れないからだ。
――――あれは、何だ。
ブライトを初めてセーレに連れ込んだあの日、刹那をみたブライトは明らかに意味深な反応をした。その反応がわざとなのだとしたら、それは何を示すのか、答えがでないでいる。
「クロヒゲが来ていたよ。すぐに持ち場に戻ったけれど」
ラダの言葉で、レパードは物思いから覚めた。
「そうか。それなら戻るか」
ラダは機関士だ。持ち場はクロヒゲと同じになる。
「了解、レパード」
そう彼は返事をして、すたすたと先に歩いていく。ラダは決してレパードとは慣れ合わない。そして、レパードのことを船長と呼ぶことはない。
――――消えないな、傷は。
ラダの背を追いながら、レパードは考える。十二年もの歳月は、ラダの傷を癒すどころか後悔という剣を与えた。彼のナイフの腕が上達すればするほど、その脆さの気配がより強く漂っていく。いつかその剣が折れやしないかと、レパードは目を離せないでいる。
「船長、わざわざすみやせん」
航海室に入れば、クロヒゲが慌てた様子でやってきた。
「何の用だった」
クロヒゲには指示を出してあった。船をもう一方の港に移すようにとの指示だ。クロヒゲはそのために動いていたはずだ。
「どうもつけられているようでやすぜ」
クロヒゲは窓に映る甲板を指した。
甲板に向かいながら、レパードは
「やはりか」
とため息をついた。つけているのは、恐らく偵察船だ。セーレは霧に紛れて逃げたわけだが、そもそも相手にはわざわざ無理して追いかける必要はなかったのだ。船の燃料はいつか尽きる。セーレがブライトを乗せていることが鼻からわかっているイクシウスは、はじめからめぼしい港に見張りをつけていたのだろう。そして、セーレが来たら、偵察船をつけてその動向を確認する。わざわざ指名手配犯を取り押さえにこないのは、この港にあまりにも無関係な人が多いからだろう。人混みに紛れて逃げられることを懸念している可能性もある。敵ながら、賢い選択だ。
最も彼らの力ならば、港の封鎖もできなくはない。そうされないうちに早々に移動したことは、正解だったといえる。
「紋章旗はつけたか」
早速もらったそれの取り付けも、クロヒゲに指示していた。
「えぇ、しっかりと見やすい位置に」
それを聞いて、一安心する。指名手配犯をギルド船が乗せているなんてことになったら、インセートで混乱が起きる。波風を立てたくないイクシウスのことだ。これで、封鎖のような力押しの作戦には恐らく出てこないだろう。
「見えやすか」
甲板に出たレパードを迎えたのは、薄暗い闇夜の光景だ。ほかの町に比べればはるかに明かりの量は多いものの、空の向こう側はすっかりとその姿を暗闇に隠している。おまけに船内に長時間いたせいで、レパードの目は今、物を探すのに非常に向いていない。とはいえ、すぐに見つからないと諦めるわけにもいくまい。双眼鏡を貸してもらい、レパードは目を皿にして探した。
「……そう簡単には見つからないか」
薄闇に溶け込まれてしまえば、やはりこちらに勝ち目はないのだ。そう再び諦めて、切り上げようとしたところで、
「見つけやした!」
と同じように双眼鏡を覗いていたクロヒゲが声を挙げた。
「どこだ?」
相変わらず、クロヒゲは良い眼と勘を持っている。
クロヒゲの説明の通りに角度を合わせ、再び双眼鏡を覗いて、ようやくレパードは見つけるに至った。人一人乗ることもできないほどの小さな円盤が、不規則な弧を描いて飛んでいる。時折雲に紛れるために、レパードでは見つけられなかったのだ。
「無人の飛行艇一艇か」
レパードは、どうしてやろうかと考えを巡らす。相手は、機械だ。人が乗っていないのであれば、レパードの魔法で狂わすこともできる。だが、狂ったことに気付いたら当然イクシウスは警戒をするだろう。いざという時のために、わざと泳がせておく方がいいかもしれない。
「ほかっておく」
「いいんでやすか」
レパードの決断を確認するように、クロヒゲが問う。
「あぁ、しばらくは泳がせる」
「しばらく……といいやすと?」
レパードの言葉に違和感を持ったらしく、クロヒゲの質問は続いた。相変わらず、勘の優れた男だ。だから十二年もこの船の殆どを任せられる。
「インセートをすぐに発つつもりはないからな」
マドンナの依頼を受けた以上、いつかはシェイレスタへと発つことになる。依頼であるからには、物資の調達が済み次第速やかに発つのが理想だろう。
だが、今自分たちが港から離れることの危険性をレパードは察している。ギルドの紋章旗は大勢の他人が見ているからこそ、効果を発揮するのだ。ここがインセートでなかったら、――例えば、周りに島一つない大空の下であったなら――、魔物がギルド船を襲ったところで、誰も何も文句は言はない。その魔物が、銃を持ち、鎧を着こんだ兵士の姿をしていたところでだ。だからレパードは絶好の機会がくるまで、インセートに居続けることを決断する。
「とりあえず、その時が来るまでは、船員は全員警戒。単独行動は禁止。できれば三人以上で行動がいいな」
レパードの指示に、クロヒゲは了承の合図をとった。インセートでの滞在も、それはそれで危険があるのだ。紋章旗があったとしてもいつ彼らが襲ってくるかわからない。それに、個人で動いているところを抑えられる心配もあった。しかし複数人いれば、万が一襲われた時に何かしら対処ができる。だから、単独行動を禁止する指示が必要なのだ。加えて、数人以外は招集の命令も出しておく。
頷くクロヒゲを見つつも、船員たちは悲しむだろうと思った。警戒という以上、久しぶりの故郷で羽を伸ばすことができなくなる。故郷を前にして、セーレの中で缶詰状態になることが予想される以上、不満への対応が必要になるだろうと察せられた。
「しかしまぁ、とんでもないことに巻き込まれたもんでやすぜ」
これからの苦労を思ってか、クロヒゲがぽつんと感想を漏らした。
「もういっそ、殺したことにできやせんかね?」
ブライトのことを言っているのだとはすぐに分かった。ブライトが死んでいたら、彼らが襲ってくる理由はないのではないかとクロヒゲは言いたいのだ。言い分はわかる。だがーー、
「魔術書がでてくるまで、向こうは安心しなさそうだがな」
「確かに、念には念を入れてきそうだ」
クロヒゲもそれには納得する。
どのみち、マドンナはカルタータのことを話していた。再燃しているというのならば、この機会にセーレ自体も狙われる可能性もあるかと諦める。『龍』が今更なんだか知らないが、全く迷惑なことだった。




