その1010 『困惑』
イユはブライトの手錠に気付くと、指で突くような動きで簡単にそれを外してみせる。リュイスとレパードも、イユの隣に下り立った。すぐにリュイスの肩に手を回したイユは、指で合図してみせる。リュイスとレパードの背にはロープが括りついていた。翼の力も加えて飛び立つ二人を見送ると、レパードが肩を示す。
「早くしろ。時間がない」
「いやいや、理解できてないんですけれど!」
「長居すると、お前の弟が危険に晒されるぞ」
反論は、レパードの脅しでやめた。答えを与えられたのもある。確かにイユも言っていた。ワイズの名前を出していた。
――――ワイズが助けようとして、イユたちに依頼した?
ありえないわけではない。イユの暗示は、ワイズに解いてもらう必要があった。だから、ワイズがイユたちに頼む機会は十分にある。
けれど、イユたちにはリスクしかないのだ。こうして人前に姿を晒してしまっては、イユたちは本格的に世界を敵に回してしまう。そこまでのリスクを背負う価値は当然ない。
だからこそ、思考が理解を拒む。
ロープと翼の力で空に上がりながら、眼下の様子を見つめる。思考の間にも映るのは、同じようにぽかんとした顔をする聴衆たちだ。騎士団だけが大急ぎで声を張り上げ、銃を使おうとしている。
けれど、明らかに動きが悪い。作為的なものは感じた。
騎士団の動きの要因にはエドワードが絡むのだろうと感じたからこそ、納得がいかない。この先、不利だからだ。ブライトを取り逃がしたら、責任はシェイレスタにいく。それが分からないエドワードではないはずだ。
にも関わらず、エドワードが折れるとしたら原因は一人しかいない。
泣きたくなった。ブライトは彼に死を与えようとしたのに、何が何でも生かそうとする執念を感じたからだ。
下り立ったそこは、見知らぬ飛行船だった。
「セーレじゃ、ない……?」
「セーレは燃えた。この船はタラサだ」
隣のレパードの声に、それもそうかと納得する。セーレが無事のはずがないのだ。そしてそれだけのことがあっても、セーレにいたはずの船員たちの顔触れが変わっていないことに気がついた。甲板に数名出てきているのである。ロープを引っ張る役だったのであろう、肩で息をついたクルトとレンド、ミスタがいる。ブライトを見つけて、ちらりと視線を外された。
当然の反応を見て、むしろ安心した。それから、あっと声を上げる。船内に入る扉から、まさかこの場にいるはずのない人物が出てきたからだ。
「まさか、刹那まで乗っているなんてね」
刹那はブライトを見つけると、こくんと頷く。
「できることをする、それが贖罪」
ある種確信を持って告げられた言葉に、ブライトは何も言えなくなる。何よりも、刹那からは強い意思を感じたのだ。
「さて、ここからだな。お前ら気を引き締めろよ」
レパードが船員たちに声をかけるので、ブライトは慌てた。このままだと、レパードたちは残さず世界的な指名手配犯だ。戻るならば、今のうちなのである。
「いや、その、分かってる? 今、あたしを助けたことで世界中を敵に回したよ? 一応聞くけれど、イクシウスとかシェパングの指示で動いたわけじゃないんだよね?」
後者の可能性は今となっては低いとみていた。エドワードの黙認があるからだ。だが、確認しないと落ち着かないのも事実だ。
「お前の弟に感謝しろよ。それか、ことを起こした『白亜の仮面』の連中か?」
仮面と聞いて、暗殺者の一人の顔が浮かぶ。セーレで襲われ、自滅した相手だ。無関係と思えず大変気になったが、それよりも前者だ。
「ねぇ。……ワイズがもしかして、この船にいるの?」
それはさすがにないと思いたかった。いくら何でも無謀が過ぎる。けれど、はじめにレパードは、ワイズに危険が及ぶと警告した。それはワイズがどこか安全な場所で指示だけ飛ばして安穏としている状況にいるのではないと言うことだ。たとえば、もしタラサに乗っていたら、間違いなく危険が及ぶ範囲だろう。
「お前のせいで死にかけた仲間を治療しようとして、今医務室で血を吐いて倒れているところだ」
しかも告げられた言葉に、頭の中が真っ白になった。ここまでくると、状況は見えてはきた。ワイズが治療と引き換えにブライトを助けるように指示を出したのだとしたら、レパードならば確かに乗る可能性が高い。そして、ワイズがそのせいで倒れたとしたら、それは紛れもなくブライトのせいだ。ブライトが掛けた魔術が、ワイズの命を今も蝕んでいる。魔術の使いすぎで身体に負担を溜め込んで、血まで吐いているのだとしたら、見捨ててはおけない。
「……ごめん、無茶を承知で我儘言わせて。会わせてほしい」
ブライトの懇願に、レパードは悩まなかった。
「イユ、こいつは任せる。俺は敵を見てくる」
レパードからこいつと言われたブライトは、内心驚きを隠せない。レパードがイユを頼りにしているように見えたからだ。それは以前にはなかった光景である。
「えぇ、早いところ医務室に連れて行くわ」
イユに首だけで来るようにと促される。リュイスも同行するのは前と変わらずのようで、そこには安心感があった。




