その101 『学びのバーガー』
「このあとは、どうするの?」
買ってもらった絵本を抱えて、店外へと出る。
「セーレに戻って早速読む?」
すぐにでも読みたい気持ちを抑えられずに、そうミンドールたちに尋ねる。二人には、ちょっと困ったような顔を向けられた。
「気持ちはわかるけれど、腹の足しになるようなものは買っておこうか。お腹もすいただろう?」
「折角ですから、名物を食べたいですよね」
食べ物と聞いて、すぐに頷いた。名物という響きも気になる。
「名物って?」
「ソーセージにキャンディに、ポップコーンなんていろいろあるけれど、やっぱりちゃんと食べるならハンバーガーかな」
全部食べてみたい気もしたが、勝手がわかっていないのも事実だ。次のリュイスの言葉もあり、大人しく頷く。
「賛成です。このあたりに有名店があったはずです」
そうして訪れたのが、ハンバーガーショップだ。
イユは初め、この店をギルドの建物と同じだと勘違いした。建物の上方に、魔法石がハンバーガーの形を作ってきらきらと光っていたから、カジノとどことなく同じ雰囲気に感じられたのだ。しかし、実のところはギルドとは無関係の店だった。
実際、中に入ってみるとギルドに比べて随分こじんまりとした店内に出迎えられた。とはいえその狭さが逆に、パンの香ばしい香りと肉の焦げる匂いを満たして、イユの鼻腔を絶えずくすぐってくる。
「じゃあ、ハンバーガーを三つ頼むよ」
ミンドールの注文を聞きながら、つぶさに周囲を観察する。カウンターの先で数人の店員が、注文を受けてハンバーガーを作っているようだ。どの店員も赤い帽子を被っていて、特徴的だった。カウンターとは反対側にテーブル席が用意されている。そこは広々としているにも関わらず、殆どの席が埋まっている。家族連れが多いらしい。兎の耳の帽子を被った子供が嬉しそうにパンを頬張っているのが目を引いた。名物と言っていただけあって、確かに美味しそうだ。
「ハンバーガー、お待たせしました」
店員から手渡された袋を抱えると、早速空いていた椅子に座る。皆に配る時間も惜しまれるほどに、袋を開けてみたくて仕方がない。
欲求に負け慣れない手つきで開けると、茶褐色の丸みのあるパンが姿を現す。
まずは一口と、かぶりついた。
途端に、カリッとしたパンの感触に合わせて口の中に肉汁が広がった。その後にくるトマトの瑞々しさが抜群の相性でイユに訴えかけてくる。
「美味しいわ、これ!」
最近これしか言っていない気がするが、美味しいものは仕方がない。
「ハンバーガーっていうの? パンに肉をはさめばいいのね」
これならば自分でもできそうだと眺めながら、また一口。そうしてから、袋を抱え込んだままなのに気が付き、二人に配る。
「そこまで喜んでもらえると、買った甲斐があるね」
そう嬉しそうにするミンドールが手に取ったハンバーガーには白いものが入っていた。
聞けば、チーズが入っているのだという。様々な具材を入れてよいようだと理解した。
「果物を入れてもおいしいかしら」
頭の中で、果物を入れたハンバーガーを想像する。中々いけそうな気がする。
「僕の分まで、ありがとうございます」
律儀に礼をいうリュイスが食べているのは、イユが食べているものより分厚いような気がする。じっと見つめるイユの視線に気づいたのか、少し気まずそうな顔をされた。
「構わないよ。僕の方が年上だから、これぐらいはね」
ミンドールの返しにふと疑問が沸く。
「お金は年上が出すものなの?」
二人には一瞬呆けた顔をされた。その反応がよくわからない。
「そうだよ。だから遠慮しなくてもいい」
イユ自身、遠慮しているつもりは毛頭ない。しかし、これまでの話から気にかかることがある。
「リュイス、まさか私より年上だと思っているわけ?」
そこは譲れないイユだった。
「え、え……?」
想像していなかったのだろう、リュイスが驚いた顔をする。
「だめよ。私もお金を出すわ」
このままではずっと年下扱いされてしまうと、焦った。何せ、先ほどの本も、イニシアでのペンダントも全てリュイスが払っているのだ。イユからは何もしたことがない。それから、お金が生きるための『手段』だということを思い出し、ずっと助けられていたのだと気がつく。たまらず、自身を諫めた。そうしてから、さらにもう一つ知らないことがあるのに気が付く。
「お金ってどこで貯めるの? ギルド? ポーカー? それとも奪……」
イユの言葉に慌てたように、ミンドールに声をあげられた。
「ポーカーは、賭け事だからやめよう! 元金もないわけだし、いいね?」
「じゃあ、奪っ……」
「ええっと、ギルドが一番いい。ギルドで仕事をするんだ」
リュイスも少し慌てたようだ。ジュースを飲もうとしてむせていた。
「それなら、ギルドに行きましょう」
いてもたってもいられないイユに、ミンドールが落ち着いてと声をかける。
「いきなりギルドの仕事といっても、体裁がわからないだろう。まずは練習しよう」
「練習?」
ミンドールは頷く。
「そう。まずはギルドの代わりに僕が依頼を出す。それをこなしておいで」
いきなり仕事をするといっても確かに右も左もわからないのでは敷居が高い。ミンドールならば勝手がわかるので良い練習になるというわけだと納得した。
意気込むと、二人にはなぜかほっとした顔をされる。
「それでは、僕からの依頼。セーレの機関部員たちに夕食を持って行ってほしい」
機関部員と聞き、はっとする。ミンドールはいろいろと考えてくれているらしいと気がついたからだ。練習できるうえ、今まで接点のなかった人たちとの交流機会も持てるとはまさに一石二鳥である。
「食べ物は僕が用意する。冷めないうちに全員に持っていくこと。できるね?」
イユは大きく頷いた。
両手に紙袋をこさえて、イユは二人を急かす。遅い二人を待ちきれず、先に階段を駆け上がった。
「ほら、あまり急ぐと食べ物がぐちゃぐちゃになってしまうよ」
注意されて、慌てて袋の様子を確かめる。
「……冷めないのが条件でしょう?」
反論すると、ミンドールは首を横に振る。
「もちろん。だがたとえ温かくても、中身が崩れていたら仕事は失敗だ」
食べたくないだろう? と訊かれる。
店員からハンバーガーを渡されたときを思い出し、そうかもしれないとイユは納得した。当然、どのようなものでも食べられたら嬉しいに越したことはないが、折角届けるならば店で提供されたそのままの感動で渡したい。
念入りに形が崩れていないことを確認し、ほっとする。様子は正直外からみただけではあまりよくわからないが、少なくとも大惨事にはなっていない。
崩さない程度に急ぎながら港へと駆ける。人の数が行きに比べると少ないのは、インセートの街中に人の波が移動したせいだろう。だから、すぐに見つけられる自信があった。駆け上がり、セーレの姿を探す。
「リュイス、セーレはどこ?」
ところが、そこにあったはずの船がない。初めは停泊した位置を間違えたかと思った。だから、周辺に泊めてある船をくまなく確認した。しかし、一向に見つからない。セーレ一隻だけがそこから忽然と掻き消えてしまったかのようだ。
夜の闇に随って、イユの足元からじわじわと不安が立ち上ってきた。
「……移動させたようですね」
リュイスの声が少し緊張を帯びていた。ミンドールも僅かに険しい顔をする。
「おーい、イユ! リュイス!」
突如聞こえてきた叫び声の主を探せば、先ほどまで自分たちがいた方面からリーサとクルトが歩いてきた。彼女らも両手に紙袋をこさえている。行きに言っていた日用品の類だろう。
「よかった、サーカスの前に会えて。念のため、早めに出ることを伝えたかったの」
「ん、でも何かおかしいよ。セーレ、ないの?」
クルトの問いで、リーサも異変に気づく。
「何かあったようだね。そうなると、目立つのはまずい。一度港から離れよう」
ミンドールの提案に一同が頷く。
歩きながらも、イユは内心気が気でなかった。
「ねぇ、大丈夫なの?」
リュイスに聞くと、彼は頷き返した。
「はい。何かあったのは間違いありませんが、恐らくギルドに伝言が残してあるはずです」
何かあったとき、ギルドがあればそこに言づけておくのがセーレの流儀なのだという。ちなみに、その街にギルドがなければ鳥を使うらしい。それを聞いて、少しは不安が消え去った。何より、ここにはリュイスもリーサもいるのだ。イユのことが嫌になって、置いて行かれたわけではないはずだと自身に言い聞かせる。
「困ったわ。荷物を持ったまま、サーカスには行きたくなかったのだけれど」
リーサは別の心配をしているようだ。振り仰げば、彼女の不思議そうな目と目が合った。
「イユのその紙袋は? 何か買ったの」
「ミンドールからの依頼。機関部員にご飯を持っていくって」
それを聞いて、嬉しそうな声をあげる。
「ミンドール、さすがだわ! 気が利くのね」
褒められたミンドールは、笑みを浮かべただけで済ましているが、満更でもなさそうだ。
「どうして?」
イユの質問に、リーサは説明し始める。
「機関部員の大半って、皆ご飯を食べるのを忘れるぐらい熱中しちゃうのよ。だから、時々差し入れをもっていかないといけないの」
紙袋を覗いて、数を数え上げる。問題児分の人数はいたらしい。
「しかも、完璧ね!」
と手を合わせて喜んでいる。
「……けれど、依頼はこなせそうにないわ」
紙袋を持ち上げてみせるイユに、リーサは不思議そうな顔をした。
「どうして? 大丈夫よ? ギルドにいけば何か伝言があるはず」
だが伝言だけでは、対処できないこともある。
「……冷めてきちゃったの」
冷めずに持っていくというのが依頼だ。こればかりは叶えられそうになかった。
「いいんだよ。今回は事情が事情なんだから」
ミンドールがフォローを入れる。
そうは言われても、完璧にこなせないのが悲しい気もした。
「大丈夫よ。まだ冷めきっていないし。これを使ってみて」
リーサがポケットから取り出したのは小ぶりの石だった。
「火の魔法石?」
リュイスが洞窟で使っていた石を思い出す。あの時と違い、薄い桃色をしている。
「そこまで強力な魔法石ではないけれど。イクシウスが寒いと聞いて用意していたの」
余ったからお金に換えるために持ってきたのだとリーサが説明する。
「これ以上はいらないって言われて買い取ってもらえなかったのだけれど、ちょうどよかったわ。ほら、袋を貸して」
そう言って、リーサは意識を集中させて魔法石の力を開放すると、袋の中にその石を入れた。
「リーサ、すごいわ」
温かさが、袋越しに伝わってくる。この魔法石には温かい熱を発生させる力が閉じ込められていたのだ。急いで届ける以外にはないと思い込んでいたイユとしては、とても驚きだった。
「ふふ。それじゃあ、ギルドに行きましょう」
ウィンクすらしてみせたリーサが、とても博識な少女に映った。




