その1008 『処刑台』
「時間です」
刻限を知らせる声がする。覚束ない足取りで立ち上がったブライトは、牢が開くのを待った。
牢の先で、ガインの長身が見える。
「処刑台までの付き添いは一人なんだね」
ハッと、ガインに息を吐かれた。
「相変わらず、死を目前にしてもその態度は変わらないことで」
そうして首だけで道を示されて、ブライトは歩き始める。久しぶりに歩いたから、足が重かった。処刑を前に素足なのもあって、地面を歩く感覚はない。もう幽霊になってしまった気分を味わいながら、淡々と狭い通路を歩く。
そうしていると、気配を感じた。疑いようもない殺気だ。ちらりと視線をやると、牢の向こう側に自身と同じような囚人がいた。ブライトより明らかに待遇が悪いと見え、その衣類はぼろぼろだ。死を前にしても『魔術師』として一定の待遇は与えられていたのだと思うと、複雑な気持ちになった。
きっと、ブライトほどの大罪を犯した者はこの世界にいない。けれど世の中は理不尽の塊なので、こういう事が起きるのだ。
囚人たちを素通りし進んでいけば、今度は騎士団らしき男たちの前を通り過ぎる。彼らに向けられる視線は、はっきりとした憎悪だ。
「お前たち、来るなといったはずだ」
ガインに声を掛けられて、男たちは互いに顔を見合わせる。
「しかし……」
不満そうな視線だが、立場はガインのほうが上なのだろう。反対はしない様子である。
「こいつは神経を逆なでさせる天才だ。近づくな」
あんまりなガインの言葉に、ブライトは察した。彼らは、ブライトのせいで亡くなった身内を持つ者たちなのだろう。レイドの記憶では出てこなかったと思うが、ひょっとしたらブライトが覗けなかっただけでレイドの友人の可能性もある。
「こんにちは!」
明るく挨拶したら睨まれたので、まず恨まれていることは間違いない。
ほれみろと言わんばかりのガインの表情が目に浮かんだところで、ブライトは彼らを無視して進み始める。
どのような感情を抱かれたとして、彼らは騎士団の一員だ。命令には忠実なはずである。
異なるのは、そこから外れたものだ。
通路を抜けた先、眩しいばかりの光を浴びる。そして、飛んできた何かに頭を打たれた。
「痛っ」
頭を抱えたいところだが、手錠のされた手ではそうもいかない。代わりに何がぶつかったのかと、落ちたそれに視線をやった。
――――落ちていたのは、小石だ。醜く汚れた灰のような色をしていた。
視覚からの情報を認識すると同時、頭からゆっくりと血が滴っていくのを感じる。
「犯罪者め!」
そして、叫び声が耳に届いた。あっと声を上げたくなる。見上げたそこは、確かに処刑場だった。目の前の長々と続く階段の先に処刑台が見えるのだ。
だが、その周りは観客席になっている。そこに驚くほど多くの人間がいた。ブライトという見世物を取り巻く観客たちのようで、人の波に処刑場が埋め尽くされている。騎士団が制止に入っている様子から、彼らのうちの一人が石を投げたのだとは気がついた。そして、彼らの殆どが叫んでいる。
「「シェイレスタの恥晒し!」」
ひゅんひゅんと、何かが近くを何度も通り過ぎて、地面を弾いた。小石だけでなく、ゴミの類も混じっている。
叫びは収まらない。曇天の空なのに、どこか眩しくて仕方がないそこから、轟くように響き渡る。ブライトを憎む怨嗟の声が止まない。
「早く上がってこい!」
後ろから小突かれて、振り返る。ガインが首だけで処刑台を登れと示した。ガインともここでお別れなのだ。
前に向き直ったブライトは、一歩一歩を進む。その間にも、投げられたゴミがブライトの肌を掠めた。大きめの石がぶつかって、たたらを踏む。
そうして数段を進んだところで、急に静寂が満ちた。
何事かと思ったところで、声が轟く。
「ブライト・アイリオールよ」
それは、紛れもないエドワードの声だった。観客席の周囲に明らかに誰もいない空間がある。様子はブライトからは見えないが、恐らくそこにエドワードが座っている。
「そなたは本来、貴族として国に仕え、民の安寧を守るべき身であった。にもかかわらず、私利私欲のもと、密かに己にとっての障害を排し、他国より貴重なる文献を盗み出して喪失させ、さらには港を焼き払い、多くの無辜の民を死に追いやった。そなたの犯した罪は、いずれ一つを取っても死に値する。よって余は、そなたを絞首刑とする」
エドワードの宣言とともに、再び叫び声が響き渡る。それを聞きながらも、
――――なんて、堂々とした声であろう。
と感想を抱いた。その声の裏側の感情など微塵も感じられない。ブライトへの怒りや不満は全て演技に変換されているようである。
エドワードの成長ぶりに、改めて感嘆した。世界が滅びの道を辿ろうとも、エドワードならば太刀打ちできると信じたくなった。
再び、喧騒が止む。それに合わせて、エドワードが告げた。
「なお、最後に問おう。それでも己を『魔術師」と称するのであれば、その誇りに殉じ、己の足で処刑台へ進むがよい」
――一歩。そして、もう一歩。
進まないという手はなかった。託すなど、都合の良い言い訳でしかないとは分かっている。それに、ブライトがどれほど未熟な存在なのかも痛いほど分かっている。
けれど、これ以外に選択肢がないことも痛いほど知っていた。
血のせいで滲んだ視界で、一段を確実に上がる。処刑台が近づくにつれ、叫び声が再び聞こえ始める。
「「シェイレスタの恥晒し!」」
「「アイリオールの魔女!」」
「「死をもって贖え!」」
世界が、ブライトの死を待っている。




