その1005 『アクマデ』
「あなたは、あたしをどこに亡命させようとしているの?」
分かっていて、聞いた。この言葉だけは言わないといけなかった。けれど、その声は想像以上に、掠れていた。
「シェパングですよ」
シェパングの密偵。その正体がほぼ確定したようなものだ。
「あなたは、誰の指示であたしたちにこんなことをしたの」
聞きすぎたのか、エルドナは人差し指を自身に向けて小首を傾げる。
「誰の? 私の好き勝手に動いているだけですよ。たとえばフィオナ様。あの人は私の夫を殺したんです。だから当然報いを受けるべきって思っていました。それから……」
想像通りのことが起きていたらしいと答え合わせをするブライトを前に、エルドナは続ける。
「ブライト様がはじめて人を殺めたときの、家庭教師さん。あの人、なんて名前でしたっけ? あの人は、ブライト様への試練として必要だろうなと思って提案しました。そうそう、屋敷の地図も私が鳥になって用意したんですよ。外窓から一部屋ずつ様子を窺って地図を埋めたんです。頑張ったと思いませんか?」
何故そこで褒めてほしそうな顔をするのかはよく理解ができない。それに、聞きたい内容はそこではない。
「エルドナは、自分の力が重宝されるといったよね? それは一体誰に?」
「私の夫です」
さらりと答えが返ってきた。
「ジュリウス家は、ひょっとして全員がシェパングの密偵として動いているってことなのかな?」
エルドナはにこやかに首を横に振る。
「まさかまさか。夫だけです。夫は、強い者に憧れを持つ人でした。私にもその気持ちは分かります。むしろ私は影響されたんだと思います。私も強くて優しい女性が好きなので、そんな女性の頑張っているところを見たいんです」
再び怒りがよみがえってきそうだったので、敢えて後半の発言は無視した。それよりも大事なのは、前半だ。
「強い者……?」
エルドナは隠さなかった。ブライト相手には嘘をつきたくないという顔をしているのが、何とも複雑であった。
「はい。抗輝様です」
確定した。言質はとった。
「そう、残念だよ。本当の魔女はあなただったんだね、エルドナ」
「ブライト様?」
ブライトは立ち上がると、牢越しにエルドナの腕を掴んだ。勢いで手錠をしている肌が擦り切れようとも、その手だけは離すつもりがなかった。何故ならそれが合図だからだ。
ガチャガチャと激しい鎧の足音が聞こえ、瞬く間に兵士たちがエルドナを取り囲む。先頭にいたのはガインだ。エルドナが息を呑む前に、その喉に剣先が伸びた。
「鳥に再びなられると困るのでね」
エルドナが逃げようと腕を引っ込めようとしたのは、予想通りの動きだ。ブライトが決して離さなかったことで、エルドナのその腕にも手錠がかかる。鳥は魔術でできたものなので法陣を描かれない限り逃げられないが、異能は別だ。何よりも心に干渉する異能を封じる錠が必要であった。
「ブライト様、本当によろしいのですか?」
エルドナは信じられないものを見る目でブライトを見つめる。
「このままではあなたは死んでしまうんですよ!」
「亡命先が抗輝のところじゃ、結局命はないようなものだよ」
エルドナは頬を紅潮させて叫んだ。
「そんなことありません! 抗輝様は強い者の味方ですから、ブライト様は助けていただけます!」
強い者には困難を与えたがる女の意見にしては、随分甘いことだと苦々しく感じた。
「心は無事じゃないよね」
「大丈夫です! そうなったときは私が異能で守りますから!」
全くおかしなことにブライトを助けたいという思いだけは、実際にあるようだ。だからこそ、冷めた目で彼女を見つめてしまう。
「よくあたしのお母様を操っておいてそんな言葉が出るよね?」
本気で信じられない。信じられるはずがない。
「そんなこと……」
不意に悲しそうに顔を伏せられた。と思うと、エルドナは再び顔を上げる。
「ひょっとして、私のせいで家族関係が壊れたと思っていますか?」
上目遣いなその目は、悪意など微塵も感じさせない澄んだ色をしている。
「ブライト様はご賢明なので存じ上げているはずです。ベルガモット様とヘイゼル様の仲については」
温度差が酷かった。
つまるところ、こう言いたいのだろう。エルドナの介入に、父と母の間柄は影響されない。ワイズという弟がいることも、父が母を母ほどに愛していないことも、何も変わらないのだ。ついでにいえば、抗輝ではなく克望と繋がっていた母のその選択も、エルドナの意思とは別物だろう。
「そうだね。そこは覆らないよ」
どこか暗い気持ちで返せば、エルドナは逆に嬉しそうに微笑む。
「それでこそ、ブライト様です。とっても賢明でいられる。だからこそ、こんなところで終わらずに、もっと輝いて欲しいんです」
全てをエルドナのせいにできるほど、ことは簡単ではない。それを聡明だと讃え、好意をぶつけてくるエルドナに、目眩がした。この好意がブライトの人生に大きく干渉したのだと思うと、何も言葉にできなくなった。
「言いたいことはそれで十分でしょう。連行します」
「待ってください。ブライト様! 私は最後まで信じていますから。是非生きてください!」
ガインに連れ出されるエルドナを見送ると、複雑以外の感情が湧いてこなかった。
「本当、あたしの人生って、なんだったんだろうなって」
思わず溢れた言葉だ。そこに、返事はないものだと思っていた。
「まさに、そのとおりですわね」
強気な口調に、これまた聞き覚えのある声。それを受けてブライトは目を剥く。
まさか、ここに挨拶に来るとは思わなかったからだ。




