その1003 『アナタコソ』
成人を迎えたブライトよりずっと低い身長と、人目を惹きつける空色の瞳からは、年上とは到底思えないあどけなさが垣間見える。一方で、カールの掛かった豊かな金髪に白磁のような肌、落ち着いた香水の香り、清楚な出で立ちからは気品が漂っていた。
ブライトはその女の名を呼ぶ。
「エルドナ・ジュリウス」
頬を紅潮させた女は、さぞ嬉しそうに
「はい!」
とソプラノの声で返事をした。
一方のブライトの声は冷ややかにならざるをえない。
「そう。やっぱり、あなただったんだね」
どこか確信めいた声で、そう返した。
「あなたは、魔術で鳥になれるんだ」
はにかむエルドナは、まるでおとぎ話にでも出てくる天女のようである。
「はい。鳥になったり鳥を生み出したりするのは、私の魔術です。あっ、でもでも、ブライト様には到底及びません……! 私にできるのは……」
エルドナのその言葉を引き取ってブライトは答えた。
「鳥に関わる魔術と、人の心を操る異能の二つってところかな?」
これでエルドナの表情が暗くなるならまだ良かった。自身が『異能者』とばらされても、エルドナはむしろ顔をぱあっと輝かせて言うのだ。
「凄いです! 私のことをそこまで知っていただけているなんて、感激です!」
それぞれの手を絡ませて胸元に持っていくエルドナは、まるで祈りを捧げているかのようである。
「さぁ、ブライト様、逃げましょう! ベルガモット様も連れて、亡命するんです。このままでは殺されてしまいますから」
確かにこのままでは殺されるだろう。だが、言葉通りに受け取ることはできなかった。
「なんであたしが異能を当てられたか、聞かないんだね」
ことんと首を傾けて、今思い至ったような顔をされる。
「そうですね。いつから、ご存知でしたか」
「最初からと言いたいところだけど、正直確信に至ったのは最近だよ」
むしろ、はじめから気付くべきであった。
「ずっとおかしいとは思っていたんだ。お母様はお父様を亡くされたとき、突然人が変わったようになった。はじめは悲しみの深さのせいだと思ったんだけど、それにしては……ってね」
かつて、イユにも伝えたことがある。暗示の見分け方だ。ある日突然とあるものを『好き』だと言っていた人が、『嫌い』だと言い出したら誰でもおかしいと気づくものだと。
実際、ミヤンもそうだった。ブライトとの食事でにこやかに話していたミヤンは、ブライトが掛けた魔術により、人が変わったように大人しくなった。
同じだ。母も父の死を境に劇的に変わった。
だから、母が誰かに魔術を掛けられたのではと疑い、自分なりに調べていたのだ。
とはいえ順調とはいえなかった。ブライト自身が魔術を掛けられていて、自由に思考できるとは言えない状態だった。全ては母のためと思いながら、慎重に情報を集めた。特に、ブライトの記憶が母を通して犯人に伝わる可能性があったから中々思うように進まなかった。
それに、何よりもし母に魔術が掛けられていれば分かったはずなのだ。
「魔術なら痕跡が残るよね。あたしの力不足で分からないだけかとも思ったんだけれど」
あるはずの痕跡が、全くなかった。それが難航の原因だ。
「そんな力不足だなんて! ブライト様はいつも優秀です!」
思いもよらぬ反論にあって、反目する。本当にエルドナは、ブライトを信奉しているようであった。
「……とにかく、痕跡が見つからないなら異能だと思った。それで、はじめは別の人物を疑ったんだよ」
エルドナも知っていたようで、こくんと頷いた。
「グレイス家のヴァール様ですね。特別区域を管理しておられますから」
「そのとおり」
だからヴァールと接触を図って、その真意を探ろうとした。その結果、ヴァールはシロだと判断したのだ。
「ヴァールはむしろお父様が亡くなってカタラタのことで苦心していたし、犯人とは思えなかったんだよね。むしろヴァールが『異能者』を売っていることが分かったせいで、容疑者が増えることになった」
そこからが苦戦した。ヴァールの話から危険な力を使う『異能者』は売っていないことが分かったので、疑い先は限られた。恐らくは、ヴァールではなくカタラタが『異能者』を横流ししている可能性が高いと予測を立てたわけだ。
「けれど、そこでフィオナの暗殺を依頼された」
フィオナが対象者になったことで、最も強力な『異能者』を保有しているはずの家が、カタラタが横流ししているはずの相手が、容疑者から外れた。
そこでもしかしたら、と思ったのだ。特別区域に『魔術師』が『異能者』の中で紛れて働かされていたように、その逆もあるかもしれないと気がついた。
克望のパターンがあったから、より確信した。『魔術師』の世界の中に、『異能者』が紛れ込んでいる可能性があると。
「そして、エルドナ。あなたから手紙が届いた。旦那さんが、亡くなったって」
――――ご返事が遅くなりすみません。また、ご心配をお掛けしました。夫があんなことになってしまいましたが、私自身は問題なくやっております。親戚の方がとても優しくて、私のことを家に置いていただけるというのです。それより、ブライト様のほうがご心配です。ご友人を立て続けに亡くされたとか。とても胸が痛いです。シーリア様が行われたことは恐ろしいけれど、そのシーリア様も亡くなられたと聞きました。胸中複雑でしょうが、どうぞ気を強く持ってください。親愛なる友より。
親愛なる友。そう心の中で繰り返して、気分が悪くなった。更に、エルドナは神妙な顔をして同意するのだ。
「はい。本当に無念でなりません……」
「その旦那さんは、フィオナかヨルダ、とにかくシャイラス家に殺されたんじゃないの? だから、お母様があたしに指示を出した」
エルドナは優しく微笑んだ。
「当てずっぽうなところも多いのでしょうが、ブライト様のその推察力には本当に脱帽します」
背筋が寒くなった。彼女は、一切の否定をしないのだ。




