その1002 『アナタガ』
「ブライト様……!」
いつの間にかうつらうつらしてしまったらしい。聞き覚えのある声に目が覚めた。
「まぁ、なんてお労しいお姿で……」
「その声……」
顔を上げたそこに、見覚えのある女がいた。
「ミラベル。ミラベル・レインフィート……」
その名を告げた途端、目の前にいた青い髪の令嬢の表情がぱっと輝いた。眼鏡越しに覗く知的な瞳が、牢にいるせいでぼろぼろになったブライトを捉えている。
「そうです。私です……!」
「……どうしてここに?」
ミラベルはブライトの手を握らんとばかりに、牢へと近づく。
「会いに来たに決まっています! ブライト様は私たちの光なんです。それなのに、指名手配犯で処刑など……、何かの間違いに決まっています」
ミラベルは本当にブライトのことを心配していたのだろう。やりきれなさと悔しさをその相貌に浮かべている。
「ここに来られたのは私だけですが、イリエ様もあなたのことをご心配していました」
イリエと言われて、赤髪をツインテールにした令嬢の姿が思い浮かんだ。よくミミルのお茶会で一緒にいたアドローナ家の令嬢だ。第一市民からの成り上がりを両親に持つという珍しい立場だったがゆえに、指名手配犯に会いに来られるほどの権限はなかったのだろう。
「それにしても、あんまりです。まさか、裁判所で初めて満場一致で処刑の判断が下されるのが、ブライト様になるなんて……」
ミラベルは以前、ブライトを裁判所に連れ出したことがあった。あのとき、過去一度も処刑という判決が取られることはなく、代わりに『神に聞く』という名の賭博に使い方法を用いることで判決を行うと学んだ。その無責任なやりかたをほかでもないミラベルこそが忌避し、ブライトに変えてほしいと望みを託していたのである。
結果として、望みはブライトの処刑が決まったことで叶ったことにはなる。
だが、ミラベルとしては納得いかない様子だ。
ブライトはエドワードに言われたことを思い出し、敬語は捨てて答えた。
「良いんだよ」
つまるところ、ブライトについていたと思われた味方は、世界的な指名手配犯という肩書きの前では力にならないということらしい。皆がワイズにつくことにしたのなら、これほど楽なこともないと呑気に考える。
「良くないです! こんなの……、正しいとは思えません」
ミラベルは拳を震わせて、顔を赤くしている。その姿に、思わず告げた。
「気に食わないなら、ミラベルが、あなたが、自分で変えて」
ミラベルが目を瞬かせる。
「あたしにはもう時間がないからさ。自分の望みは自分で叶えてくれないかな」
「そんなこと、言わないでください……! 何か、まだ手が」
ブライトは首を横に振った。
「あたしがもし生き残ったとしても、だよ。ミラベルにやりたいことがあるなら、ミラベルに頑張ってほしいって思う」
「……ですが、私にはそんな権力も、立場もないんです」
女の身だからとミラベルは呟くが、それこそブライトも同じである。
「そんなものはあたしも持っていないよ。ただ、やってきたトラブルを打ち返していただけ。忙しさのなかで、自分を見失わないように気を付けていただけ。ううん、気を付けていたつもりになっていただけで、実際は流されていたかな。……思い返すとあたしは、セラたち、頼りになる皆に支えられていただけだよ」
それなのに自分は天才などと思いあがっていたのだ。そう言葉に出そうとして、それだけは心の中に留めた。ミラベル相手でも、隠さなくてはいけない。奈落の海にまでこの事実だけは持って行かないといけないからだ。
「ブライト様。やっぱりあなたは凄い人だと思います」
「あたしからみたら、ミラベルも凄い人だよ」
そう返すと、ミラベルは眼鏡をはずして、ハンカチで目元を拭った。
「すみません。心配をしにきたはずなのに、なんだか私のほうが背中を押されてしまった感じがして……」
「良いんだよ。最期ぐらい、偉そうにさせて」
敬語も取っ払って好き勝手言えるのは、今だけだ。ブライトの立場だと常に偉かったと思うが、いつもどこか窮屈だった。相手のことを疑ってばかりで、好きなことを言えなかったからだ。それぐらいのわがままはさせてほしかった。
「分かりました。私、ブライト様の分まで頑張って……、辛かったら仲間を頼ります」
「そうしてよ。エドワード国王も、親身になってくれると思うからさ」
ミラベルは頭を下げて、去っていく。その目は赤く腫れたままだったが、最期に話せてよかったと感じた。
「まさか貴方のことをあれほど慕われる方がいるとは存じませんでしたよ」
折角偉そうなことを言ったのだから黙っていてくれればよいのに、そうやって間に入ってきたのは門番の男だった。正しくは王家直属の騎士団の一人だ。
「あたしのためにわざわざ騎士団を付けなくてもいいのに。贅沢な待遇だよね」
「……私相手にも敬語はなしですか。もう諦められたと考えても?」
ちらりと視線をやられて、ブライトは肩を竦める。
「諦めるも何も。最期ぐらい肩肘張るのはやめようかなと思ったってところかな。ガインこそ、敬語やめたら? 騎士団は『魔術師』とは勝手が違うんだもん。恨んでいるあたしに本当は敬語なんて使いたくないでしょ」
ガインは、ぴくりと肩を強張らせた。
「恨まれることをした自覚がおありで……?」
「レイドの件で恨まれている予想は立っているってところかな」
ガインの顔色が変わっていくのをブライトはのんびりと観察する。
「……実際どうなんだ、お前の周りでいつも人が死ぬのは」
敬語が取っ払われたので、次は感情かなと予想を立てる。
「さぁ、どうなんだろうね」
「おい!」
「あたしだってわからないよ。何か憑いているのかも?」
残念なことに、その発言がいけなかったのか逆にガインは落ち着きを取り戻した様子をみせた。
「あなたの口車に乗って、あなたを斬るようなことはしません。挑発しても無駄です」
口調を取り戻したガインは、凍ったような表情で淡々と告げる。
「私は友を亡くし、その死に関わったかもしれない犯罪者の死を見届ける。そうして任務を全うする、それだけのことです」
「そう、つまらない人生だね」
挑発してみたが、返事はなかった。むしろ遠ざかる足音が聞こえたから、怒りを抑えるために冷や水でも浴びにいったのかもしれない。
「さて……、これで門番はいなくなったけれどどうかな?」
声をかけると、案の定反応があった。
「ブライト様……!」
これもまた、聞き覚えのある声だ。鉄格子の影が床に映っている。その形が、突然鳥に変わった。
「ブライト様、逃げましょう……!」
そしてさらにその影の形が変わっていく。顔を上げたそこに、見覚えのある女がいた。
ブライトがずっと待っていた、目的の女だ。




