次の世代へ
ーーーーーー
地上で悪さをしたクソ女神は捕まった後、最高神にこってり絞られた。
『何ということをしたのじゃ、この愚か者め!』
最高神は激おこである。
『ち、違うの。これはーー』
色々と弁明していたクソ女神だったが、証拠は数多と挙がっている。もはや言い逃れのしようがない。ディオーネが言っていたように、やたらと肉食獣に追い回され、体の一部を食いちぎられるけれど、悪運強く生き残るーーそんな運命の草食動物にさせられた。
そして、クソ女神が巻き起こした騒動から半年余り。魔王城に大きな産声が上がった。
「っ!」
アンネリーゼがいる部屋から締め出されたジンは、大きく響いた産声にその場から勢いよく立ち上がる。部屋の前では産婆のひとりが待っていた。
「おめでとうございます、魔王様。男の子です」
「そうか」
産婆に対する返事はおざなりだ。そんなことよりも、早くアンネリーゼに会いたかった。
部屋のなかには産婆の他、麗奈たち女性陣が詰めていた。彼女たちは空気を読んでジンに道を譲る。
「ジン様」
人垣の先には、穏やかな笑顔を浮かべるアンネリーゼがいた。その胸元には赤子が抱かれている。
「お疲れ様」
「ありがとうございます。でも、そんなことよりこの子に名前をつけてあげてください」
「そうだな……」
ジンは考え込む。クソ女神が起こした騒ぎの後始末などに追われて、子どもの名前を考えていなかったのだ。しかし、不思議なことに名前はそれほど悩むことなく思いついた。
「シリウス、はどうだろう?」
彼が選んだのは、地球から見て最も明るい星だった。古代エジプトではナイル川の氾濫を、太平洋を航海するポリネシア人には冬の到来を告げる星である。さらにポリネシア人は、シリウスを航海の目印のひとつにしたという。子どもには、シリウスのように人々の道標となってほしいーーそんな願いを込めてその星の名をつけた。
「シリウス……いい名前ですね」
説明を受けたアンネリーゼも賛同し、子どもはシリウスと名づけられた。
「あなたはシリウス。お父様がつけてくださった素敵な名前ですよ」
アンネリーゼがやはり穏やかな笑顔でシリウスに話しかけると、彼は眠ったままながらもにこりと笑う。気に入ったのかもしれない。
夫婦の会話がひと段落したところで、それまで大人しくしていた麗奈たちが乱入する。
「ねえねえ、赤ちゃん抱っこさせてよ」
「いいですよ」
気をつけてくださいね、と言いつつアンネリーゼはシリウスを麗奈に渡す。わー、と女性陣は声を上げる。そして幾人かは自分の腹を撫でた。ぽっこりと膨らんでいるそこには、新たな命が宿っている。自分が出産したときにもこんな風になるのか? なったらいいな……そんなことを思っていた。
シリウスは大人気で、何人もの女性陣にリレーされていく。だが、抱かれ心地が悪かったのか、はたまた抱かれているのは母ではないと感知したのか、彼はしばらくすると泣き始めた。
「あらあら。泣き虫さんね」
女性陣が困惑するなかで、アンネリーゼはシリウスを受け取ると上手にあやす。母の温もりを感じたシリウスは、再び穏やかな表情で眠りに就くのだった。
ーーーーーー
それから百年。アンネリーゼの種族特性を受け継いだシリウスは、百年という時を過ごしながらも外見は若いままだった。吸血種は十五〜二十歳で外見の変化が遅滞するため、実年齢百歳、外見年齢三十手前といったところである。見た目はまだまだ若造だが、精神は百歳のお爺ちゃんだ。
魔王ジンの子どもということで、シリウスは常に注目の的であった。さらに、次期魔王の座に就くのかも注目されている。魔界の人々は、ジンがシリウスに王座を禅譲するのではないかと考えていた。
人魔種の寿命はとうに迎えているが、ジンはまだピンピンしている。というか、老化をしていなかった。それは彼が神になっているためだ。その眷属として、アンネリーゼ以下の妻たちも若々しい姿のまま、生きている。
シリウスも親が元気なのは嬉しいのだが、同時に悩みの種でもあった。自分の孫や曾孫に相当する年齢の弟や妹ができるのである。それだけは勘弁してほしい。
そんな彼だが、人気は高い。ジンの意向で、大人になった十五歳から各地で起こる問題の処理を任されていた。魔界の人々からすると、悩み事を解決してくれるいい人だ。だから、ジンの後継者(次期魔王)に指名されたとしても民衆ーー特に力の支配に拘泥しない魔族以外ーーには支持されるだろう。
「父上が?」
「はい。魔王様たちがお呼びです」
メイドに先導され、シリウスはジンの私室に通された。入室して驚く。日ごろ忙しくて滅多に集まることのない母親(ジンの妻)たちが大集合していたからだ。
「来たか」
「どうしたの、みんな集まって?」
「家族なんだから当然だろう。それとも、集まってはダメなのか?」
ジンが笑いながら答える。まったくもってその通りなので、そういうわけじゃないけど……とシリウス。彼が言いたかったのは集まるのが珍しいということであって、別に集まってはいけないという主旨の発言ではない。それをわかっていて、敢えてジンは曲解したのだ。揚げ足取り的な話ぶりは、彼の癖であった。
そんな挨拶をしながら本題に入る。用件はとても簡単だった。
「シリウス。魔王になりたいか?」
「そりゃ、なりたいよ」
今さら言うのは気恥ずかしいが、名君と呼ばれるジンの姿を見て育ってきた。自分もあんな風になれたらいいな、と思っていたのだ。なれるものならなりたい。
「なら、お前に譲る」
それを聞いて、ジンはあっさりと王位の禅譲を言い出した。シリウスは慌てる。
「ちょ、ちょっと待って。【選王戦】はどうするのさ!?」
生母アンネリーゼから【選王戦】におけるジンの話を耳にタコができるほど聞いていたシリウス。それ父上がお爺様を倒した話だけどいいの? と疑問はあったが、今重要なのはそこではない。
魔王になるためには【選王戦】を経て他の挑戦者を倒さなければならない。それが魔王になるための条件だ。
しかし、ジンは王位を「譲る」と言った。それは【選王戦】を経た魔王の選定を行うのではなく、ジンからシリウスに直接、王位を渡すという意味である。これは手続き的に問題はないのか、とシリウスは考えたのだ。
素直に受けなかった彼を見て、アンネリーゼがピシャリと言う。
「シリウス。この状況で貴方以外に適任者がいますか?」
「……」
それを言われては反論できない。百年という長命な魔族でも類を見ない長期政権により、すっかり魔王=ジンというイメージが浸透していた。反対勢力は尽く駆逐されており、ジンに逆らう者はいない。
だが、それと王位とは別問題だとシリウスは考えていた。しかしアンネリーゼ曰く、同じらしい。
「もし【選王戦】を開いても、貴方と弟妹以外は出ないと思いますよ」
「たしかに」
ジンの戦闘能力は隔絶している。それは子どもの世代でも同じだ。ゆえに、もし【選王戦】が開かれたとしても出場者はいない。事実上、身内の戦いになる。ならば、身内で話をつけてしまおうというわけだ。
「それにしても、急だね」
「あ〜、爺さんが煩くてな」
爺さんとは最高神のことである。ディオーネが地上に降臨して百年余り。神の尺度では一分程度の短い時間なのだが、我慢できなかったらしく、何度も帰ってくるように要請されているのだという。
「そんなに?」
「この調子なら、仕事を全部放棄してここにくる」
そんなことをすれば世界の秩序が滅茶苦茶だとディオーネ。シリウスは顔を引き攣らせる。秩序を守る側の人間として、それは歓迎できない。
「十年、二十年は向こうにいることになりそうだから、王位を任せようと思う」
ジンには神としてこの世界を管理するという役割がある。魔王という個(国)の利益を追求する立場と、世界神という全体(世界)の利益を追求する立場との両立はできない。これをきっかけに、ジンは魔王の座を降りて後者の仕事に専念する気であった。
「わかった」
シリウスは頷く。
「しっかりやりなさい」
「はい。母上」
「頑張りなさいよ」
アンネリーゼたちに励まされ、新魔王シリウスが誕生した。彼はときにジンたちのサポートを受けつつも、立派に魔王としての務めを果たす。それは先代に勝るとも劣らない、と言われる見事な統治であった。以降、魔王の地位はジンの子孫による世襲となり、その支配下にある人々は繁栄を極めることとなる。
そして、世界神としての役目に専念したジンも、繁栄する魔族の力を利用して世界の問題を解決していくのだった。
これにて『お約束破りの魔王様』は完結です。駆け足感は否めませんが、そこはお目溢しいただければ……。これまでご覧いただいた読者の皆様、ありがとうございました。それでは、また次の作品で。




