女神の目覚め
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ジンは暇ではない。魔族のみならず人間、獣人族、エルフなどの多種族を統治しなければならず、文化的な軋轢などで問題が発生する。その処理に奔走しながら、広範囲の領地ゆえの莫大な事務処理に追われるのだ。世界で一番忙しい人物といっても過言ではないだろう。
そんな多忙な日々を送っているため、ジンは日ごろの些細な出来事は忘れがちである。アンネリーゼたちとの会話は覚えていても、顔と名前が一致しない相手との会話は、つい抜けてしまう。若年性アルツハイマーではないぞ、というのが最近の彼の口癖だ。まあ、ルシファー曰く、神に病気はないそうだが。
さて、そんなジンはすっかりその存在を忘れていた。ディオーネやルシファーたちとのセット商法で最高神から押しつけられたお荷物ーー
クソ女神のことを。
かつて、その存在を忘れた日はなかった。しかし、一発ぶん殴るという目的が達成された今、その価値は路傍の石ころレベルなのである。それは麗奈も同じだ。というか、アンネリーゼも含めたジンの妻の誰も覚えていなかった。ゆえに、
「メイドからの伝言なのじゃ。『お客様がお目覚めになられました』だそうじゃぞ」
とルシファーが報告に現れても、執務室にいたアンネリーゼや麗奈、そしてジンは同じ反応を返した。
「「「客?」」」
と。とりあえず個別に記憶を探索する。城に泊める客なんていたっけ? と。しかし、いなかった。城に泊めるということは、かなりの賓客である。それを忘れていたら大問題。あの麗奈ですら、頑張って覚えるレベルである。しかし、思い出せない。ヤバイ。不味い。どうしよう!? 麗奈はいうに及ばず、ジンやアンネリーゼも焦る焦る。
(いやしかし、三人寄れば文殊の知恵!)
とジン。二人に『忘れた。助けて!』とアイコンタクトを送る。しかし、似たようなことを考えていたのか、バッチリ視線が合った。合ってしまった。ジンは悟る。誰も覚えていない、と。
(だが、俺には魔王モードがある!)
最近、めっきり出番が減った転生チート、魔王化。これが発動することにより、完璧な魔王・ジンになりきることができるのである。今こそその真価を発揮するとき。さあ、発動せよ魔王モードッ!
……
…………
………………
特に何も起こらなかった。
当たり前である。この場には『身内』しかいないのだ。魔王モードが発動するわけがない。
(あ、ダメみたいですね……)
今度こそジンは諦めた。聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥ーーということでルシファーに誰が目覚めたのか大人しく訊くことにした。
「誰が目覚めたんだ?」
「女神じゃよ」
「「「ああ!」」」
そういえばそんな人(神?)もいたね、という反応をする三人。ルシファーは仕方ないかと思いつつ、でもやっぱり可哀想だと思わなくもないわけではなかった。
「それで、どうするのじゃ?」
「どうするって……どうする?」
「私に聞かないでよ」
「困りましたね……」
ノープランである。そりゃそうだ。さっきまで忘れていたんだから。三人はなんとなく、このまま好きにさせておけばいいじゃん、と結論した。しかし、ルシファーから待ったがかかる。
「あの女神を甘く見てはならん。あれは、放っておけば大変なことをしでかす輩じゃ」
現に、少し目を離した隙にジンをうっかり間違って殺してしまうというポカをやらかしている。クソ女神は前科持ちだ。ゆえに、とてもとても説得力があった。
「まあ、とりあえず顔を見に行くか」
本当は嫌だけど、という内心を隠しもせずジンは立ち上がった。
そして、クソ女神が寝ていた部屋の前(どこかわからず少し迷った)。ジンは入るのに躊躇っていた。なぜなら扉越しに騒ぎが聞こえるからだ。
『ちょっと、ここから出しなさいよ! わたしを誰だと思ってるの!?』
などと、ドッタンバッタンと騒音が聞こえてきている。今すぐ回れ右して帰りたかった。しかし、そういうわけにはいかない。ジンは意を決して扉を開ける。そこには予想通り、メイドを相手にゴネるクソ女神がいた。
「っ! 魔王様」
ジンに気づいたメイドが跪く。いい、と助け起こしていると、クソ女神の照準がジンに向いた。
「あ、魔王。ちょっとあんた、なんとかしなさいよ」
「断る」
クソ女神の言うことを聞いてやる義理はない、とジンは一蹴した。ここまでぞんざいな扱いをすることはないので、見ていたメイドが目を丸くする。ジンはそれに気づき、言い訳をしておく。
「余の大切な臣下を困らせたのだ。丁寧に扱う必要はない」
それを聞いたメイドの忠誠心がカンストした。一方、クソ女神はジンを指さしてケラケラと笑う。
「『余』って、なに? 魔王でロールプレイしてるわけ? ウケるんですけど!」
ジンを貶すような物言いに、メイドのおもてなし度がゼロになった。これはご近所の主婦ネットワーク顔負けの伝達速度を誇るメイドさんネットワークを経由して城全体に伝わり、今後、クソ女神には茶の一杯も出ないであろう。
「悪いか?」
魔王モードのジンはクソ女神の発言に開き直る。予定した反応と違ったため、クソ女神は言葉に困った。結局、バーカ、と子どものような返しに留まる。
このままでは拉致があかないので、メイドには部屋を出てもらった。プロ意識で抵抗されるかと思ったが、彼女もクソ女神の相手に嫌気がさしていたのだろう。代わりとしてやってきたルシファーにお願いします、と言って足どりも軽く去っていった。
「さて、邪魔者はいなくなったな」
パタン、と扉が閉まったその瞬間、ジンは防音の魔法をかける。さらに誰にも見られないよう、【マジックミラー】の魔法も発動した。これで、この部屋でなにが起こったのかを知る者は限られる。
ジンが纏う空気が変わったことは、クソ女神も敏感に感じとった。
「な、何よ……」
警戒心を露わにするクソ女神。そしてはたと己の身をかき抱いた。
「ふ、ふん! わたしの身体を好きにできると思わないことね!」
強がって見せる。わたし神様なんだから! 強いんだから! とちょっと幼児退行していた。たしかにクソ女神は女神だけあってスタイルはいい。だが、ジンはそれ以上の妻たちがいるわけであって、食指はまったく動かなかった。
「はあ。相変わらずじゃのう……」
ルシファーも後ろで呆れている。クソ女神は彼女にまったく気づいていなかったらしく、驚いていた。だが、すぐに切り替えて援助を求める。
「ちょっとルシファー! 助けなさいよ!」
女神様の貞操の危機よ! と訴える。ジンにその気がないことはルシファーもよく知っているが、あえて乗ることにした。
「それは大変じゃのう。では、妾が代わりにご主人様を鎮めて見せよう」
そう言って、ルシファーはジンにキスをした。啄ばむような軽いものではなく、舌を絡め合う濃厚なやつである。そんなルシファーの顔は蕩けていた。スイッチが入ったらしい。いけないメイドさんだ。
クソ女神は、そんなルシファーの『女』の顔を見て顔を赤くする。恋多き乙女であり、初心なのだ。ちなみに、クソ女神は若い神なので、年齢的にはルシファーの方が上だったりする。
「処分は後日だ」
「え? は? ちょっとーー」
クソ女神の返答を待たず、ジンは転移していった。ご休憩(意味深)のためだ。予定は二時間ほどである。ご丁寧にクソ女神がいる部屋は【ディバイド】という魔法で世界と分断されている。その上、【ループ】という魔法で繋がっており、逃げようと部屋を出てもまた同じ部屋に入ってくるーーというループに陥るようになっていた。神様パワーで打ち破ろうにも、その格が彼我で違いすぎるため、クソ女神に抜け出すことはできない。
ご休憩の後、艶々したルシファーと少し疲れたジンはアンネリーゼたちを呼び、クソ女神をどう扱うべきか討論をした。
「ねえ。そのクソ女神って何者なの?」
アドリアーナの質問に、新たな妻たちが頷く。それアンネリーゼはとても丁寧に答えた。ほんの少し、クソ女神の悪行を誇張した偏向報道という印象があったが、言っていることは間違っていない。それに、アドリアーナたちは憤った。
「死刑ね!」
そんな結論が飛び出る。反対意見はなかった。
「いや、さすがにそれは……」
誰も止めないので、ジンが止める羽目になった。ぶっちゃけどうでもいいのだが、最高神から身柄を渡されたのは極刑を期待してのことではない。だからこそ思い止まるように説得した。数日間、政務を停止して昼夜を問わない『説得』を行った。その甲斐あって懲役に落ち着く。
「神じゃから、期限を設ける必要もないじゃろ」
というルシファーの言葉で、クソ女神は無期懲役となった。労働現場は鉱山。機織りにしようとしていたジンだったが、ルシファーたちからそれだと緩い、と反対を受けたためだ。刑罰の重さで譲歩してもらったので、ジンはこちらで譲歩した。
「ではウリエル。監督は任せるのじゃ」
ギャーギャーとゴネるクソ女神を拳で黙らせた(眠らせた)ルシファーが、部下のウリエルに監督を任せる。最初は僻地に飛ばされることに抵抗していたウリエルだったが、
「鉱山にはガチムチの男がたくさんおるぞ」
とルシファーに吹き込まれると、途端にやる気を出した。欲望に正直な奴である。こうしてクソ女神は鉱山へと飛ばされた。




