忠犬
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射手が放った矢は、アドリアーナへと向かって飛翔する。目標は心臓。吸い込まれるように矢が飛んでいく。アドリアーナに気づいた様子はない。教会関係者は誰もが成功を確信した。
しかし、無情にも矢は途中で爆砕された。
「っ!? な、何!?」
思考の海に沈んでいたアドリアーナだが、さすがに爆音には気づく。何事かと身を翻して警戒態勢をとった。
教会関係者の脳裏に撤退の二文字が踊る。だが、同時にこうも思った。逃げ切れるのか、と。気づかれた以上、探知される可能性が高い。ならば逃げるよりも、ひたすら攻撃して正義の刃を相手に届かせた方がいいのではないか? そう思ってからの決断は早い。全員が一斉に剣を抜き、アドリアーナへと飛びかかった。
「じょ、上等じゃない!」
口ではそう言うが、実際は不意打ちに加え、教会関係者が鬼気迫る表情で吶喊してくる様に気圧されて立ち竦んでいた。
「死ねや!」
「栄光あれ!」
「魔族の手先には死を!」
それぞれ恨み言を述べながら剣が振り下ろされる。が、その刃がアドリアーナに届くことはなかった。
「なっ!? す、スケルトンだと!?」
「どこから現れた!?」
突然の闖入者に驚く教会関係者。どこからともなく現れたスケルトンがアドリアーナへの攻撃を防ぎ、反撃して教会関係者を制圧する。現れたスケルトンは百体ほど。数は逆転した。先ほどまでは自分たちが圧倒的に優位な立場にいたはずが、あっという間に窮地に立たされる。わけがわからないまま、スケルトンの餌食になっていった。
「……やれやれ」
「ま、魔王……」
アドリアーナの近くにいた敵が一掃されたところで現れたのはジン。そう。このスケルトンはすべてジンが召喚したのである。彼は教会関係者など気にも留めず、アドリアーナを見る。
「うん。怪我はしていないようだな」
「どうしてここにいるのよ?」
「そりゃ、尾行してたからだ」
ジンはあっさりと種明かしをする。実はアドリアーナが嵌めている指輪には、居場所を知らせる機能がついているのだと。つまり、これまで彼女がどこにいたのかは丸わかりだったというわけだ。
「何よそれ……」
ひとりになるはずが、ひとりではなかった。落胆するアドリアーナ。ジンは誤解しているようだな、と訂正を入れる。曰く、位置情報はジンのみ知ることができるのだと(万が一のときに備えてアンネリーゼと麗奈も知る方法を知っている)。
「それに、俺は居場所を調べてはいない。ただ、位置情報の他にも周囲の状況を確認することができて、その機能は使っていた。すると、アドリアーナの周りでこそこそしている輩がいるとわかって、こうして出てきたわけだ」
ちゃんとひとりだったぞ、と説明する。とはいえ、それで納得できるかといわれれば、できない。窮地を救ってくれたことに感謝はしているのだが、どうも釈然としないのだ。アドリアーナが葛藤していると、新たな声が聞こえた。
「お姉ちゃん」
「ミレーナ?」
虚空から現れたのは、アドリアーナの妹であるミレーナ。彼女は先日の襲撃事件以来、ジンに心を許している。最近はアドリアーナが悩んでいたこともあって、少し距離があった。何事かと思っていると、ミレーナは問答無用でアドリアーナの頬を張った。パチン、という乾いた音が響く。
アドリアーナは一瞬、何が起こったのかわからなかった。少なくともこれまで過ごしてきて、ミレーナがこのような暴力を振るったことは一度もない。最初はわけがわからず混乱し、やがてふつふつと怒りが湧く。
「何するのよ!」
「それはわたしの台詞だよ! 何やってるの、お姉ちゃん!? 城を抜け出して、護衛の人もつけずに遠くまできて!」
「ひとりになりたかったのよ! 別にいいでしょ!?」
「それは何もなければの話だよ! 忘れたの? 前、わたしは襲われたんだよ!? お姉ちゃんが襲われない保証なんてないじゃない!」
「それは……結果論じゃない」
ミレーナは珍しく感情をあらわにする。アドリアーナの反論は、次第に尻すぼみになっていった。それに反して、ミレーナはますます語気を強める。
「結果論? 違うよ。お姉ちゃんが危なかったのは、お姉ちゃんのせいだよ? だって、護衛の人を連れずにここに来たから大勢の人とひとりで戦うことになったんだから!」
だからお姉ちゃんが悪い、と結論づけるミレーナ。どう考えても自業自得である。それはアドリアーナもわかっていたが、気の強い彼女ははいそうですかと素直に自分の否を認められなかった。
しかし、そんなアドリアーナも白旗を上げなくてはならなくなる。それは、ミレーナが突如として泣き始めたためだ。
「ど、どうしたの?」
慌てるアドリアーナ。喧嘩はしても、姉として妹は心配なのだ。そして泣きじゃくるミレーナはというと、涙ながらに訴える。
「ちょっとはわたしのことも考えてよ。お姉ちゃんがいなくなったら、悲しいよぉ……」
もし、と前置きしつつミレーナはあったかもしれない未来を語る。ジンが位置情報を知り得る手段を持っていなければ、帰ってこない姉を延々と待ち続けることになっていたと。それは嫌だし、悲しすぎる。だから、二度とそのようなことをするな、というのがミレーナの訴えだ。
「……そうね。ごめんなさい」
そしてミレーナが泣き出すに至って、アドリアーナは謝罪を口にした。しかし、ミレーナとしては受け入れられない。顔を泣き腫らしつつも、ふるふると首を振る。姉妹であるから、妹の言いたいことはわかった。自分に謝るよりも、ジンに謝れと言っているのだと。それはわかったが、渋面を作るアドリアーナ。妹にはともかく、ジンに謝るのは釈である。が、
ーーペチペチ
と、先ほどよりは弱いが、ミレーナが催促するように叩いてくる。妹のお願いだから仕方がない、と自分に言い訳した。
「その……ごめんなさい」
渋々、といった様子で謝るアドリアーナ。もちろんジンは許した。今後は護衛を撒かないように、と釘を刺すことも忘れない。彼女もこの一件で懲りたのか、わかったと素直に応じる。
だが、それだけではなかった。ジンの前でしばらくもじもじしていたかと思うと、蚊の鳴くような小さな声で、
「わん」
と漏らした。木々のざわめきと小鳥の鳴き声くらいしか聞こえないここでは、そんな小声でもたしかにジンの耳に届く。彼は優しく微笑み、そっとアドリアーナの頭を撫でた。その行動で声が聞こえていたことを悟ったアドリアーナは慌てる。
「わー! わー! わー! 今のなし! なしっ!」
「はっはっは! そうはいかん。今日は記念だ。宴会だ!」
「違うの!」
ギャーギャー言いあいを続けるジンとアドリアーナ。仲よしの喧嘩に見え、ミレーナはつい笑ってしまう。
結局、その日にアドリアーナが懐いてくれた記念パーティー(内輪だけ)が開催されることになった。ジンが久しぶりにその腕を振るった豪華な料理が並び、アドリアーナは止めるように懇願したが、ジンの料理が出されると聞いたアンネリーゼたちは逆にこれを推進。開催ということになった。
ただ、この強引なパーティー開催で吹っ切れたのか、アドリアーナはジンへの好意を隠さなくなった。その姿勢は続き、いつからか彼女はジンの『忠犬』と呼ばれるようになった。そしていつも『狼よ!』と返すのが定番のやりとりになっていく。




