苦肉の策
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全国行脚とパレードの準備はアンネリーゼが先頭に立って急ピッチで進められた。主要な都市は外せないし、襲撃を待ち伏せる都市も訪れないわけにはいかない。また、なるべく不自然にならないよう、細心の注意が払われた。
カレンたちに全国行脚とパレードの予定が知らされたのは、準備の大半が終わって後戻りができない段階になってのことだった。
「え……?」
カレンは聞いていません、というような見事なリアクションを返す。他もリアクションの違いはあれど、概ねそんな感じだ。まあ、準備は極秘で進められていたし、魔王城での生活に慣れるのに必死だったため、気づけないのも無理もない。
魔王城に来た者が戸惑うのは、その文化水準だ。まずは料理。この世界の料理は大雑把で、調理方法は焼くか煮るくらいのものだ。だから魔王城にやって来てジンがもたらした料理を口にすれば、その繊細さに驚くわけである。しかもそれは、パーティーなどで出される特別な料理ではなく、普段から食べられるものだ。その衝撃に慣れるには時間が必要だった。
また、生活も王侯貴族らしからぬものだった。基本的に使用人はいない。もちろん城の維持管理や客の接待などのために雇ってはいる。しかし、日常生活に使用人は少ない。ジンの基本姿勢は、できることはできるだけ自分たちでやる、だ。その精神に則り、家事の多くをジンたちが自らやっている。
魔王とは、人間にとって恐怖の象徴である。だから、誰が想像するだろうか。食事だとダイニングに呼ばれれば、そこから見える厨房でエプロンを身につけた魔王が料理をしているなど。フローラが卒倒しかけたのも無理からぬことだ。彼女ほどではないにせよ、カレンたちも似たような心境だった。
そんな事情もあり、カレンたちはジンたちの動向に目を向けることができなかったのである。そんなところに舞い込んできた全国行脚とパレードの話。完全に寝耳に水であり、もちろん四人に拒否権はなかった。
かくして始まった全国行脚は、まずカレンたちの故郷である島ーージンによってイースター島と命名されたーーを目指した。魔族領に関しては旅の終盤に組まれている。よって巡る順番としてはイースター島、ボードレール王国、魔族領となっていた。スタートもゴールも、当たり前だが魔都である。
魔都から港までは馬車での移動。そこからは例によってサタンを使っての航海だ。転移魔法を使えば一発だが、それでは魔王の権力を見せつけるという目的を達成できない。面倒でも、必要な手間だと割りきることにした。
「海はいいものですね」
「アンネリーゼさんもそう思いますか? わたしもです」
「まあ!」
出港から数日が経ったサタンの艦上で、海大好きなアンネリーゼとフローラが同好の士を見つけて親密度を深めていた。一方、麗奈とレナのアウトドアコンビは未だに退屈さに慣れない様子だ。他方、ユリアやカレンたちはプラスとマイナスのどちらにも感情の針は振れていないニュートラル状態。ジンは早々と菩薩モードに移行していた。さすがに三回目ともなれば慣れる。
青い海、白い雲……それが延々と続く。よくいえば自然が続くわけだが、悪くいえば娯楽がない。しかし、そんな状況にもかかわらずミレーナがうずうずしている様子だった。
「どうした?」
船酔いか何かだろうかと心配したジンは、体調が悪いのかと訊ねる。必要ならば体調がよくなるまで陸に送るつもりだ。何なら、到着の直前まで陸に居させてもいい。
(……その手もありか)
看病のためだと発案したが、冷静に考えればサタンが島に行く必要はあっても、ジンがそれに随行する必要はないのだ。だが、すぐにその考えは放棄する。
(アンネリーゼたちの機嫌を損ねたくない)
どうも正妻様とフローラの二人は、船旅が心底好きなようだ。より正確には、ジンとの船旅が好きらしい。二人でワイワイ盛り上がる一方で、よくジンをチラチラ見ている。話を振られることもあった。それは単なる話題提供というだけでなく、一緒に話しながら船旅を楽しみたいという意思を読み取った。
考えをそこで打ち切り、ジンはミレーナに集中する。見たところ異常はない。熱などの体調不良かと思ったが、顔が赤くなっているわけでもなかった。とはいえ、必ずしも発熱で赤くなるわけではない。念には念を、とジンは彼女の額に手を当てた。
「にゃ!?」
驚いたミレーナが身体を震わせる。ジンは反射的に手を離す。
「すまん。そんなに驚かれるとは……」
すまない、と重ねて謝るジン。だが、ミレーナは首を千切れるのではと心配するほどの勢いで振る。
「ち、違います! その、びっくりしただけで……」
嫌ではない、と消え入るような声で呟いた。しかし、ミレーナが驚くならしない、とジンは言う。今は環境に慣れることが優先で、無理をさせてはいけないと考えたのだ。
だが、それはミレーナの本意ではない。たしかに驚きはしたが、ジンに距離を置かれるのは寂しい。それは嫌だ。彼女にしては珍しく、少し強めに自己主張した。
「大丈夫!」
そう言ってミレーナは頭を突き出す。撫でろ、という意思表示だ。
「いや、しかし……」
「……」
ジンは渋るが、ミレーナは引かない。それどころか、より一歩前へと詰める。言い知れぬ迫力に一歩下がるジン。開いた距離を詰めるミレーナ。
「……わかった」
結局、ジンが折れることになった。熱の確認は済んだので、その代わりに頭を撫でる。
「にゃあ♪」
ミレーナはご機嫌といった様子で鳴いた。特に耳のつけ根がいいらしい。グリグリと押しつけてくる。ジンは苦笑しつつ、その辺りを重点的に撫でた。
(後で怖い思いをさせるからな)
もちろんフォローはするが、前払いだとジンはミレーナが快感で眠りにつくまで付き合った。
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イースター島に到着した一行は、現地の有力者への挨拶もそこそこにパレードを行なっていた。
「急ぎすぎではありませんか?」
カレンから当然のように質問が飛ぶ。それに対して、ジンは色々なところを巡らなければならないから、ともっともらしい返事をする。彼女もそういうことなら、と納得した。
嘘は言っていない。イースター島でのパレードをさっさと進めるのは、時間がないというのも理由のひとつである。だが最大の理由は、あまり意味がないことだ。
ジンの統治下に入ったとはいえ、外敵から身を守るための防衛機構ーーミステリー・ヘキサゴンは未だに機能している。サタンのような大馬力の船がなければ、これを突破することは難しい。
そんなわけで、イースター島は現在進行形で鎖国状態である。今回のパレードの目的は、過激派を誘き寄せて一網打尽にすること。カモフラージュを真面目にやるつもりはない。
だが、そんな思惑など知る由もない島民たちは熱心に祝っている。純粋に祝福している者もいれば、ジンに反意を持っていると疑われないように祝福している者もいた。割合としては、前者の方が多いだろうか。
声援が大きいのは、カレンとヴァレンティナ。やはり二人の人気は地元でも高いようだ。しかし、アドリアーナやミレーナも負けてはいない。これを見たジンたちは、四人が島のアイドル的な存在だったことを再認識した。
「魔王様。大したおもてなしもできず、申し訳ありません」
「何を言うか。島民の祝福の声が、何よりのもてなしだ」
恐縮した様子のエルフのリーダー(現在はイースター島長官を兼任)。彼に対してジンはそのように返し、そうだろ? と妻たちに同意を求める。もちろん、カレンたちは頷く。やはり地元の声援は嬉しい。特に、これまでまともに祝われたことのないアドリアーナ、ミレーナは感動も大きかった。
「そう言っていただけると嬉しいです」
エルフのリーダーははにかみ、一礼する。その後、カレンたちはそれぞれの親や親戚などと別れの挨拶を済ませ、サタンに乗艦した。
「さようなら!」
「お元気で!」
離岸し、速度を上げて沖を目指すサタン。甲板の上から手を振るジンたちに、そんな島民の言葉が届いた。心が暖かくなる。
「ありがとう!」
「さようなら!」
故郷から元気をもらったアドリアーナとミレーナが、大きな声で感謝と別れを告げる。
だが、本番はむしろこれからだ。サタンの次なる目的地はボードレール王国。ここで過激派を迎え撃つ予定になっている。既に寄港予定の港では移動用の馬車、護衛の軍勢(人・魔族連合編成)が待機しているだろう。加えて、過激派を捕縛するための実働部隊である特殊部隊も潜んでいた。
ジンはサタンの艦内で打ち合わせを行う。壁に耳あり、障子に目あり。地上では、情報がどこから漏れるかわからない。だが、サタンの艦内であれば乗員の上陸を制限すれば、情報統制は容易だ。
ジンとアンネリーゼ以下の魔族幹部が地図を置いた机の上で話しあう。その席でジンは地図の一点を指し示した。
「本命はここだ」
そこは、教会の総本山がある場所だ。ここで魔王の妻を殺めるーー教会の復権を狙う身としては、おあつらえ向きの場所だ。
「敵の作戦はわかってるか?」
「うん。じーじが色々教えてくれた」
ソースである最高神とのパイプ役として呼ばれていたディオーネが、計画の詳細を教えてくれる。それによると、過激派は前日の宿場町で従者や護衛の食事に遅効性の薬を混ぜ、当日の戦力を減らしてから街のならず者たちを嗾けるらしい。どこから入手したものか、過激派はジンの旅程を把握していたのだ。
「どこから漏れたのでしょう?」
「どうせワルテル公爵あたりですよ」
アンネリーゼの疑問に、ユリアが突き放したように答える。魔王城の運営を任されている彼女は、使用人の素性などを母親の協力を得て把握していた。それによると、ワルテル公爵のシンパもいくらか紛れ込んでおり、彼ら彼女らが何らかの方法で旅程を掴み、公爵に報告。最終的に過激派へと渡されたのだーーとユリアは説明する。それは推測にすぎなかったが、正解であった。
同族(ついでに親戚でもある)ワルテル公爵の悪事に、フローラは申し訳なさそうにしていた。ジンたちは気にすることはないとフォローする。悪いのはフローラではない。
「それにしても、嫌な方法ですね」
アンネリーゼが話題を変えようと、少し深刻そうな顔をした。
「だな」
と、ジンも同意する。
「どういうこと?」
そして理解していないのが麗奈だ。いつものようにアンネリーゼが口を開きかけるが、機先を制してルシファーが説明する。
「捕縛のために行動していることを相手に知られることは得策ではありません。自分たちが仕掛けた罠が看破されたーー偶然と考えてくれればいいですが、相手はそこまで楽観的ではないでしょう」
「つまり?」
「毒作戦が成功しなければ、相手が逃げるかもしれないっていうことだ」
そうなれば当然、ジンの作戦は頓挫する。それを防ぐためには業腹だが、護衛を罠に嵌めて数を減らすしかない。
説明に麗奈も納得したようだ。しかし、他人を救えるのに見捨てるのは気乗りしないらしく、渋面を作っていた。
「だが、やるしかないんだよなぁ……」
ジンは躊躇いがちに、だがはっきりと意思を口にした。護衛に被害が出ようとも、過激派の活動によって不特定多数の人間に被害が出るよりマシだと考えたのだ。
(さすがに、殺すことはないだろう)
このような決断を下したのは、そんなジンの読みもあった。殺してしまえば、ジンたちの警戒を強めることになる。それどころか、パレードを中止するかもしれない。彼らの目的はミレーナの殺害である。それが達成できないようにするのは本末転倒だ。それくらいは過激派も弁えているだろう。
結局、話は毒を盛られることを許容することで決着がついた。万が一のことを考えて、料理は密かにチェック。致死性の薬が入っていたときは計画を諦める。死に至らないものなら、適当な理由をつけて隔離し、治療しつつ事情を説明することにした。まったく想定外の苦肉の策である。




