結婚式
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魔王城は通常、一般の民衆が入ることはできない。しかし今回は特別に入城が許されていた。今日の式典ーー法典公布式へ参加するためである。
「マリオン。皆集まったか?」
「はっ。各種長や城の主だった者たちは既に中庭で待機しております。魔都の民たちも千人を超えた、と警備担当者には聞かされています」
「婚礼については?」
「そちらも用意できています。アンネリーゼはあまりの盛大さに緊張しておりました」
「そこは父親であるそなたが助けてやれ。余も(手が)渡れば助けよう」
「そういたします」
「では行こう」
ジンは腰を上げた。城の中庭にはこの日のために簡易的な壇が設けられていた。彼が目指すはその中央に置かれている玉座だ。
壇にジンが現れると喧騒に包まれていた中庭が一気に静まる。静寂のなか、彼はマントをはためかせながら悠然と歩みを進め玉座についた。そしてそこから見える観衆を睥睨する。
壇は三段に分かれていた。最上段にはジンの座る玉座が、中段にはアベル(マリオンは婚礼の際に娘をエスコートするため不在)が、下段には種長たちを先頭に文武百官が並び、その下には詰めかけた民衆がいる。
舞台は整った。
「ではこれより、法典公布式を執り行う!」
アベルが【拡声】の魔法を使って開式を宣言した。
会場は大げさであるがやることは簡単。出来上がった法が書かれた紙をジンがアベルに手渡し、彼がそれを読み上げる。そしてそれに伴う制度改変の内容を簡単に説明するーー以上。
ではなぜこのような大げさな会場が用意されたのかというと、その後に控える婚礼のためだ。魔界最強の吸血種の娘が魔王に嫁ぐーーつまり、吸血種が従属するということが持つ意味は大きい。これと先の戦争の結果を合わせると、魔界には魔王に逆らえる勢力がいなくなってしまったのだ。魔王一強、専制体制の完成である。そのことを知らしめるために大がかりな会場を用意し、人を集めた。本来のメインであった法典公布式がサブに、サブだった婚礼がメインになってしまった。
「では今回制定された法典を紹介する」
アベルの説明は、今回制定されたのは憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法(この六つを指して六法という)、軍法、種族法の八つであること、あとはそれらの簡単な説明だ。主なものを紹介すると、
国の最高法規たる憲法。これに間違いも例外も存在しない。序文は『この法は魔王が統治する魔王国の最高法規である』だ。
軍法は新たに編制された魔王軍に対する規制事項。内容としては組織の体系と命令遵守である。
種族法とは各種族別に作られており、その種族独自の風習などが刑法に抵触する場合、一部は免責されるというものだ。
その他は日本で施行されているものとほぼ同じだ。もっともジンはそのすべてを覚えているわけではないので、オリジナルと比べるとかなり抜けている部分がある。それらは法による支配が根づき、成熟してからでいいというのが彼の考えだった。世界や文化レベルが違う以上、日本のものを丸々移植したのでは色々と齟齬が出てくるであろうし。
「次にこれに伴う制度の変更だ」
アベルから種領の廃止、州の設置などが告げられたが、どこからも反対の声は上がらなかった。というか上げられない。影では文句を言うかもしれないが、表立って言える雰囲気ではないのだ。ジンが絶対的強者であるからこそできる強引な改革だった。実際の戦争で勝ったことも大きい。
「それではここで魔王様からお言葉をいただく」
アベルに促され、ジンはゆっくりと立ち上がる。そして自ら【拡声】の魔法を使い演説を始めた。
「親愛なる臣民諸君。今日はこの式典に参加してくれたことを嬉しく思う。この式典は極めて重大な意味を持つ。なぜなら! 現在、魔王国は国家存亡の危機に直面しているからだ!」
存亡の危機ーーそのショッキングなワードをジンが使ったことで観衆が注意を向けた。それを狙っての言葉のチョイスである。だがそれだけでは終わらない。
「今、人間どもは魔王国に攻め入る機会を虎視眈々と狙っている。それはなぜか? 勇者を呼び寄せたからだ! 今代の勇者は強い。たとえ吸血種が百人束になろうとも撃退されるだろう。しかし、全員が団結し、種族同士が一致協力して互いの弱点を補いあえば十分に対抗できる! そのために今まで種族ごとに分かれていたものを、魔界という漠然としたものを、余の下に統一し、魔王国としたのだ! 法典はこれから団結していくための掟だ! 国を守ってこそ諸君らの安全は担保される。諸君らの協力と勇戦敢闘を期待する! 以上だ」
ジンの演説ーー落としてから持ち上げるというヒトラーにも見られる手法ーーによって集まった観衆は熱狂していた。自分たちが国を守る。悪しき人間どもを倒すという決意に満ち満ちている。ジンの狙いは成功した。
「これにて法典公布式を終了する。続けて魔王様の結婚式を行う」
ジンの演説が終わって閉式が宣言されてからさほど間を置かずに結婚式の開式が告げられた。予定通り、合唱隊や着飾った儀仗兵などが現れる。さらにジンの玉座の脇に、玉座には劣るものの十分に豪勢な椅子が置かれた。司会は引き続きアベル。
「王妃様、ご入来!」
儀仗兵のひとりが高らかに告げる。そして現れたのは純白のウエディングドレスを着た美しい少女。マリオンにエスコートされてしずしずと壇に作られた最上段への一本道を歩いてくる。
彼女を正面に見たジンは、まず少し開いた胸元を見る。胸は程よく膨らんだ手のひらサイズでお椀型。そこから覗く肌は白い。
距離が縮まるとベールに隠された顔も見ることができた。マリオンと同じ金髪はとても艶やか。碧眼は光り輝く宝石のよう。鼻高は高く、少しつり目であるところも美しさにつながっている。これほどの造形美。よくぞここまで、といっそ神秘的ですらあった。
魔王モードのためポーカーフェイスを維持しているジンは、内心で激しく困惑していた。
(ちょ、婚約者が可愛すぎるんですけど!? え、マジこれ? 夢? 夢じゃないよね!?)
式に参加している男たちは無論、女たちまでも彼女の美しさの虜となっていた。合唱隊までもが仕事を放棄したため、場はシン、と静まり返っている。そのなかを少女はコツ、コツとヒールの音を響かせながらジンの眼前まで歩いてきた。
「娘のアンネリーゼでございます。よろしくお願いいたします、魔王様」
マリオンの挨拶に合わせるように少女ーーアンネリーゼも頭を下げる。ジンはいたって冷静に、
「うむ。大切にしよう」
と対応したが、内心はまったく冷静ではない。
(なに冷静に対応してるんだよ俺!)
自分の行いにセルフで突っ込みを入れる。忘れ去りたい過去のイタイ言動を思い出した元厨二病患者のようだ。
しかしジン(本音)を置き去りにして事は進む。
「では【誓約】の魔法にて夫婦の誓いを」
アベルに促され、ジンとアンネリーゼは互いに左手を軽く掲げる。
「余はアンネリーゼを永遠に妻とし、愛し慈しむことを誓う」
「私は魔王ジンを永遠に夫とし、愛することを誓います」
互いに宣誓すると、掲げていた手から魔力の光が溢れ、二人の中間地点で激突。一際輝いたあとには、青みを帯びた指輪が二つできていた。
【誓約】の魔法は広く契約に用いられている。これを使うと何らかの契約が交わされ、それを示す何かが生み出される。結婚では指輪の形が多い。それらは契約を守っていることの証明だ。違反した場合には砕け散り、契約内容によっては何らかのペナルティを課される(罰則規定も契約時に決められる)。逆に無事に履行すれば何事もない。
二人はそれぞれそれを手に取り、互いの左手薬指に嵌める。これで結婚式は完了だ。
別れ際にアンネリーゼは、
「末永くよろしくお願いいたします」
と、ジン以外には聞こえない声量で声をかけてきた。改めて彼女の人柄のよさを感じたジンであった。