商人の都
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「よくやったな」
交渉を上手くまとめたフローラに、ジンは惜しみない賛辞を送る。もちろんそれだけではなく、ご褒美もあげた。信賞必罰がモットーである。
「ふふっ……ありがとうございます」
ご主人様に撫でられたペットのように、うっとりした表情をするフローラ。甘えるように頬をすりすりとジンの胸板にこすりつける。アンネリーゼによる布教の成果か、ジンの妻たちはこうすることを好んだ。曰く、一番幸せを感じられるのだという。ジンもまた美少女が甘えてくることに幸福を感じていたので、この関係性はお互い様といえる。
そんなジンだが、あることを考えていた。それは、ジョンの国へと行くことだ。国内統治は当初、ジンがいなければ覚束なかった。だが、最近はもうひとりの統治者としてアンネリーゼの格が高まっている。彼女に任せれば政治は回るようになってきていた。
王国もジョルジュと中小貴族、官僚たちが頑張っており、それほど大きな問題は起きていない。つまり、ジンが望む彼のいない統治機構が完成しつつあるのだ。これの既成事実化を進め、『君臨すれど統治せず』という体制を確立させる。以後はクソ女神探しに全力を注ぐーーというのがジンの描いた青写真だ。
その第一歩が、ジン不在の統治。王国はいざ知らず、魔族はあくまでもアンネリーゼの後ろにジンがいるために統治が成り立っている。それが一時的に消失しても彼らが指示に従うかーー要はアンネリーゼの格がジンの代行たり得るかのテストであった。
翌日。ジョンは帰国のための船ができるまで王都に滞在することになった。聞けば、ジョルジュなどとも面識があるらしい。まあ、異国の人間が現れて珍しい品物を持っていれば、同地の権力者に会うのは当然といえる。だからジンに驚きはなく、むしろジョンに不自由なく過ごしてもらうことができそうだと安堵していた。
そして、ジンは国を離れるための根回しを始める。なんといっても最初はアンネリーゼだ。彼女が首を縦に振らなければ、他をどれだけ味方につけてもお釈迦になってしまう。
「ーーわかりました」
話を聞かされたアンネリーゼは渋ったものの、一晩かけたジンの説得(意味深)によって最終的には首を縦に振った。とはいえかなりの負担があり、アンネリーゼはもちろん、チートスペックな身体を持つジンも一日動くことができなかった。
とはいえ、翌日からは精力的に動く。まず真っ先に行ったのは、御召艦の建造だ。ジンは一国の元首であり、それなりの格式が求められる。何よりも自国を強大な存在に見せなければならない。世界平和だなんだといくら叫んだところで、最終的にものをいうのは国力なのだ。日本とアメリカ、どちらの発言力が高いかは言うまでもない。
そんなわけで、ジンの指示はとても単純。この世に二つとない巨艦を建造せよ、というものだった。とはいえ、戦艦大和のような超巨大戦艦を造れと言っているわけではない。この世界において、船は大きくても五千トンである。それを見た目で大きく上回るならいい。よってジンは、一万トンの鉄甲船を建造することにした。
「い、一万トンでございますか……」
当たり前だが、その話を聞いた船大工は困惑した。そんな船造れるのか、と。正直、自信がない。だが敬愛するジンにそんなことは言えない。何より、自分の職人としてのプライドが許せなかった。
そのような思いとは裏腹に、どこか事態を冷徹に見ている自分がいた。職人としてのプライドはともかくとして、勘は不可能だと告げている。なので、船大工は体よく断ることにした。
「ですが魔王様。どこにも一万トンもの船を建造できる大きさのドックはありません。聞けば、ご出立は一年後とのこと。ここはご再考をーー」
「それなら問題ない」
ところがジンは、船大工の言葉をインターセプト。そして彼を、転移魔法である場所へと連れて行く。
「こ、これは!?」
一瞬で景色が切り替わり、パニックとなる船大工。ジンは無理もないと咎めず、しばらく放置する。そして船大工が落ち着きを取り戻したころ、ジンはある方向を指さす。
「な、なんじゃこりゃぁぁぁっ!?」
船大工、再び仰天。叫び声は、眼下の海に木霊した。そんな彼が目にしたのは、見たこともない巨大な造船所。今まで見たドックの倍はある。これなら一万トンの船を造れと言われても施設がないから無理、という言い訳は通じない。
なお、この造船所はジンがスケルトンを大量に召喚して造らせたものだ。不眠不休で働く彼らは、資材を使ってひと月足らずで完成させている。そのまま工員として働く予定だ。
「これなら受けてくれるな?」
「……はい」
船大工に断るという選択肢はなかった。彼はすぐに設計に取りかかる。排水量一万トンの船は、全長百メートルを超す化け物艦となった。ただ、これによって見えてきたことがある。それは、船は縦長になるほど速度が速くなるというものだ。
(まさか魔王様はこれを伝えようと……?)
作業中、船大工はそのようにジンの意図を読む。それはほぼ正解であった。造船というのはいわば、その国の技術の結晶体。無理なタスクを与えれば、より進歩するのは当然といえた。ただし、ジンは具体的に何が進歩するかを予想していたわけではない。ただ、例のミリオタ上司がそう言っていたのを思い出しただけだ。
この化け物艦が与えた影響は、造船業界だけに留まらない。関係する製鉄業界や鍛治業界にも波及した。ある製鉄所では、
「おら、急げ急げ! 鉄はいくらあっても足りないんだ!」
「「「はいっ!」」」
親方の檄に弟子が応える。鉄張りにするために大量の鉄が必要とされた。そのために親方衆が増産を繰り返し叫び、弟子たちはどうにかできないか試行錯誤する。その結果、より効率よく生産できるようになった。必要は発明の母というが、言い得て妙である。
そんな関係各所の努力もあり、船の建造は順調に進んだ。起工からおよそ十ヶ月後、化け物艦は無事に竣工する。砲塔はないものの、外観は日本海軍の最上型重巡洋艦のそれだ。その後、水漏れなどの不具合がないかの確認に一ヶ月、船員の完熟訓練に一ヶ月をかけた。それらの準備が済むと、いよいよお披露目である。
「な、なっ……」
ジョンは帰国のための船が完成したと聞いて受け取りにやってきた。自分が乗ってきたものに比べてひと回り大きな船が用意されており、それは『友好のために』という名目で無償でプレゼントされた。それでほくほく顔だったのだが、港に入ってきた船を見て、彼は度肝を抜かれる。
巨艦。
それ以外にその船を表す言葉を思いつかなかった。参考までにいうと、ジョンに供与された船はおよそ三千トン。この時代では十分大きな船だ。だが、巨艦が横に並べば小船も同然だった。
ジョンは手広く商売を行なっている。島国であるから船の需要は尽きないため、造船業も行なっていた。だからわかる。これほどの巨艦を建造できるこの国が、いかに強大であるかを。
(高度な技術を使った先日の商品に加え、この巨艦……。この国に敵対するのは止めよう)
通商取引にかこつけて暴利を貪ろうとしていたジョンだったが、強大さをまざまざと見せられては考えを改めざるを得なかった。ジンの狙いは成功したといえる。
「やあ、ジョン殿」
そこへ、巨艦から降りてきたジンが声をかける。ジョンは心のなかの恐れの感情を引っ込め、笑みを浮かべつつ頭を下げる。
「これは王よ。素晴らしい船を提供していただきありがとうございます」
「これも友好のため。気になさることはない」
ジンもまたにこやかに応じた。そして、玩具を自慢する子どものように無邪気に話を振る。
「ところでどうだろう、この船は?」
もちろん話題は巨艦のことだ。
「す、素晴らしい船でございますな。わたくしの船が小さく見えます」
「国で一番の船だ。鉄張りで防御力も高いぞ」
「鉄でございますか?」
ジョンの目は鉄が水に浮くのかといわんばかりだ。ジンは答えるでもなく意味深に笑う。答えない、わからないことで相手を混乱させる。それが狙いだ。
一方、ジョンは巨艦への恐怖とともに、船が鉄張りであることに警戒感を抱く。船を鉄張りにできるほどの鉄をこの国は生産できるのかと。
しかしジンは何を言うでもなく、翌日出港だと伝えて船へと戻っていった。
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ジンを乗せた巨艦(艦名サタン)はおよそ半月の航海を経てジョンの祖国、アントルペン商人連合国に到着した。
アントルペンでは、港に突如として現れた巨艦を見て騒然となった。すわ侵略かと、海軍が決死の覚悟でこれにあたる。幸いにも、ジョンが説得したため事なきを得た。もし攻撃されても、ジンによってことごとく血祭りに上げられただろうが。
サタンはジンの魔法による絶妙なコントロールにより、桟橋に横づけされた。巨艦ゆえに複数の桟橋を占拠したが、そんなことよりも人々はこれほどの巨艦を自在に操るジンたちに驚かされていた。
とはいえ、これにはカラクリがある。造船が国家の技術の結晶体と評したが、最も高度なのものは機関だ。しかし、それは一年足らずでできるほど簡単なものではない。それでも魔界の威を見せつけなければならない。両者のジレンマに陥った結果、ジンは機関を自分が務めるという斜め上の解決策を思いつき、この問題をクリアしたのだ。
しかし、そんなことをアントルペンの住人たち(ジョンを含む)が知るはずもなかった。彼らは見たものしかわからない。目の前で起こったのは、ただ巨艦が何者のサポートも受けずに接舷したーーそれだけだ。
ジンたちは接舷後、しばらく動かなかった。まずジョンが上陸し、状況を伝えることになっていたからだ。その間、ジンは艦橋から港を見る。
「凄い船の数だ」
「はい。さっきからひっきりなしに船が出入りしています」
ジンの感想に、隣に立つフローラが同意する。貿易で国が成り立っていることがよくわかる光景だ。船の出入りは激しく、積荷も岸壁に山と積まれている。
「新宿みたい」
とは護衛の麗奈の感想。たしかに、とジンも同意した。出入りの激しさでいえば、通勤時間帯の埼京線や湘南新宿ライン、中央線などに匹敵する。とにかく、船が途絶えないのだ。その例えがわからない異世界組は、ただ首をかしげるばかりだった。
そんな風に雑談していると、ジョンが戻ってくるのが見えた。そろそろ上陸できそうだ、とジンは艦橋を下りて舷側に向かう。
「王よ。許可が出ましたぞ」
乗艦したジョンは、上陸許可が出たことを伝えた。ならばとジンは、フローラを隣に立たせてタラップを降りる。アントルペンの国民は突如来訪した異邦人に奇異の目を向けている。……ごく一部、フローラに邪な視線を送る者もいたが、ジンの目線とプレッシャーに鎮圧された。
ジンたちは用意されていた馬車に乗り、行政機関も兼ねる商工会議所に通された。そこでまず、有力者たちと顔合わせするのだ。部屋に置かれてあるのは円卓。上下関係を明確にしないために使われるものだ。
(なるほど。商人らしい)
心のなかで呟く。歴史用語を用いるなら、この国は堺の会合衆のように商人が運営しているという。ならば、このシステムにも納得がいく。
「アントルペン商人連合の代表、ナサニエルだ。異国の王よ、我らの国へようこそ」
「これはご丁寧に。余は魔王ジンだ」
代表者がそれぞれ挨拶し、他のメンバーを紹介する。少し雑談して、今後の予定を打ち合わせすると解散となった。旅の疲れもあるだろうからという、アントルペン側からの配慮である。
本格的な交渉は翌日に始まった。主な内容は通商について。担当はフローラだ。とはいえ交渉とは名ばかりで、ほとんどジョンとの会談で内容は決まっていた。これはその確認だ。
ジョンにしたように、次々と商品を紹介する。さらに昼食では連れてきた料理人が地元の食材を使った料理を振る舞った。ナサニエル以下の代表たちはジンが持ってきた商品に驚き、洗練された料理の虜となる。
「是非ともよろしくお願いする」
誰もが金の匂いを嗅ぎつけ、ジンと友好的であろうとした。通商条約は自国が優位だからと不公平な内容にはせず、あくまで平等なものだったこともあり、すんなりと締結に持ち込めた。調印を終え、笑顔で握手しながら内心でほくそ笑むジン。
(条約の内容は平等だが、実際の貿易ではこちらに利がある)
現状、商品の魅力という点ではジンの側に軍配が上がる。アントルペンは大きな貿易赤字を抱えることになるだろう。あとはせいぜい関税を理不尽なまでに引き上げないよう働きかけるだけだ。
(ま、それもフローラの仕事だ。頑張ってもらおう)
ジンは他人事のように考えていた。




